★柴山創造性問題(その4)


まだやってます。
もともとの発端は、ラウンド中にワーホリやり尽くした感を抱いた柴山君という地点にあります。
で、どうすればいい?って話から、
「こんなこと言ってるようじゃ、柴山さんの人生見えましたね。」と僕が挑発的に返すわけですね(笑)。
なぜなら、「新しい自分なりの楽しみの世界を何ら創造しようとはせず、既に知ってる出来合いの楽しみしか手駒がない」からであり、「もっと悪いのはそれに疑問も感じてない」からだと。

そこから彼の積年の課題(昔から創造性に欠けているのが悩みどころ)が出てきて、なんでも記号化して処理してないかとか、既知のパターンに固着する癖があるとか、本来の自分の個性(オリジナリティ)が出てないんじゃないの?という話になります(ここまではラウンドスレ。(その1)(その2))。

以後話がディープになったので、河岸をこのスレに移し、いろいろな考える切り口や、発想法など話していたのが
前回(その3)。

それを受けて、今回になります。今回で一応終えます。結構核心の部分まで来た感じがするから。

なお、この問題は柴山くんが提起して、メールをやりとりしてるからそういうタイトルになってるけど、本当は「柴山」というカンムリを削除してもいいくらいです。そのくらい普遍性のある話をしているつもりですので。


柴山


田村さん 柴山です。
もう返事来ないかな?って思ってからも、まだ色々教えて頂いて、本当にありがとうございます。

> それって、「受け入れる」という「解決」なんだけど、まあこれは言葉の問題ですね。


田村さんとメールやり取りしながら「言葉の問題」の意外な有用性を発見できて面白いです。
言葉の問題っていうと、憲法9条の解釈みたいに「不毛」ってイメージがあって、まあ実際そういう面もあるんでしょうけど、実は「視点を増やす」っていう効用もあるんですね。

> これって、急迫性でいえば、「なるほどそういう傾向があり、なかなかに難問だな」と理解していればとりあえずは足りるような感じで、大した話じゃないですよ。

確かに創造性問題って「答えがわかった瞬間に人生が変わる」というよりは、「心の隅に留めながら毎日過ごせば少しずつ変わっていく」ことのように感じます。だから、創造性問題を意識し始めた時点ですでに解決してる、とも言えるかもしれないです。

> そのへんの視点もすっぽり抜け落ちてるような気もします。

フォローする方法は考えていましたが、切迫度や実害の方向性については全く考えていませんでした。こういった分析ができるようになれば、問題との付き合い方も見えてくるようになるってことですよね。

>もちろん、覚えてます。掲示板の中でもトップスリーに入るくらい創造性の高い(他の誰も思いつきそうもない)アーティクルだし、柴山くんのこれまでのワーホリ生活で一番の「いい仕事」かもしれないってくらい高く評価してますよん、僕は。


かなり早い段階で「一番のいい仕事」し終えてましたか(笑)
そんなふうに思っている人がいるなんて、本当に分からないものです。

> ちょい苦しいけど、別に笑いをとるのが目的ではなく、発想の拡散なんだから、オチなんかどうでもいいです。

田村さんの例を読んだ時、この発想が新鮮でした。オチがないブツブツ独り言形式でもいいんだったら、他にも評論文、日記、詩でもいいんだ。なーんだ、簡単じゃんって。

プロ振り飛車指し@pro_furi さんのツイート
「先日出版した拙著『美濃囲いはもう古い!ゆで卵囲いを指しこなす本』の売れ行きがあまりに好調すぎて、印刷工場のコピー機が3台も壊れたらしい。果たして出版会社は儲かっているのだろうか…」

面白くないし、結構ムリしてるけど、作るだけなら簡単ですね。あとは一度使った糸を繰り返さずに、できるだけたくさん新しい話を作るってことですね。

> 目つぶって辞書三回開けばいいわけだし、

これはもうやりました!次のテーマは「ひざ、宝石、発芽」です。む、難しい…

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> あの〜、言葉のハシバシで突っ込むようで悪いんだけど、間違ってるとか正しいとかどうでもいいんじゃない?
> てか、「正しい」ってなに?

軽く自我崩壊してたときは頭の中がゴチャゴチャで全く冷静でなかったので、極端に言えば「人殺しはいいことだ」って発想がでてきてもおかしくない思考回路でした。自分の考えてるのが普通なことなのかとんでもないことなのか、判断すらつかなくて。
田村さんの返事を読んで「あんな状態でも、自分って意外と理性的なこと考えてるんだな」と安心した、という感じでした。

うーん。でも、言われてみれば、どこかで答え合わせしている自分がいると思います。世の中には、それなりに合理的な理由で人殺しOKって文化もある(あった)かもしれないですし。
少なくとも頭の中で考えるときは、何でもアリってくらい拡散できるようになりたいです。

> 若い時に哲学ちょっとでも齧っておくと、そのあたりの頭が鍛えられるかもね。これは、学生の分際で、、、っていうよりも、学生のときでないとやらないから、ちょっとやってもいいかもね。

哲学は好きなので、一般教養の授業は全部哲学にしました。自分以外は全員文系ってこともありました。
なのに全然今に生きていないと…。

自分で考えるというよりは、先生の話を「ふーんなるほどね面白い考えだなー」と聞いてるだけで受け身の姿勢だったから、あまり素養が身につかなかったと思います。
ちなみに、授業中に先生が言ったことで「いや、それは違うだろ」って思ったときは、なぜそう思ったのかをそれこそパラノイア的に突き詰めて考え、授業中に先生にぶつけて理論を戦わせたり(結果負けましたが他の生徒は唖然笑)、全授業の期末テストの自由記述で紙いっぱいに書いて論破したりしたら(本当に論破できたかは知りませんが)、成績はオール秀でした(笑)
機械工学とは真逆の哲学でなぜか力を発揮するという、謎の生徒だったと思います。

田村さんのエッセイの中で、言葉の定義をこねくり回すのは、哲学の授業を聞いているような楽しさがあります。
でもやっぱり、自分で考えないといけないですね!  

