シドニー雑記帳



No worries, 頑張らなくたっていいんだって






     最近、旧知の知人を含めて、メールを戴いたり、お会いする人のなかに「迷子の頑張り屋さん」をよくお見受けします。もともと努力家で目標もって頑張ってきて、それなりに成功を収めてきた。なのに、どうも充実感が得られない。本来は頑張って努力すれば、充実感、達成感といった幸福に導かれる筈なのに。それどころか、不安と焦燥にさいなまれ、指針の見えない人生のなかで迷子になっっている状態。皆さん、ホントに真面目でけなげに一生懸命やっているのに、どこか空回りしてしまう。

     こんな事例が度重なって、ふと考えてみたんですが、頑張ることによるマイナスの副作用もあるのかな、と。これは時代の影響でもあるのでしょう。高度成長期ならば、頑張れば頑張った分だけご褒美がもらえる社会構造だったら、頑張り甲斐もあった。バブル時代ならば物質的な豊かさによってご褒美もらっているような気になれた。が、今はそう単純な右肩あがり志向あるいは物質至上主義だけでは現実的に割り切れないものがある。

     かといって、頑張っていないと生きてる実感は湧いてこない、でも頑張る対象が見つからない。あるいは、以前と違ってなんかもう、やる気が起きない。だらだらしがちな自分に焦りと罪悪感を持ってしまう。あるいは、努力の結果がなかなか出ないことに、苛立ったり落ち込んだり。極端な例では、「結果が出せないのは努力が足りないからだ!」とどんどん自分を追いつめてしまって、ついには身体が気持についていけなくなり、精神的ストレスから肉体的にも病気になってしまった、なんて話も聞きます。




     私も日本では相当な頑張り屋さんでしたから、なんとなく分かるんですね。もっとも、当時はあまり意識していなかったのですが、ハタから見るとそう見えたようですし、今から思えば無意識のうちに自分自身にプレッシャーかけつつ、ガンガン前進していたんだと思います。学生時代も就職してからも。一時は精神ストレス病にもかかりましたし。

     特に、オーストラリアに来る直前の2〜3年は、「前に進まないくらいなら、死んだ方がマシだー!」という飛ぶ鳥落すくらいの勢いでしたもんね。そんな中で、頑張っても頑張っても心は癒されず、何を対象に頑張ったらいいのかもよく分からず、空回りしているうちに、「この方向性はなんか違う」と気付いた。もっと本質的なものを求めるようになったところ、行き当たった手段が「渡豪」だったという。

     オーストラリアに来るや、うってかわってノホホン生活、頑張るのもパタッとやめちゃいました。この転換はもう180度といっていいくらい、クルリと変わりましたね。といっても、急激に変わったわけではなく、時間をかけて変わっていったのですが。


     当時の自己分析をしてみると、どうも日本にいる頃は「なにかDOしてないとダメになるぞ」といった焦燥感があったようです。ひとつの目標に到達すると、次から次へと新しいことにチャレンジしてしまう。別にやらなきゃイケナイことでもないのに、「やらなきゃイケナイ」と勝手に自分に課してしまう。とことん、とことん、突き詰めようとしてしまう。で、やっている時にこそジェットコースターに乗ってる瞬間のような、快い興奮と充実感が得られるという。振りかえってみれば、あれは一種の「DO中毒」だと思います。本当の自分、ナチュラルな自分が掴めていないから、「DO状態の自分」にアイデンティティをすりかえて、依存させていたんじゃないかと。

     ただし、幸いなことに、私の場合は「努力の結果が出ない」と感じることはあまりなかったので、そういう意味での苛立ちストレスはなかったです。いつも努力の結果が出たわけではないけど、「努力の結果」が直接的に即効性をもって出てくるとは、もともと期待していなかったんでしょう。そういや、なにか具体的な身近な目標があって、そこに到達するために努力するということはあんまりしたことありません(大学受験くらいか)。

     私の目的は「充実した生活」みたいな曖昧で深大すぎるテーマだったので、目先の目標というものにはあまりこだわっていなかったようです。それより、今やってる努力は、長い熟成期間を経て、廻りまわって別の形をとって役立つものだったりすることを、経験上知っていた、いや、あれは本能レベルで察知していたのかな? 結局、「どんな努力にも無駄はない、それを生かすも殺すも自分次第」ってことなんだと思います。とにかく、目先の目標にこだわるあまり、努力の成果が出ないことに苛立ったり落ち込んでしまうということは、なかったです。

     でも、とにかく焦燥感はバリバリありましたね。「なにかしていなくちゃイケナイ」「頑張らなくちゃイケナイ」という焦り。ノンキに寝坊や昼寝なんかしようものなら、「怠けてしまった」という罪悪感と、「時間を無駄に過してしまった」という焦燥感が襲ってくる。考えてみれば、「いつも走り続けていないと、心臓止まっちゃう」みたいな脅迫観念がありました。でも、あの脅迫観念が単に妄想であったことは、オーストラリアに来てハッキリ分かりました。無気力だろうが、怠慢だろうが、寝坊しようが、心臓止まんないんだってば。ちゃんと生きていける、それも心豊かに、もっと自然に、もっと自由に。

