シドニー雑記帳





ローマ字と英語




     今回は英語というかローマ字の話をします。
     日本人におなじみの「ローマ字」ですが、これって世界普遍的なものか、それどころか日本人以外にローマ字を使ってる人々がいるのかどうか、結構疑問だったりします。そもそもローマ字とは何なのか、一体どこの誰が考えて、どういう経緯で日本人の僕らがローマ字を使っているのか不勉強にして全然わからないのですが、とにもかくにも日本人にはかなり浸透しているでしょう。パスポートの氏名欄でもローマ字で書かれてますし。だいたい今だって「ローマ字入力」してますもんね。

     英語を習う初期の段階においては、ローマ字もそれなりにアルファベットの導入部分としては役に立つのでしょうが、ある程度の段階になると逆にローマ字が邪魔になってくるのではないでしょうか。そのあたりの話をしてみたいと思います。




     ローマ字も英語も同じアルファベットを使いますので、殆ど似たようなモンだという印象がありますが、これがかなり違う。もともと英語というのも一筋縄ではいかない言語で、イギリスすなわち大ブリテン島に住み着いていたいろんな民族が持ちよってきた複数の言語をミックスしたものらしく、かなりトリッキーな言語だと思います。法則性があるようでないようで、よう分からん。

     その英語をマジにやる段になると、どうもローマ字に引っ張られて妙な癖がついて苦労させられます。特に発音。違った読み方をしてみたり。




     まず最初に困るのは、ローマ字で表記された日本人の名前を、英語圏の人はローマ字式に読んでくれないということがあります。もうなんて読めばいいのか途方に暮れている場合もよく見掛けます。ローマ字に慣れたこっちからすれば、「そんまんま読めばいいじゃん」と思うのですが、僕らの「そのまんま」と彼らの「そのまんま」が、もう全然違うのですね。英語の世界では「こんなスペルはありえない!なんじゃこりゃあああ!!」というような綴りがローマ字ではバンバン出てきてしまうという。

     これは、一個イッコの発音が日本語と英語とでは全然違うということ(LとRだけでなく、全ての発音が違うと思った方がいい)もさることながら、音節の構造というか、母音と子音の組み合わせのパターンが全然違うというのが根本的に問題なのでしょう。ローマ字というのは、字こそアルファベットなのですが、構造的には純然たる日本語といっていいのでしょう。

     日本語の場合、一つの子音に必ず一つ母音がついて、T+A=「た」という具合になりますね。化学におけるH2Oのごとく、原子があつまって一つの分子になり、これが1ユニット=1音節(=1文字)として考えるという構造をとりますが、英語はそんなことないです。英語の分子構造はもっと複雑で、子音3個に母音1個で1ユニットという場合が多いです。これを「シラブル」というようですが、1シラブルが日本語でいう1文字・1音に対応するようです。

     例えば、Print(プリント)なんてのは母音はiだけですので(プ・ン・トも母音を含みません)、英語では1シラブルと考えます。日本人はこれをプ・リ・ン・トと4文字・4ユニットとして認識しますが、彼らはこれを1ユニット・1文字として考えます。だもんで、これをローマ字式にpurintoなどと書こうものなら、「ぴ?ぷ?ぴゅりーんとお?げっ、なんだこれ?長い単語」と思うでありましょう。




     英語ネィティブの人(に限らず西洋系の言語の人)と話していると、「日本人の名前はどうしてあんなに長いんだ?よくあれで覚えられるなあ」と不思議そうに言われます。こっちにしたら、英語の名前の方が「エリザベス」「オールドフィールド」「アレキサンダー」とかよっぽど長いじゃないかよと思ったりするのですが。

     彼らにしたらオールドフィールドなんてのは2シラブルですから日本語でいえば2文字、「原さん」とか「谷さん」くらいの短さにしか感じないのでしょう。大体、殆どが1シラブル系の名前(ジョンとか、グレッグとか)であり、長くても2シラブル。エリザベスなんてのは4シラブルもあるので例外的にかなり長いのですが、長いだけに面倒くさいから「ベス」と省略しちゃったりします。マクドナルドもマックォーリーも面倒臭いから「マック」にしちゃう。日本語でいう「山ちゃん」みたいなもんですね。