柴山武士

田村


柴山さん 田村です

創造性問題の根底にあるもの、なんで創造性が無いかのようになってしまうのか?絶対あるはずの創造性がなぜ表面に出てこないのか?問題です。

直近にもらったメールにこれらのヒントがあったような気がします。

まずはメールについて個別に指摘します。ちょっとキツイかもしれないけど、頑張って読んでね。

一言でいえば「軽薄才子」
そして軽薄才子であるがゆえに、人間関係で損をしている面も多々あるし、それが創造性やら「全体が見えてない」ということにもつながってると思います。

先にエピソードをいうと、来たばかりの頃、シェア探しの初日でゆうこさんと一緒に回っていたでしょ。帰ってきたゆうこさんがプンプンで、「もう、あんな奴、知らん」って怒ってた。なんで怒ってたのかわかります?

僕もチラとかすめることもあるし、今回のメールにもゆうこさん状態でカチンときた部分が結構ある。それらの根っこは共通なんです。

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メールに出てくる順番変えて、一番カチンときたのは最後の方の

> 哲学は好きなので、一般教養の授業は全部哲学にしました。自分以外は全員文系ってこともありました。
> ちなみに、授業中に先生が言ったことで「いや、それは違うだろ」って思ったときは、なぜそう思ったのかをそれこそパラノイア的に突き詰めて考え、授業中に先生にぶつけて理論を戦わせたり(結果負けましたが他の生徒は唖然 笑)、全授業の期末テストの自由記述で紙いっぱいに書いて論破したりしたら(本当に論破できたかは知りませんが)、成績はオール秀でした(笑) 機械工学とは真逆の哲学でなぜか力を発揮するという、謎の生徒だったと思います。

この部分です。

なんでカチンときたか分かる?
あのね、その前のメールで、「正しいとはなにか」という観点から、カントなどの話をしました。で、哲学をやるのもいいよねって話をしました。

こっちとしては、あなたの持ってる宿痾のような「なんでも客観的な答えがあって、答え合わせをしようとするフォーマット」について真剣に話をしているわけですよ。で、どうせなら身が細るくらい真剣に考えまくる哲学なんかもあるという話をしている。

それで哲学は好きっていうから、ドイツ観念論とか、アプリオリとアポステリオリについてどう思うかとか、そういう「実のある意見」が返ってくるかと思いきや、こましゃくれた小学生の自慢話みたいなエピソードでしょ。

「あ、そうそう、哲学っていえばさー」なんて、学生のコンパノリの話を僕はしてるんじゃないんだよ?それなりに真剣に答えているんだよ。そこんところの受け止め方がなってないというか、全然わかってないんじゃない?

また哲学で教授と激論になったといっても、それがどんなテーマでどういう視点で、どういう議論をしたかという内容は一切は触れていない。ということがあったという、一種の武勇伝みたいな話で終わってる。

なめとんのか?
また、哲学者だって、生きるか死ぬかのギリギリで必死に考えて考えて考えてやってきてるわけなんだけど、そういったことに対するごく自然な敬意がない。人の営為に対するレスペクトがない。

そういうコンパノリの話も別にいいけど、そんな話をするために僕はあなたとメールのやりとりをしてると思ってるのですか?そのあたりも「見えてない」。そんなんで喜ぶと思うの?

でも、柴山くんは本来そんなにアホではないのですよ。
でも、なぜか時としてそうなってしまうのは何故か?です。

そこで思ったのは、あなたはこの世の営みをどこかしたら「詰め将棋を解く」かのように思ってない?

実際の世の中は詰将棋のようにクリアなパズルじゃないですよ。これが金でこれが桂馬というぐあいにキャラ設定もわからないし、途中で変わったりするし、相手がニ手連続で指せたりもするし、そもそも王を詰んだら終わりというルールかどうかもわからない。何もかも分からない中で、あれこれもがいているのが人生であり、その集合体としての世界でしょう。

柴山くんは、ともすれば、それを単純な知的パズルに置き換えて理解し、その難問を解くことに燃え、やり甲斐を感じるという頭のフォーマットになってないか?
そして、そのゲームで優秀な成績を残したり、善戦したりするのが自分としてのアイデンティティや成り立ち方になってないか?

