ホスピス・緩和ケア特集(7)

寿    命 No3

2006年6月

92歳のマージョリーが末期の大腸がんで再入院してきた。前回、1ヶ月ほど前に尿路感染症で一週間ほど入院していた。

私はマージョリーの受け持ちナースだった。(ホスピスの看護はプライマリーナーシングで、患者さん一人一人に必ず受け持ちナースが付く。)今回、マージョリーは動きが緩慢になり食事量が減っったこと、また突然の嘔吐を繰り返すことから入院となった。マージョリーは一人娘のサンデーと暮らしていた。

マージョリーはグレーのショートヘアで、若いころ金髪だったのを思い出させる色を少し残してきれいに白髪へ変わっていた。小柄で身長は150cmくらい、童顔にクリッとした小さなブルーの目、すべすべした肌は、マージョリーを60〜70代にしか見せなかった。しかし、かなりの難聴で、ハスキーな大声で話すので、何だかいつも叱られているように感じた。

入院当初の2週間くらいは、日中はリクライニングチェアに座っていることが多かったが、徐々にADLが落ちほとんどベッド上の生活になった。それでも意識ははっきりしていて、部屋を訪問するとテレビを見ていることが多かった。

その頃はテニスシーズンで国際トーナメントが毎日のように入っていた。マージョリーがテニスを見ていたので、「テニスするんですか?」と聞くと「ああ、してたよ。あんたは?」と聞いてきた。「私はしません。」と言うといきなり、「馬鹿な子だね〜!」と言うので、「何でこんなことで叱られるの?」とびっくりしたら、テレビの画面をさして「今頃、あそこに立っていたかもしれないのに・・・。」と言ってニコッと笑った。全くかわいいおばあちゃんで、こちらも微笑まずにはいられなかった。マージョリーはこうしていつまでもユーモアを失わなかった。

徐々に食欲もなくなり、ほとんど何も口にすることができなくなったが、口渇が強く甘いジュースを細いストローで吸って、一日コップ一杯くらい飲んでいた。

このように、ほとんど何も食べず・飲まずとなると高齢の患者さんはすぐに不穏状態や混迷状態におちいるのだが、マージョリーは最期まで頭がしっかりしていた。もうほとんど話す元気もなくなり、目をつぶっていることも多く、意識がないのかな?と思っても、体位交換や清拭に行って、「これから〜を始めますよ。」と言うと、はっきりとうなずくのだった。

この頃、私は3週間の休みを取ってニュージーランドへ行くことになっていた。ホリデー行くときはいつも、自分がいない間にどの患者さんが亡くなっているだろう・・・?と考えてしまう。そしてその時、一番に思ったのは、マージョリーだった。私はマージョリーはたぶん長くて1週間くらいの命だろうと感じていた。

ホリデーが終わって、ホスピスの仕事に戻った私は、マージョリーが同じような状態で生を保っているのを知って、心底びっくりした。意識は依然にまして朦朧とし、言葉かけに返事をしないことも多かったが、時にははっきりと頷いて、痛みがないことや、のどが渇いていることを伝えてくれた。そして、まだ細いストローでジュースを飲む力が残っていた。

娘さんのサンデーは仕事を長期に休んで、朝から夕方遅くまで、マージョリーに付き添っていた。サンデーも疲れを隠しきれず、またマージョリーが部屋に一人でいる時に逝ってしまうのは可愛そうだと涙ぐむことが何度かあった。

私はこんなマージョリーを看ながら、「寝たきりで毎日どんなことを思ったり感じているんだろう・・・?」と考えずにはいられなかった。こうしてマージョリーは、私が仕事に戻ってから1週間と少しで静かに亡くなっていった。「本当に人の寿命というのは計り知れない・・」マージョリーの死をとおしてまた感じた。


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