     英語圏の人と親しくつきあっている人には、勝手に名前を縮めて愛称のように呼ばれた経験を持つ人は、かなりの割合でいるのではないでしょうか。靖彦もヤスヒコなんてフルに呼んでくれなくて「ヤス」で終わりとか。まあ、日本人だって、シュワルツネッガーを「シュワちゃん」と呼んでるんだからお互い様ですけど。




     さてそんな感覚の英語人に、日本語のローマ字が襲うわけです。福島/FUKUSHIMAなんて半分死にそうですね。名前呼ぶ時には、「ふ、ふ、ふくぅしぃまあ?」みたいに、「ふ、ふ」の「つんのめり助走」がよくついたりします。日本の歴史かなんか専攻している人で、「八幡太郎源義家(HACHIMANTAROMINAMOTONOYOSHIIE)」なんか出てきた日には発狂するじゃなかろか。日本人の感覚に翻訳すれば、「アフリカから来たウキジャジョレルキニブクシオキさんです」と紹介されるような感じかもしれません。一発で読めないし、まず覚えられない。

     要するに英語人からしたら日本語というのは、やたら母音が多く頻繁にでてくるのでやたら1単語が長い感じがするし、メチャクチャ喋ってもちょっとの意味にしかならないわけで、結構疲れる言語なのかもしれません。そういえば、僕らにとって、ホンモノの英語ネイティブ同士の会話は超音速のように速く聞こえるのですが、日本語を習ってる彼らからすると、日本人同士の日本語は信じられないほど速く聞こえるそうです。




     さて、もう一つ重大な問題があったりします。それは、「ローマ字と英語とでは母音の発音が違う」ということです。これは誰も言ってないようですが(言ってるのかもしれないけど僕は知らない)、僕はモンダイだと思います。

     「えーそんなことないよ、「A=あ」でいいじゃん!」と言われそうですね。でも、本来、A=エイ(「エー」ではない)であって、いつもいつも「ア」と発音するわけではない。例えばAPECなんかでも「エイペック」と言いますよね。こちらの保険会社AAMIも「エイミー」と読みますし、レンタカー屋のAVISも「エイビス」です。確かにAで始まる単語は大体が「ア」と発音するけど、でも中にはable, asiaなど「エイ」と読む場合もあります。さらに子音とくっつくAは「エイ」である場合が多くなります。gate(門、ゲイト)、danger(危険/デインジャー)、name(名前/ネイム)、nature(自然/ネイチャー)、paper(紙/ペイパー)、radio(ラジオ/レイディオ)、safe(安全/セイフ)などなど。

     より正確には、aの後にくる子音とのコンビネーションで「あ」と読むか「えい」と読むかの大雑把な法則性がありそうですが、それはともかく、Aと書けば常に「あ」と読んでくれるというものでもなさそうです。

     「E=え」というのもクセモノですね。もともとは「イー」と発音するのですから。実際、expenceなどのex系は「エクス」ではなく「イクス」と発音するし、economyもエコノミーではなく「イ」コノミーだったりします。これ僕もそうなのですが、日本人は、Eが出てくると何がなんでも「え」と発音しようとするから、いつまで経っても「エコノミー」と間違ってるという。これもローマ字に引っ張られてしまっている弊害だと思います。

     最もモンダイなのは「U=う」でしょう。Uはもともと「ユー」でして、「う」と発音する場合というのはかなり少ないのではないでしょうか。Uで始まる場合、ほとんどが「あ」か「ゆ」だと思います。接頭語のunも「アン」と発音するし、upはアップ、useはユース、uglyはアグリー、uraniumuもウラニウムではなくユァレイニアムだったりします。だからUで始まって「う」と読む場合なんか殆どないでしょう。子音と結びついても、bus,duck,cube,future,gun,human,lucky,runなどなど、「う」と読まない。せいぜいruleのルールくらいでしょうか。だから、ウルトラマンも本当は「アルトラマン」が正しい。というわけで、ローマ字に引っ張られて多くの日本人は、Uがでてくると、実際には滅多に読まない「う」発音をしようとしてしくじってるのでしょう。どうしてUを「う」と読むことにしたのか分からんくらいです。