講義の場合の「激論」だって、ちゃんと実のある議論だったら、そのあたりの内容や究極的な価値判断や世界観に言及してしかるべきだし、その部分こそが大事なのに、そこはマルっぽ無視。
ムキになって激論しました、善戦しましたって、それが主題で、そこでは知的パズルフォーマットが如実に出ている。

だとしたら、哲学やっても身につかないのは当然ですわ。パズルとしてやってんだもん。それは詰将棋やクロスワードをいくら解いたところで、人生がわかったり、生きやすくなったりするのではないのと同じこと。

血も肉も怒りも涙もある「現実の重さ」を一切捨象して、単なる抽象的な記号としてのパズルに置き換え、その難問性と挑戦性に燃えているんだから。

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次、

>憲法9条の解釈みたいに「不毛」ってイメージがあって

9条問題を不毛の代名詞にしてる。
戦争で子供を失った人とか、悲惨な思いをした人とか、その人達がどれだけの思いで9条を捉えているか、そしてそうはいっても国際政治力学はあるわ、ナニはあるわで、政治と理性と感情と金と理想と全てのもののギリギリとしたせめぎあいが、あのヘンテコな9条解釈になってるわけよね。
それは確かに言葉の遊びみたいな解釈論かもしれないけど、でも解釈論って、基本、語義の定義を、いかに理念と現実を調和させつつ線をひいていくかってことで、別に9条に限った話ではない。

そのあたりあっさり「不毛」と書いてしまうあたり、世の中の人々の「血を吐くような思い」が皮膚感覚としてわかってないんだって思う。実際わかってないでしょう?また仮にわかってたとしても、そうは読み取れない。

そして、たった一言の言葉の使い方で、人間性をまるっぽ裁断されてしまう「人の世の本当の恐怖」というのがまだわかってない。

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> > 目つぶって辞書三回開けばいいわけだし、
> これはもうやりました! 次のテーマは「ひざ、宝石、発芽」です。む、難しい…

これは、「あほ〜」って言いたくなったわ。

あのね、あんたが「そもそもその3つを見つけるのが難しい」っていうから、こっちは、あれこれやり方を書いたわけでしょ?

「もうやりました」っていうのは、教えてもらってからやったというの?でも文脈の感じとしては、教えられる前に自力で発見しましたってことだよね。つまり、「そこは(自力で)正解に達しました」というアピールだよね。

教えてもらってありがとうではなく、「そんなのもう知ってるもーん」みたいな回答をするってことは、他者の労苦へのねぎらいよりも、自分の能力・実績のアピールの方があなたの中では優越価値を持っているってことでしょう?
少なくともこれを書いた瞬間ではそうなってる。
そうなると、僕としては「は、そういう奴なんだ」「そういうことにも気づかない奴」って思う。

さらに追い打ちかければ、もともとのテーマが発想の飛躍であり、三題噺はそのほんの一例として述べているだけなんだから、いつまでも三題噺にこだわるのではなく、話を発展させようとすれば、三題噺ではない、また別な発想飛躍練習法を考えて示してくれればいいんですよ。

でもあなたの頭ではこの三題噺攻略というパズルが入ってしまっているから、そこで固着を起こして、もう全体が見えなくなっている。そう思われたくなければ、もっとマシな展開レスをしてくださいよね。

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>田村さんの例を読んだ時、この発想が新鮮でした。オチがないブツブツ独り言形式でもいいんだったら、他にも評論文、日記、詩でもいいんだ。なーんだ、簡単じゃんって。
>プロ振り飛車指し@pro_furi さんのツイート  「先日出版した拙著『美濃囲いはもう古い!ゆで卵囲いを指しこなす本』の売れ行きがあまりに好調すぎて、印刷工場のコピー機が3台も壊れたらしい。果たして出版会社は儲かっているのだろうか…」
>面白くないし、結構ムリしてるけど、作るだけなら簡単ですね。

これは何をか言わんやです。
勢いで「簡単じゃん」って言いたいだけじゃないの?

「評論文、日記、」とか別に形式に拘る必要もないです。あえて書く必要もない。てか書くということは、なんかの形式にあてはめないとダメという固定観念があるかのようにすら思える。

あとね、この解は、厳密に言えば成り立ってないです。
なぜなら、「ゆで卵囲い」なんて「新語」を作っていいならなんでも出来るでしょ?「コピー機囲い」でもなんでもいいんだから。ABCの3つのうちに、BCをAの形式に合わせて新語作ればいいって話じゃん。それじゃ意味無いでしょ。
第二に、振り飛車とゆで卵「囲い」が将棋でダブってる。そもそも三題噺は発想の飛躍と収縮の面白さであり、全然関係ない3つがつながるところにある。でも飛車と卵を同じ将棋でつなげてしまったら、意味無いじゃん。
第三に、印刷工場が「コピー機」なんか使うか?という。

3番めは良いとしても、1と2はこの問題の本質がわかってないと言われてもしゃーないよ。
だから、「簡単じゃん」って言いたいって気持ちが勝って、こういう浅はかな発言になったのかな?って思うのだよね。

 直近2つの事例を通じて看取できるのは、「自分の能力を誇示したいという功名心が先走って、当然見えてるはずのものが見えなくなっている」という点です。

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> 軽く自我崩壊してたときは頭の中がゴチャゴチャで全く冷静でなかったので、極端に言えば「人殺しはいいことだ」って発想がでてきてもおかしくない思考回路でした。自分の考えてるのが普通なことなのかとんでもないことなのか、判断すらつかなくて。

これ、マジに「極端に言えば「人殺しはいいことだ」って発想がでてきてもおかしくない」って言い方で合ってるの?たかがあれだけのことで、そこまで自我崩壊する?そこまで心神耗弱みたいな状況になるの?

