サウス・オーストラリア生活雑記





    3月号

    サウス・オーストラリア生活雑記


    テニス界のシンデレラボーイ

     1998年の世界プロテニストーナメントの皮切りとして1月5日からアデレードのメモリアル・ドライヴテニスコートで「オーストラリアン・メンズ硬式テニス・チャンピオンシップ」が開催されました。この大会でアデレードのウエスト・レイクにあるイマニュエル・カレッジの学生レイトン・ヒューイットが世界の強行を次々と破り優勝しました。

     レイトンは16歳と11ヶ月、この大会最年少の優勝で、これは1988年にマイケル・チャンが世界大会で16歳と7ヶ月で優勝して以来の記録です。またレイトンの優勝は25年前に、コンピュータによるテニストーナメント世界ランキングが出されるようになって以来の、最低ランキングからの優勝としても注目を浴びました。レイトンはこの大会の2週間前に出場が決まり、その時点では世界ランキング700位、大会出場時点で550位から、かつての世界No.1、現在世界ランキング110位のアンドレ・アガシ、全ジュニアテニス世界1位のジェイソン・ストルテンバーグを圧勝するという輝かしい栄光を作り上げました。

     このトーナメントはレイトンにとって2度目の大きな大会で、「こんな大きな大会に出場できる機会をもてただけでうれしくて、ただうまくプレイできればいいと思っていた。せめて2ゲームに勝てればと願った。今まで自分のアイドルだったアンドレ・アガシと同じコートに立てるだけですばらしい経験だと思った。」と感想を述べています。

     レイトンが初めてテニスラケットを握ったのは4歳の時、6歳になってボールを壁うちできるようになったレイトンを見て両親はプロのコーチをつけたそうです。そして4歳から12年間で記録に残る大胆で急スピードの優勝を果たしました。「本当に信じららない。」というレイトンは両親の承諾を得て、ハイスクールの最終学年である12年生には進まず、退学して世界を巡るプロのテニスプレーヤーになることに決めました。このメモリアル・ドライヴでの優勝で,レイトンの年収は$US7034から$US45,000に上昇したそうです。

     A$62,000のチェックを受け取ったレイトンは「お金は今の僕にとって重要ではない。ただ世界ランキングを上げること、そして今与えられた機会を大切にすることだけを考えたい。」と夢を膨らませています。年上のファンに囲まれ、サインを頼まれるまで自分がそんなに注目されているとは思わなかったというレイトンはアデレードでいい練習を積んできたから勝てたので、今のところここでトレーニングを続けていくことに満足しているそうです。
     レイトンの暖かい声援を送ってください。


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