    さてさて、このような母音の発音感覚においては、日本単語のローマ字表記にしてみても、なかなか日本人の思ってるようには英語人は発音してくれないわけです。テンプラのことを「てんぴゅーら」と発音していたオージーがいましたが、その昔英語が未熟だった僕は「わざわざなんちゅう変な発音をするんじゃ」と呆れたものでしたが、よく考えるとそっちの方が英語感覚としてはナチュラルだったりします。第二シラブル以降のpuは「ぴゅ」「ぴゃ」と発音される場合が多いですから(computerはコンピューターであってコンプーターではないですし、Pupularもポピュラーですし)。

     したがいまして僕の名前TAMURAも、「たみゅーらー」になってしまうことが往々にしてあります。TAMURAを英単語だと思って読めば、「たみゅーらー」が最もナチュラルな読み方だと思います。




     そこで思うのですが、ローマ字なんか本来の日本語でも何でもなく、発音をわかりやすく伝えるための機能言語であるのですから、ローマ字で書いて、世界の公用語になりつつある英語式にそう発音できなかったら意味がないではないか、と。

     英語圏の人をして、タムラという日本語発音に最も近く発音させたかったら、スペルとしては、TAMLAあたりが良いように思います。「む」はUをつけずにM一文字でいいのではないかな。まあ、「む」というより「ん」に近くなるので「タンラ」になりそうですが、それでもどっかの異星人というかエイリアンみたいな「タミューラー」よりはマシです。

     「ら」はRAよりもLAの方が馴染みやすいように思います。というのは、RAで終わる単語ってそんなにないような気がするのですね。大体がRで終わりで(erとか)、最後のRにまた母音がくっついているケースというは稀ではないでしょうか。一方、LAで終わるのは、ゴリラとかゲリラとかで出てくるのでまだ馴染みがありそうです。そういえばゴジラもそうだったかな。より馴染みやすくするなら。Lを重ねてTAMLLAにするとかいう手もあるでしょう。それに「ら」音に関しては、LAの方がRAよりも抜けがよくて好きですし(音楽のラララ〜はLAですし)。

     どうしてもR音にこだわるなら、RAHにするとか。Tamrahとかね。インド人みたいだけど(^^*)。あと「む」をしっかり発音してほしかったら、MOOとすればいいでしょう。Tamoollaとかにすると、オーストラリアでは頻繁に見掛けるアボリジニ系の地名などでこちらの人は慣れっこになっているでしょう。ただそうしてしまうと、タムラの「ム」にアクセントがきちゃう可能性が高いので(「たむーら」になる)、日本語の田村に近づけるならば、Tamlaがいいのではなかろうか。これなら「た」にアクセントがくるので、かなり日本語の発音と違和感がないはずです。



     ちなみに、コウイチもですね、パスポートにはKoichiにされちゃってるのですが、これだと「コイチ」になっちゃう。普段はKouichiとUを入れてますけど、パスポートチェックなどが必要なときはパスポートに合わせてます。でも、日本語的に「こういち」と一発で読んでほしかったら、Caueach/CauichなりCoichでしょうか。chiでも最後のiは不要でしょう。「こ」音はC系の方が読んで貰いやすいような気がします。K系にすると、Kで始まるのは黙字が多いし(knifeとか)、またkoで始まる単語は少ない(コーランとかコリアくらいでしょ)。CauをCouにすると逆に「かう」と読まれやすくなっちゃうし。しかし、音の並びそれ自体が全く耳慣れないものなので、全然名前覚えて貰えないです。中国人がよくやってるように、最初からPeterとか全然関係ない英語名にすりゃよかったと思いますね。

     しかしパスポートはなんでローマ字式にやられてしまうのだろうか。あれ本人が自主申告でスペルをいうのだっけな?そこらへん法律で決まってるのだろうか。本当は、英語ネイティブの人に日本語の発音を聞かせて、英語で最も自然なスペルを当てはめてもらうのが一番いいとおもうのですけど。




     このように、母国語の表記を国際化するために便宜上アルファベットを充てるということは、日本人に限らずどこの国の人もやっています。しかし、それぞれの音に対応するアルファベットの充て方は、日本のローマ字と同じくらい「その国の奴以外法則性がよう分からん」という困ったものが多いです。