可能性は二つ
(1)オーバーに話を盛っている
(2)真実そうなっていた

1はまだいいです。次に、なんでそこまでオーバーに盛るかだけど、「そこまでダメージがあったので、あの時は本調子じゃなかったんですよ」という言い訳みたいに聞こえるぞ。

もし2だったら、マジにカウンセリングかなんか真剣に対処した方がいいです。
これっぱかしのことで自我崩壊するんだとしたら、根本的に自我の組み上げ方がおかしい。セメントでつないだり、釘やボルトで打つべきところを、単に乗せてるだけって可能性あるし。

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以上、シビアに書いたのは、「違うでしょ?」って言いたいからです。

あなた、そんな人間ちゃう!
でも、なっちゃう。
真実なってるのかどうかは知らんが、そうなる一瞬があるし、少なくとも外からそう見えてしまう。

なぜそうなるのか?といえば、冒頭に書いたように、「世界=詰将棋論」があるからだと思う。

難しいパズルを解くこと、そこに知的快感を覚え、それを進めていき、それで自己実現をするというパターン。
それは誰でもあるけど、あなたの場合はそれが突出して強い。

そのデメリットは、

(1)抽象的なパズル形式に落としこんでいくので、ともすれば生身の人間のザラザラした質感がすっぽり抜け落ちてしまうこと
 また、全体構造や「そんなに簡単な話じゃない」ものごとを、むりやり簡単な話に、平易な問題形式にしてしまうので、相手の言ってる内容が換骨奪胎されてしまい、「こいつはわかっとらん」という嘆きを生む。重量も奥行きもある物事を、ともすれば平板なパズル的なものに堕落せしめ、その土俵での知的論争の面白さという形に話の本質を歪曲させてしまう。

 これが、ゆうこさん的な怒りを誘うことになる。大きく誤解もされる。
 冒頭に書いた「軽薄才子」とは、まさにそのことです。頭の回転は悪くないけど、実がない。


(2)人生のあり方を考える際にも、どうしてもパズル的になるので、これまで得てきた貴重な経験や感情も、全部パズル形成の要素になってしまい、大事な栄養分が抜け落ちてしまう

 実際、他の人の体験談や通信と読み比べると分かるんだけど、柴山さんの場合は、どっかしら「作業工程◯%完了」的なフォーマットがある。常に課題=解決方式にしている。それは悪いことではないのだけど、そればっかだと、せっかく得てきた涙や苦労や喜びの置き場がないじゃないか。

 課題でもないし、解決でもない、技術でもないし、成長でもないんだけど、でもとっても大事なサムシングは得たぞ、って感じになりにくい。


(3)それが創造性欠如の根底にある。
 創造性というのは、抜け落ちてしまいがちな、言葉にできない・ならないムニャムニャした部分の命を大事にすることなんだけど、フォーマット的にそこが抜け落ちるからやりにくい。

 また、パズルというのは厳しい条件設定あっての話です。将棋でも盤面しか行けないとか、二歩はダメとかガチガチに条件がある。パズル形式というフォーマットにすると、その条件に無意識に縛られる。でも創造性は条件をぶっ壊すところにある。将棋でいえば、王は何個あってもいいとか、その場でコマを作ってもいいとか、賄賂アリにするとか、笑ったら一回休みルールにするとか、無茶苦茶で自由奔放な話です。
 だからパズル解答と創造性とは、あんまり仲が良くないです。

 ということで、柴山さんの場合「この問題をどう解けばいいか」形式にするのが問題であり、だから「創造性をいかにして獲得するか」という問題形式に過度になっちゃってる時点で、そりゃあ見つからないよって気もします。
 以上、長々と書きました。だが、まだ終わりではない。
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★処方箋
以上を踏まえて、以下に、「こうするといいんちゃう?」というサジェスチョンを

(1)まず第一に、僕が書いた内容を全否定すること。「わかってないのはお前じゃ」とばかりに徹底的に反論して下さい。これはメールその他でやる必要はないです。つまりは厳密な検証作業をしろと。
言い訳とか論理のすり替え程度のチャチな反論だったら僕は容易にみつけますので、正真正銘そうではないというのを見つけ、それを最大限説得的に述べる練習。これは頭の中でやるだけでいいです。

上はウォーミングアップで、いよいよ本番。

(2)パズル形式の功罪をしっかり見つめて使い分けること。基本封印するくらいでいい。
 パズル形式ではない生きがいとか、やり甲斐とか、幾らでもあると思うのだけど(人といい感じになれるとか)、それをそのまんまにしておくこと。きれいに整理しない、フォーマット化しない、しかしその未整理のゴロゴロしたものを尊重すること。

 パズル形式では圧倒的な集中力と強さがあるので、全体が見えている場合に限るという前提で、限定的にパズルパワーを開放するようにするといいです。で、時間がきたら終了にして、いつまでもそのフォーマットに固執しない。もとに戻らなくなっちゃうので。

(3)パズル形式は作業効率としては良い場合があるという程度なので、それを生きがいとか、自分のアイデンティティとかには、間違ってもしないこと。
 ただしこれは超難しい。特に20−30代男子にとっては「優秀な俺」がアィデンティティになるから、それをするなというのは無理だとは思う。だけど、そのデメリットについては十分に理解しておいてね。

 なぜなら、これから就職していくのだろうから、その「出来る俺」という自我は、おそらくは完膚なきまでに粉砕されると思いますし、それでいいです。どこでどう就職するのか分からないけど、こと単純に知的能力の優秀さ、知能指数やパズル解法レベルであるなら、バケモンみたいな連中が日本にもうじゃうじゃいます。そして、行く所に行けば、そういう人しかいないと環境にもなるでしょう。つまりは、自分が一番馬鹿、もうぶっちぎりで無能だという環境。