     オーストラリアに来て悟ったのは、「人間の本来の姿はBEの状態にあるのだ」ということです。「DOしてる自分」は、自分(BE)というアイデンティティのほんの一部に過ぎないのです。その大前提に、まず自分が「在る」。この感覚は、大袈裟にいえば、「大宇宙に私という生命意識が存在する」みたいなもんです。実存主義じゃないですけど、「在る」というだけ、つまり「自分が生きている」というだけで、それでいいんだ、それこそが事実なのであって、BEの自分こそがナチュラルなのだ、ってことが分かってきました。そして、ナチュラルで「在る」自分こそが、もっとも充実した状態であり、ハッピーのモトなんだってことも。

     えー、どういうことかといいますと、現在の私は非常にのほほんとした怠惰な生活を送っております。そのことによって罪悪感、焦燥感、劣等感といったネガティブな感情が襲って来ない。それどころか、精神的には非常に満たされています。今まで生きてきて初めて、ようやく、ナチュラルな自分になれた、という底辺に流れる静かな喜びがあります。「これが5年前に渡豪してきた、本当の目的だったのか!」と開眼したくらいです。「そんなアホな」と思われるかもしれませんが、本当なんですよ、これが。





     どのくらい今の状態がノホホン生活かをご理解いただくために、私の日常をご紹介しましょう。

     えー、まず朝には起きません。起床時刻は早くても10時、ふつうは昼から起きだします。

     私は昔から典型的夜型人間でした。特に書くことを仕事(というか、趣味の領域を出ていませんが)だと、文筆活動に必要な脳味噌が活発になるのは夜12時を過ぎてからだと思うんですよね(科学的に立証されていないのだろうか?)。とにかく、私の場合、朝から眠いの無理して起きて働いても成果は出ません。効率よく仕事しようと思えば、昼まで寝ていて、夜中に仕事する方が適しているわけです。

     といっても会社勤めしていたら、そんなこと言ってられません。フレックスタイム制度を最大限利用しても、朝10時までにはオフィスに着席していなきゃならないから、8時半には起きなきゃならない。それがイヤだから、本当にたまらなくイヤだったから、「朝起きなくてもいい生活」を獲得したかった! 晴れて、それを堂々と実行できる今の生活がなんと快適なことか。

     さて、ベッドから抜け出したら、入浴です。アロマバス、クレイバス(←最近ハマっている、冷え症が改善された)につかり、湯船の中で1時間くらい本を読みます。それから、ごはんを食べて、お茶を飲みつつ、コンピューターの前に座ります。メールを一読し、緊急のものだけ返信します。ここまで終わったところで、1時は過ぎています。

     この頃になると「第一次昼寝」を終えた田村が出てきて、「今日の晩ごはん、どうしよっかー」「なんたら学校にパンフ取りにいかないとねえ」「今日はアロマの発送しなきゃ」と打合せ。出掛けて帰宅すると4時過ぎ。晩ごはんづくりに取り掛かります(この間、田村は第二次昼寝)。6時になると、我が家唯一のまっとーな社会人である夫ラースが帰宅し、ごはん食べて、片づけて、一服してからピアノを弾きます。夜のメールチェックをし、返信書いたり、事務処理を済ませたところで、9時頃になってます。日によっては英語の勉強のため!と、テレビやレンタルビデオを見たりもしますが、ぼーっと過したり、たわいもないおしゃべりしているうちに時間が過ぎてしまうことが多いです。

     そんなこんなで、ロクに何もしないうちに一日が終わります。調子が乗ればこのあと夜中にかけて書き物をするわけですが、最近は気が乗らない。11時過ぎになると、ヨガストレッチをはじめて、「今晩のアロマのレシピ」を考えながら、ベッドルームに引っ込みます。おお、計算してみると、1日10〜12時間は睡眠にあてがわれていることが分かりました! 人生の半分を寝て暮らしているわけです。

     えー、こんなノホホン生活に、とても満足しています。これが今の私にとっては最もナチュラルな生活であり、必要があってこうしているのだとすら思います。

     そりゃ、時には、「将来の不安」も襲ってくることはあります。ありますが、その急襲頻度も時間とともに減ってきました。日本でコレやってたら、周囲からの冷たい視線も気になったり、罪悪感も残ってしまうでしょうが、オーストラリアはそれをニュートラルなまま受け入れてくれる環境があります。というか、そういう環境を作りやすいんですね、もともと知り合いも親戚もいないから、付き合う人は自分で選べるし、私らはここではガイジンなので外からの既成概念が通用しない環境にいられるわけです。




     では、なぜこんなノホホン&レイジー生活をまるっぽ正当化できるのか?という話に移ります。

     私、渡豪して5年になりますが、あの頃は「なぜオーストラリアに行くのか?」なんて考えても答えは出ませんでした。そりゃ、周囲説得用の理屈ならいろいろありましたが、本質的な理由については疑問符のままでした。ただ、自分の底にある原始感性(フロイドの超自我、深層心理みたいなもんかな?)が「絶対行くのだ!」と強く命令するので、それに従って来ただけのことです。「このままじゃダメだ、どっか違うところに行く必要がある」という、ほとんど警告みたいなものでした。