     例えば中国語、"Zhongguoren"なんて書かれても、どう読めばいいのかよう分からん。これで”ちゅんくおれん”と読めというのは、かなりキツくないですか?これを漢字に直すと”中国人”ということであっさり意味が分かるのですが。ちなみに「日本人」はRibenren(りーべんれん)だそうです。

     はたまた「大学生」のことを、Daxueshengというそうで、ダックスウエシェングと読みたいところですが、これで「たーしゅえしぉん」と読むそうです。

     そうなると僕なんぞが頭が爆発します。Dなのに「たー」、Zなのに「ち」だったり、さらにXなんぞで始められたらお手上げです。「なんでじゃあああ!」の世界ですが、おそらく僕らのローマ字も、英語圏の人が読めば同じように「なんでじゃあ」の世界なのでしょう。

     なんちゅう分かり難い表記をしてるんじゃ、と、他人のことだと良く見えるのだけど、自分らも似たようなものなのでしょう。また、中国の人にとってみれば、「どうしてこれでちゃんと読めないのか不思議」だったりするのかもしれません。彼らとしては精一杯分かりやすくサービスしてるのでしょうが、中国語の母音子音の分子構造の原理からすればこう書くしかないのかもしれません。大体、中国語の四声なんてものを、アルファベットの世界で表現するのは元来不可能なのかもしれません。

     ちなみに中国語のローマ字のことを、併音字母と書いてピンインツームーというらしいです。その分子構造は複雑で、日本語や英語のように母音と子音というシンプルな世界ではないようで、大きく声母と韻母に別れ、これがさらに語頭子音・韻頭・韻腹・韻尾と分解されるそうな。声母は21、韻母が39、総音節数は410あるといいます。この410を26しかないアルファベットで書こうとするなら、そりゃ複雑にもなるでしょう。日本語なんて50音しかないので(や行とか考えるとほんとはもっと少ない)、「母音+子音で一文字」なんて超シンプルなことで足りるのでしょう。

     横道にそれますが、日本語の母音子音の少なさが、日本人が外国語をやるとき発音やリスニングでアダになってくるような気がします。なんせ僕らの耳は50種類しか聞き分けられないように慣らされてしまってます。画面の解像度でいえば50ドットでしかない。母音に関していえば、「あいうえお」のわずか5ドット。それで中国語の410ドットを聞き分けろなんてのは無理な注文だったりするのでしょう。英語だって、数え方にもよりますが、母音の数だけでも20を超えるでしょう。これを5つの母音で統合しようというのは、そりゃ無理ってもんでしょう。だからカタカナ英語がいっこも通じないなんてのは、当たり前といえば当たり前です。




     さて、ローマ字に関する疑問でいえば、これの表記の方法にどんなルールがあるのかです。まあ、それなりにルールはあるのでしょうが、例えば福島の「ふ」はパスポートなどには、FUになってますが、これHUではイケナイのか。というか、僕が小学校の頃はHUだったような気がします。いつ変わったのだろう。もうHUは使わないのだろうか。

     また「つ」もTSUと書いたりしますが、Sなんか入れても英語的には無駄という気もしますが(どうせいれるならZの方がいいと思う)、Sを入れるのが「正式」なのでしょうか。だったら「普通」というのは、FUTSUと書くのだろうか?え、そうだっけ?という具合によくわからない。




     このローマ字の、なんとはなしのドン臭さを感じたのか、ローマ字をさっさと無視して成功してる例もあります。例えば、マツダ自動車。アルファベット表記では、MATSUDAではなく、MAZDAと書きますね。「つ」と読ませたければZとひとつでいいわけです。実際こちらの人も「マツーダ」と読めてます。これがMATSUDAだったら、「ま、ま、まちゅーだ?まっとしゅーだ?あれ」ということになってたかもしれません。何と読めばいいのか分からん車なんか別に買わんでもいいわということになって、微妙に売り上げに影響したかもしれません。ローマ字式から脱却して国際性を獲得した英断ではないかと思ったりもします。

     さらにマツダの巧いところは、日本での車名(ファミリアとか)を全部替えてしまって、MAZDA121、323、626、929と数字で割りきってるところです。しかも真ん中の2が、社名の真ん中のZとイメージ的にリンクして、非常に分かりやすい。よく考えているなあと思います。