 そこで自我が軽く崩壊しますが、そんなの序章。
 本当に辛いのはその次で、その無能さでとことん精神的に辛い思いをすることです。弁護士でもそうだけど、ああいう実力一本の業界では、無能であることは犯罪であり、人間失格くらいの烙印を押されるし、風当たりも強い。プロのスポーツ選手と同じ。どいつもこいつも他人の能力の目利きにかけては鋭いし。それが「出来る俺ワールド」です。

 そこが心配ね。ウーフでも英語が全然できなくて泣きたくなってますけど、あれが延々続くと。しかも、もっと露骨にクスクス嘲笑されたり、面罵されたり、冷ややかに省かれたりもします。逃げ場なし。何度もいうけど、でもそれが貴方が望んだ「俺が、俺が」ワールドですわ。

 柴山さんはほかがらかで明るいから、そういう部分はすごい美点なのよ。でもほがらかで明るい人は、ほがらかで明るくない環境ではちょっと弱いという部分もあって、それにどう対処するか。

 一般にオーストラリアは「人の善意を知り、善意とのつきあいかたを学ぶところ」だけど、日本は「人の悪意と冷たさを知り、その対処法を知る場所」だとも言えるのよね。そうでないところは沢山あるけど、おおまかにいって。ゆえに、それ相応のタフな心がいるよ。

 だもんで、まず大きな予防接種をしておきます。キツイで、覚悟しいや、と。

 柴山くんはそんな出世主義とか上昇志向は無いんだけど、でも、根っこにあるのは同じものでしょ。あなただけではなく、多くの人はそう。「学校の勉強が出来ないからグレました」というのも裏返しに同じことで、優等生だったらグレなかったってことなんだから。つまりは、成長原理(快感)、競争原理、闘争原理です。出来る・出来ないに快不快を感じ、その変化をもって人生の道しるべにするような発想全般です。

 それはそれで大事だし、無能よりは有能な方がいいし、確かに大きな柱になりますよ。分かりやすいし、簡単だし。負けるよりは勝った方がうれしいしね、誰でも。でも、それしかなかったら問題だろうと言ってるわけです。また、あまりにもその快楽に引っ張られすぎると、今まさに書いているように、全体のバランスがおかしくなってくるよと。現に、今回バシバシ叩いているように、人としての健全なバランス感覚がおかしくなってるし。

 有能であることは確かに自分を支えてくれる基軸になるけど、でもそれ一本でやってると必ず限界は来る。成功すれば成功するほど周囲のレベルが高くなるから、最後には天狗の鼻をへし折られて、ただの凡人雑魚キャラであることを嫌というほど知らされる。ごく一握りの天才レベルの奴らだけがクリアするけど、そいつらは最初から有能さなんか自分の核にしてない。故にその路線に乗ってる以上、終着駅はほぼ必ず絶望駅なんだわ。

 ということで、終着駅までいったら、あるいは途中で車窓や車内の雰囲気がギスギスして悪くなってきたら、「こっから先はチャリで行こう」とか、そういう切り替えが出来ると良い。出来りゃ、どっか断崖にさしかかったら、予めコンパクトに折りたたんだハングライダーを組み立てて、ドアをバン!と開けて、「じゃあ、僕はこれで」とか言って、ぶわっと虚空に飛び立って、どっか行っちゃうくらいが望ましい。


 第二に、そうならないために、パズルが解ける系の自我のあり方「以外」の自分のあり方を、意識的に作っておくといいです。これ、意識はするけど、頭で考えたらダメっすよ。形にしてもダメっすよ。

 頭では考えない、形にもしない、しかし否定出来ない濃密な存在感をもって、ぬっと存在するような感じね。
 今は出来ないと思います。まだまだ無理だと思う。出来たと思ったら間違ってると思うよ。でも、感覚的にはなんとなくわかると思う。その「なんとなく」を大事にしてね。

 でもって、悪意と冷笑の「俺様ワールド」にも逃げずに参戦してください。世の中どんだけ頭のいい奴らがいるか、バケモノみたいに強い奴、信じられないほど邪悪な奴、イヤというほど思い知ってきてください。もっともっと。食うか食われるかをスリリングに楽しんできてね。なぜなら、こういう力も、現実社会に生きていく以上はある程度は必要だし、雑事処理(金を稼ぐとかさ)には非常に有用ですから。忌み嫌ってはならないし、安直に逃げてはならない。没入はするな、使いこなせ、です。

 でもって、最終的には自分がどんだけ使えないか、阿呆か、雑魚か、徹底的に知ってきなはれ。そして、俺様ワールドの面白さと限界を皮膚感覚で刻んできてください。「面白いけどくだらない」ってことを。ちなみに、その対極点に「くだらないけど面白い」ワールドがあるんだけど。

 で、十年くらいかけて、俺様系と、なんとなくぬっとある系とが、大きく一つに統合するような感じで進むといいかなと思います。あの〜、あくまで「感じ」ね。完璧になんて出来っこないし、僕なんかも全然ダメだし。ただ、一つではない、大きく統合ってことだけ。

 そして、すべてひっくるめて、これらを「課題」とか「挑戦」とかいうフォーマット形式で捉えてはいけない。わかってるよね。「課題」「出題」「正解」あたりはのコンセプトは全部禁じ手ね。細かな手段的解決局面など、場合によってのみ、限定解除するだけ。