     やっぱり、国際競争の最前線にでていると、「あ、こらローマ字なんかでやってたらアカンわ」とすぐに悟るのでしょうか。





     というわけで今回はごく軽い話題でした。

     日本語の文字・発音で思い出しました。「ゑ」「ゐ」「ヰ」「ヱ」など、今では殆ど使わなくなった平仮名というのは結構あると思います。入力コードにははいってなく、また僕もどう書くのかよく分からん仮名文字というのは他にもあります。その昔、明治時代の戸籍謄本などを取り寄せては、「ぐぐ、これはなんという字だ?」で年嵩の人に聞いたりしてました。

     僕の依頼者に「とな」さんというお名前の方がいて、これが「と」も「な」も「ううう」と油汗が流れるような、自らの浅学菲才を嘲笑われるかのような仮名文字でありました。あ、たしか、あの「と」の字は、割箸の袋に「おてもと」と書いてありますが、その最後の「糸」と「重」がゴッチャになったような字がありますが、あれがそうだったような気がしますね。ありますよね?割箸の袋に「え、「おても重」?なんだろこの字?」という字。あ、他にも、よく蕎麦屋さんのノレンに、「きそば」らしき文字が染め抜いてありますが、あの「ば」も難しい字ですね、「な」というか、「我」と書こうとしている最中に突如発狂して字がぐしゃぐしゃになっってしまったかのような字。

     聞くところによると、これらの旧文字も、本来発音が異なっていたとかいないとか。そういう意味では、「日本語の母音は5つです」なんていうのも、「20世紀のあたりの日本語は」という注釈入りで言うべきなのでしょう。




     また、同じ「あいうえお」の母音でも、方言によって微妙に発音が違うような気がします。津軽地方の「え」と長崎の「え」ではどっか違うのではなかろうか。そういや江戸っ子は「ひ」と「し」が同じとか、東北の人は「し」が「す」になるとか(「お寿司に新聞」が「オススにスンブン」になるとか)言いますもんね。東京弁と大阪弁の「あいうえお」も微妙に違うような気がする。言い回しやアクセントを幾ら似せても、母音子音の発音が違うから「よそ者」とすぐ分かってしまうとか、そういうことってあるのかもしれません。オシロスコープかなんかで波形をみたら面白いかもしれません、、て、もうとっくに誰かが研究してるでしょうね。

     でも、まあ、こんなローカル色は、段々薄れていくのでしょう。「標準語という名の文化破壊ツール」という批判を聞いたことがありますが、標準語が悪いのではなくて、悪いのは喋り方によって人を差別したがる人間の性根、ちょっとしたことで他人を馬鹿にして浮き上がりたいという浅ましい根性かもしれません。これは学校教育で、偏差値それ自体が悪いのではなくて、その偏差値の使い方が下らないだけだというのと似ているような気もします。偏差値そのものは、標準偏差を用いた純然たる統計手法であって、本来的に無色透明なものですし、科目間の不公平を取り除くための方法に過ぎない。偏差値が人を差別するから悪いのであれば、ゴルフのハンデだってヘタクソ度が一目瞭然なんだから差別ツールではないか。要は使い方ひとつの問題だと思います。

     また、ローカル色や多様性が影を潜めていくのは、なにがなんでも中央やら都会の方がエラいのだ、ススんでることはイイことだという、「進歩」「効率」やらを基本にした19〜20世紀の根本思想かもしれません。横にびらっと広がる多様性を面白がるよりも、タテに一本に統合して槍のように進んでいくという思考形態なのでしょうか。

     喋り方一つで人を区別して喜んでいるという下らない根性は、英語の世界にも歴然としてあるようで、本家イギリスで、クィーンズイングリッシュがどうの、ロンドン下町労働者階級のコックニーがどうの、スコティッシュがどうのとか嬉しそうに分類して、結局何がいいたいのかというと「だからワタシはエラいの。ホメて」というだけだったりする、下らなーいことやってたりするのでしょう。

     オーストラリア英語は、オージーイングリッシュでオーストラリア弁ともいうべき訛りがありますが、これが身についちゃうから嫌だという日本人も結構いますが、僕としては、好きでオーストラリアに住んでるのだから、ガンガンオーストラリア訛になっていいと思います。オーストラリアにいることが恥でもないし(そう思うなら来ないわい)、喋り方でそれが分かったとしても(まあそこまで英語が巧くなるのはいつの日だろうか)、「いや、そうなんですわ。いいところですよ、あそこは。はっは」と言ってりゃいいと思ったりもします。人生は短いので、そんなんで差別するような阿呆とつきあってる暇はないです。