 以上です  長文多謝   田村 

柴山

田村さん

柴山です。長文のお返事ありがとうございます。

> まずはメールについて個別に指摘します。ちょっとキツイかもしれないけど、頑張って読んでね。

30回以上は読んで厳粛に受け止めました。返答も「すいません」「分かりました」しか言えないです。

ゆうこさんに言われたのは
「なんでいつも人が言うことを否定するの?!」
です。
自分ではコンパノリのつもりはありませんでしたが、対面でもメールでも「とりあえずそのテーマで知ってることを喋っておこう」って時があります。
今考えると、「受け止め方が分からずにとりあえずなんか喋る」というのが「人が言うことを否定」に聞こえるのだと思います。
ゆうこさんにこれを言われた時は心当たりがなかった(恐らく無意識に言っていたため)のと、言い方が気に食わなかったので逆ギレ。それ以降そういうことは一切言われてないので、ゆうこさんはもっと思うところがあったと思います。

それと「一言多い」とも言われました。これは大学の友達や、まんまるやでお世話になったシェフの人にも言われてます。
これも勘違いから相手を怒らせてしまうからでしょうか。

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> あなた、そんな人間ちゃう! でも、なっちゃう。
> 真実なってるのかどうかは知らんが、そうなる一瞬があるし、少なくとも外からそう見えてしまう。

自分の実感としては、そんな人間になってる気がします。
ずっとそういうことをし続けて、体の一部に同化してる感じです。

> (1)抽象的なパズル形式に落としこんでいくので、ともすれば生身の人間のザラザラした質感がすっぽり抜け落ちてしまうこと
>また、全体構造や「そんなに簡単な話じゃない」ものごとを、むりやり簡単な話に、平易な問題形式にしてしまうので、相手の言ってる内容が換骨奪胎されてしまい、「こいつはわかっとらん」という嘆きを生む

今まで「抽象化はいいことだ」と思っていたのですが、そうでもないのですか。
例えばトランペットの練習してた時に
課題が見つかる→治す→もっと課題が見つかる→治すのが追いつかない→でもいつの間にか上達してる
という流れが英語の勉強に似てると気付いてから新鮮味がなくなりました。だったらトランペットやらずに英語やればいいじゃんと考えるようになって、最近トランペットのモチベーションが落ちていました。
自分の感じたことを抽象化&グループ分けをするのが好きで、いつも頭の中でしていたのですが、もう止めるように意識します。


>(2)人生のあり方を考える際にも、どうしてもパズル的になるので、これまで得てきた貴重な経験や感情も、全部パズル形成の要素になってしまい、大事な栄養分が抜け落ちてしまう

この前日本人の友達(Aplacじゃない人)にラウンドの経験を話したら「金欠で○○を学んで、ファームでは○○を身につけ、ウーフで○○を知って、そうやって成長したんだね」みたいに話をまとめられて、「そうじゃないんだよなー」と思いました。
大事な何かが抜け落ちる瞬間を目の当たりにしました。(その人のせいではなく、自分の説明が原因だと思います)抜け落ちて初めてその存在に気付くようでは遅いんですけど…。

そのときは、「そういう 1+1+1=3 みたいなことじゃなくて、プラス50の時もあればマイナス1000
の時もあって、トータルでプラスなのかどうかすらも分からないけど、でも始まる前と比べて根本的な部分が底上げされた感じかなー」と自分でも意味不明な返事をしました。
こう答えるくらいだから多分サムシングは感じているはずなんですけど、自分の経験を自分で消化するとき、この友達がまとめたみたいにいつの間にか大事な部分をオミットしてるみたいです。伝わりやすい部分だけ取り出して分かった気になる、とも言うのでしょうか。

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★処方箋
> 頭では考えない、形にもしない、しかし否定出来ない濃密な存在感をもって、ぬっと存在するような感じね。
>今は出来ないと思います。まだまだ無理だと思う。出来たと思ったら間違ってると思うよ。でも、感覚的にはなんとなくわかると思う。その「なんとなく」を大事にしてね。

はい、全く分からないことはないです。
パズル頭を解き放ったときの世界はなんとなーく想像がつきますし、その世界の片鱗は今でも少しだけ感じる時があります。
最初のシェアのミャンマー人の夫婦が仲良しで、二人でいつもキャッキャしてて、夫婦というよりも幼馴染や親友のように見えたということを田村さんに話したら「夫婦という枠にとらわれてない」とおっしゃり、それを聞いた瞬間にハッとしたのは今でも強烈に覚えています。

>でもって、悪意と冷笑の「俺様ワールド」にも逃げずに参戦してください。世の中どんだけ頭のいい奴らがいるか、イヤというほど思い知ってきてください。もっともっと。食うか食われるかをスリリングに楽しんできてね。こういう力もある程度は必要だしね。

大学では頭のいい友達に勉強を教えてもらっていましたが、彼らが今度は敵になると考えただけで恐ろしいです。WWOOFみたいにいつでも逃げられるわけではないですし…。自分は勝負とかプレッシャーに弱い(と思っている)のですが、それを克服するつもりで臨みます。

> で、十年くらいかけて、俺様系と、なんとなくぬっとある系とが、大きく一つに統合するような感じで進むといいかなと思います。

これを読んだ瞬間に「ああ、中島さんがMOP企画やってるのと同じですね」って思ったんですけど、また抽象化&グループ分けしてしまいました。そんな分かりやすい話じゃなくて、もっと取り留めもなくて、もっとパーソナルな話なのですよね。

> そして、すべてひっくるめて、これらを「課題」とか「挑戦」とかいうフォーマット形式で捉えてはいけない。わかってるよね。

分かってはいるんですけど、まだどうしてもフォーマットで考えてしまいます。
「問題解決という方法で考えないためにはどうすればいいか」という問題をいつのまにか設定して、答えを探そうとしている自分がいます。
「じゃあどうすれば…」と考えるのですが、これも問題形式なのでアウト。アリ地獄です。多分考えること自体がアウトなのですよね。

推敲のために読み直して気付きましたが、いつのまにか「サムシングを手に入れようと頑張る自分」という構図になってしまっています。まだまだ未熟なので、見逃してください…。

それと、たくさんのことを教えていただいたのに、返事が短くてすいません。
本当は色々書いたのですが、またコンパノリになっていたり、客観的に読み直してみたら主観的な気持ちと全然一致していなかったりして、削除しました。
例えば「目標を持たずダラダラ過ごすより、適度に”課題”があった方が成長には便利だから、足がかりだと割り切った上でとりあえず課題を設定するのは?」のようなことを書いたのですが、このように言葉にしたらフォーマット度が高くなってしまったり。
レスが少なくて誠意がないと思われたらすいません。

ちなみに、このやりとりも掲載されますか?
直近3通(このメールを含めて)は勘弁してほしいとも思いましたが、もう途中まで載ってしまいましたし、あと1年もすれば笑い話になるでしょうから、長い目で見れば掲載されても大したダメージないようにも思います。
ですが、こんなにパーソナルな話に需要があるのか自分には全く分からないので、田村さんにお任せします。

改めて、今回の件もありがとうございます。柴山武士

田村


柴山さん こんちわ〜 エッセイ明けの田村です

わかると思うけど、今までのパターンを全否定しているわけではないのだよ。
それはそれで有用だし、大事な個性なんだけど、それが全支配してしまう瞬間があって、それが柴山くんの人生の喜びをスポイルしているんじゃないかって。

そしてまた就職などで世に出ていった場合、思いっきりその部分をぶん殴られる可能性はあるので(結果的に無かったとしてもそんなの運、遅かれ早かれですから)、転ばぬ先の杖で対処しておこうと思ったまでです。

十分わかっているとは思うけど。

知能パズルのスリリングさや、物事を抽象的に解析していく知的ダイナミズムの快感はそれはそれ。

だけど、そうでない領域もまた膨大にある。
そして、そのことをあなたはもう十分に知っている。

だからナチュラルに使い分けたり、平然と同時存在してしまえばいいんだけど、なんか知らんけどパズルフォーマットが優越してしまうきらいがある。

これはバグといえばバグだし、癖といえば癖なんだけど、直したほうがいいんだろなって。で、矯正ギブスのように「禁じ手」にしているという。

前回の繰り返しですけど。
で、窮屈かもしれないけど、意図的に違う感じに広げていくといいと思います。
なんだかワケわからない感じになるとは思うんだけど、そこで自然と緩衝地帯みたいなものができてくるし、それがクッションになって、先々すごく役に立つと思いますよ。

具体的にいえば、なにかがダメだったときに、「ダメだあ!」って目の前が真っ暗になるのではなく、「そっか、ダメなんだ」って柔らかく受け止められるというか。
真剣に受け止めているその真剣さは変わらないんだけど、深刻さは薄らぐという感じかな。
あんま具体的ではないか(笑)

あと、見えなかったものが見えてくる、感じなかったことが感じるようになる。
まあこれまでも見えたり感じたりしてたんだけど、その快感がもっと深くなるってところでしょうか。

トランペットの話でも、上達快感は確かにありますよね。
でも、単純に「音と一体化する快感」もまたあるので、別に上手くなくても気持ち良いってのはあるのですよね。
それに上達でも、微妙にカーブやラインが違ったりして、知的なことであったとしても、その差異を楽しむ、過程を楽しむという深さがあると思います。

ま、そんな感じです。
お、起きてきはった。そろそろ仕事せな(笑)
では

柴山

田村さん

柴山です。こんにちは。

お疲れさまです。お忙しい中お返事ありがとうございます!
ウッチーから「1月は閑散期」と聞いたのですが、今年はお忙しいのですね。
掲示板の掲載、楽しみにしてます。この前の青木大介さんのメール、面白かったです。
青年海外協力隊って超優秀な人が超英才教育を受けるってイメージがあったので、意外でした。良くも悪くも、プログラム化されてるんですね。
個人でアフリカに乗り込んで、現地のNPOに行って、ボランティアを始めた人が大学にいたんですけど、その人しかり、ワーホリしかり、日本でウダウダやってないでとっとと海外に出ちゃった方が早いのかな等、いろいろ考えさせられました。


> わかると思うけど、今までのパターンを全否定しているわけではないのだよ。 それはそれで有用だし、大事な個性なんだけど、それが全支配してしまう瞬間があって、それが柴山くんの人生の喜びをスポイルしているんじゃないかって。

本当に「もったいないことしたなー」って思います。そのせいでこの一年間(その前も)どれだけの楽しみを逃してきたか。
そのことを分かった上でワーホリやり直したいくらいです。


> そしてまた就職などで世に出ていった場合、思いっきりその部分をぶん殴られる 可能性はあるので(結果的に無かったとしてもそんなの運、遅かれ早かれですから)、転ばぬ先の杖で対処しておこうと思ったまでです。 十分わかっているとは思うけど。