     同じように東京生まれの東京育ちですけど、大学から関西だもんで、いまでは関西弁をベースにして喋ってます。岐阜にいたこともあるので、中部圏内のパーツも多少入ったりもします。古巣の東京にいっても平気で関西弁喋ってたりします。だって居たのは事実だし、そこに居たことを恥どころか誇りにすら思うので、訛っていても全然OKです。まあ、「誇り」と言ったら言い過ぎだけど、「いいだろ?」という程度の気持ちはあります。「訛った」というより「ヴァージョンアップ」と言って欲しいな、と(^^*)。

     しかし時と場合で、自分の喋る言葉が、東寄りになったり西寄りにするのですが、自分でもどんな法則性で喋っているのかよく判りません。「行けばいーじゃん?」というときもあれば、「行ったらええやん?」になるときもある。そうかと思えば「行ってみやあ」と中部ヴァージョンになったり。我ながら面白いですが、逆に意識を集中させないと最初から最後まで東京弁で喋り切るというのが難しくなっています。どっかで混じっちゃう。

     さらに、これに英語が混じってしまうという、益々昏迷の度を深くしている今日このごろです。無意識に英語が混じるというのは、さぞ英語が出来そうなイメージがありますが、別に大して英語が喋れなくても生じる現象です。寝言に英語が出るというのも同じでしょう。夢のなかで「あー、くそ、英語でなんて言うんだっけな」と汗かいてれば自然に寝言に出てきます。英語が出来るから寝言に出てくるのではなく、英語に困ってるからこそ出てくるのでしょうね。


    ローマ字についての補足
     この雑文を書き終えたあと、興味まじりにインターネットで調べてみました。さすがインターネットというべきか、ローマ字に関するホームページが沢山あったのでした。

     一番のオススメは、海津さんという方が個人でつくってらっしゃるhttp://www.eurus.dti.ne.jp/~halcat/roomazi/というホームページでした。他にも、財団法人日本のローマ字社、日本ローマ字研究会などなど沢山の団体があるのですが、これらの団体のホームページは今一つ要領を得ないといっては失礼ですが、昔の文献をスキャナーで読みとってボンボンと貼り付けてあるだけとか、会員にとってのみ意味がありそうな会合報告などばかりで、知らん人がぶらりと立ち寄って面白く読めるという感じではなかったです。まあ、団体のホームページにはありがちなことですが。インターネットに関する限り、法人よりは個人が、仕事よりは趣味でやった方が、質的に高くなるという原則はまだ生きているようです。

     で、「5月20日はローマ字の日」など、「ほお、知らんかったわ」というような新知識が 増えたわけです。前に述べた僕の疑問に答えるものとしては、ローマ字というのは1種類ではないということです。そりゃヘボン式がどーしたくらいは知ってましたが、あんなに種類があるとは知らなんだ。羅馬字会のヘボン式、田中館愛敬氏の日本式、訓令式、昭和29年内閣告示、ISO3602、英米標準、パスポート式、ローマ字会式などがあるそうです。

     パラパラと読んだ印象ですが、長音、撥音、促音などなど、日本語ローマ字も簡単そうにみえて実は、かなりややこしいもののようです。「ふ」がhuなのかfuなのかも各方式によって違うようです。で、結局どれが正しいのかというと、これだという決定版に乏しい感じです。パスポートは旅券法施行規則で「ヘボン式による」となっているのですが、伸ばす音の上に「−」ないし「^」記号がつかないのは外務省独自のやりかたみたいです。

     そういえば、日本語教師でもある柏木に聞いたことがあるのですが、オーストラリアの日本語教育法も昔はローマ字で教えていたのですが、最近では平仮名など日本文字と読みとを直結させて教える方向にシフトしているそうです。ローマ字から入った方がとっつき易くはあるのですが、それだけにワンクッション置いてしまうので、最終的な日本語マスターには結局時間が掛かるとか。

1998年06月27日:田村

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