本当にその部分をぶん殴ってくれる人がいるのかって不安もあります。気付いてもそのままにするんじゃないかと。自分が人の欠点に気付いたときも、99%は言わないですし。

> あと、見えなかったものが見えてくる、感じなかったことが感じるようになる。まあこれまでも見えたり感じたりしてたんだけど、その快感がもっと深くなるってところでしょうか。

今まではその快感を無意識に削り落としていましたね。
やっとその存在に気付いたって感じでしょうか。
でも意識しすぎてもいけない、というのが難しいです。

> トランペットの話でも、上達快感は確かにありますよね。でも、単純に「音と一体化する快感」もまたあるので、別に上手くなくても気持ち良いってのはあるのですよね。

まだ「音と一体化」なんてレベルではないので、それに関しては何とも言えないのです(^^;)
でも、自分で言うのも恥ずかしいですが、生の音はいいなって思います。プロの綺麗な音をCDで聞くよりも、自分の汚い音を生で聞く方が好きかもしれません。

では、田村さんにご挨拶に行きたいので、お時間のあるときに日時についてまたご連絡を頂けると嬉しいです!
よろしくお願いします。

田村


以上、この先もまだやりとりは続いて、「ほら!また出た!」と竹刀で叩いたりしてるんだけど(笑)、ヤマはここまで。

なお、忙しくてレスしきれてない部分があったので、この場で。


>それと「一言多い」とも言われました。これは大学の友達や、まんまるやでお世話になったシェフの人にも言われてます。これも勘違いから相手を怒らせてしまうからでしょうか。

「一言多いんだよ」ってのは、いかにも軽薄才子が受けそうなリアクションであり、ともすれば微妙に賛辞っぽくも聞こえたりするけど(「機転が利きすぎる」みたいな)、
今度からそれを言われたら「今のあなたの言葉で私の心は傷つきました」って言われているんだと思うといいよ。そういう意味で言ってるんだから。
ただそこまで深刻に言ってしまうと、その場の雰囲気を変えて皆に迷惑をかけるから、大人としてその程度の言い方に抑えてるだけです。
そして、どの部分が何を傷つけたのか考えたらいいと思います。

で、さらに、傷つけてもいい場合もあるんだよね。
およそ「人を傷つけてはならない」ってのも一種のドグマであって、時と場合による。それを上回る優越価値があるなら言って良しでしょう。子供の躾もそう、異議申出もそう。ただし、逆恨みされる覚悟は当然必要だけど。でも、ま、それはまた次元の違う話です。

>本当にその部分をぶん殴ってくれる人がいるのかって不安もあります。気付いてもそのままにするんじゃないかと。自分が人の欠点に気付いたときも、99%は言わないですし。

 うん、言わないだろうね。懇切丁寧に「ここがダメだよ」って形では言ってくれないでしょう。
 主観的には、ただただ理不尽に意地悪されている、辛く当たられる、おもいっきり差別されている、、としか感じないでしょう。もう頭ごなしに「お前、馬鹿なんだからひっこんでろ」ってな感じで。そういう状態を「ぶん殴ってる」と言ったつもりです。有能無能のゲゼルシャフト系俺様社会は、それが基本フォーマット。

 だから、その部分をちょっとでも説明してくれる人の意見は、授業料払ってでもいいから(一杯おごるとか)聞くといいですよ。それらは、往々にして「詰まらないお説教」とか「しょーもない俺様の昔話」に見えたりもするし、ま、実際そういう含有成分もあるんだけど(僕の話だってそうだろ)、でも栄養分も豊富にありますので。

 例えば「早く結婚しろ」「ちゃんとした仕事に就いて」とかいう「親のいつものお説教」もパターン処理したらあかんと思うのよね。多くの場合、子供は親を超えられないよ。弟子は師匠を超えられない。なんだかんだ言って、現実世界で金稼いで、生計立てて、あれこれ複雑な状況を処理する能力とかキャリアには一日の長がある。これだけ自分よりも強大な力を持つ人間をして、これほどまでにビビらせて、ここまで弱々しくも凡庸なことを言わせるだけ、世間というのは圧倒的に強大なのだ、少くとも強大に感じられるんだってのは、背景画像として透かして見えると思います。

 「自信がある」という状態って、単に「舐めてるだけ」「自惚れてるだけ」かもしれないし、そのあたりの正確な距離感の査定、そして絶えざる補正修正は絶対に必要だと思いますね。でないと、一発食らっただけでもう死んじゃうからさ(笑)。

 これ、なんかに似てるでしょ。一括パック初日に言った、「英語はまず100%聞き取れないと思え」「全く聞き取れないという前提で、それでもなんとかするノウハウを学ぶ」とことと同じね。だから予防接種を打っておいてあげるって。



>本当に「もったいないことしたなー」って思います。そのせいでこの一年間(その前も)どれだけの楽しみを逃してきたか。そのことを分かった上でワーホリやり直したいくらいです。

これが結局、最初の出発点の悩みの、とりあえずの解決点だとは思います。
「もうやり尽くした」って思ってたことが、実は全然やってなかった、美味しい部分を逃してたって思えたわけだから。
「やっとワーホリのやり方がわかった!」ってあたりで、はい1年終了〜、お疲れ様でした〜お帰りはこちら〜ってのが、通例の美しいパターンだったりするわけだしね(笑) 

人生だって、多分そうなんだろうな。
死ぬ頃になって、「あ、なんだ、そうだったの?」と分かるという。ヤだけどなあ(笑)。