     今から思うと、やっぱりあれは正しかった。なぜかというと、あの日本での自分を一旦クリアして、再起動かける必要があったからです。あの「行け行けどんどん」のDO至上主義を継続していたら、私は文字どおり爆発していたことでしょう。新しいアプリケーションをどんどん立ち上げていって、RAMがパンパンになって、ハードでもバックアップできなくなって、CPUごとイカれる寸前にいたようです。自分の中のバブル崩壊みたいなもんでしょう。

     でも渡豪後すぐに、再起動が成功したわけではありません。オーストラリアに来たら来たで、まず仕事がない、やることがない、貯金は減っていくばかり。当然焦ります。ようやく見つかった就職先でも、日本にいた時と同じような指向性で臨むと、全然充実感は得られない。ここでの仕事は、日本に比べたらルーズだし、レイジーだし、日本の感覚で力入れてやっていたらブチ切れるのも時間の問題です。仕事に人生賭けようなんて自殺行為だし、かといって年季の入ったレイジー・オージーと同じように余暇やファミリーを重視したライフスタイルに徹することも出来ず。日本人の同僚のように、昇進してお金貯めて家買って・・・といった物質的向上指向にも馴染まず。で、割り切れないまま、結局、会社勤めも辞めちゃう。

     で、以降はAPLaCに専念。昔の自分なら「今注目のSOHOだ!、インターネットビジネスだ!」と盛り上がったかもしれませんが、日本から持込んだお金はほぼ底をついてるし、収入ゼロですからね。アロマの通信販売はじめたところで、そう簡単にお客さんが来てくれるもんじゃないです。朝起きなくてもよくなったのはサイコーに嬉しいけれど、預金残高は確実に減り続けるわけです。自慢じゃないけど、2年ほど前から私の個人預金残高は常に1000ドル前後で推移しております(でも、それ以降一定水準をキープしているのだから、驚異&感謝)。

     ふつう焦りますよね。「この先、どうなっていくんだー」と。かといって、「やっぱ仕事探そう」とか「もっと頑張ってAPLaCを発展させよう」という方向性にはなぜか向かわなかった。いや、時には真剣に検討したんですが、実行に移すには至らず。なぜかといえば、そりゃもう「レイジーだから」です。頑張るのは面倒臭いし、このままでもどうにか生きていけるみたいだから、ええい、この際本当に路頭に迷うまで放っておこう!と。(ちなみに、一応路頭に迷った時のために、街頭芸能のネタは準備してきました)

     逆説的ですが、ここで、思い切って怠慢な自分を許せた、認められたところが、ひとつの転機だったと思います。日本にいた頃の自分だったら、「わたしって怠惰、こんなんじゃダメダメ、ちゃんと仕事しなきゃ」で、とっとと就職していたでしょう。この大胆なコペルニクス的転回をなさせた環境こそが、オーストラリアの偉大さであります。ここに、オーストラリアに来た意味がある。日本だったらまず出来んかった。

     ちなみに、「転機」といってもある時突然コロッと切り替わったのではなく、時間の経過とともに迷いながら、悩みながら、徐々に徐々に、変わっていったんですけど。

     それに焦りも将来の不安も、長いこと付き合ってたら、いつしか慣れてしまうんですね。「将来のことは将来の自分がなんとかするわい」という。いよいよどーしょーもなくなったら、生活くらいどうにかする力も覚悟もあるわい、と。まあ、要するに、開き直ったんでしょうけど、開き直りもとことん突き詰めると、ほとんど「悟りの境地」に至りますね。なぜ、そんなにスコーンと突き抜けられたかというと、

    • 自分の気に入ったライフスタイルで、好きな程度に好きな仕事をして、それなりに生活できりゃ、それでいいじゃないかということ。つまり、お金がなきゃないなりの生活をしていれば、なんとかサバイブ出来るのですね。日本と違って、見栄や義理や付き合いで出費が嵩むこともないし、生活コストはやっぱり安いですから。こんなんで生きていけるなら、こんなにハッピーなことはないではないか、という。

    • 怠惰なようでいて、放っておいても好きなこと、やりたいことだけはコツコツやってる自分がいることを発見したこと。そう、日常生活はレイジー以外のなにものでもないのですが、例えばアロマセラピーだけはしっかり地道に積み重ねて研究・学習していたりするわけです。自然に探求心が湧いてきちゃうんですね。結果的には、専門学校行ってプレッシャー感じながら長時間費やしてレポート書いてテスト受けるより、私には向いていたと思います。期間的には時間かかっても、勉強に費やしている実質学習時間をベースに考えたら、効率よく学んでいるでしょう。

      それに、ピアノもヨガもなんだかんだで毎日継続しています。別に「やらねばならない」というプレッシャーがあるわけでも、確たる目的があるわけでもないのに。人間、好きなことは放っておいても熱心にやってしまうものなんでしょう。

      実は、最近になって何故ピアノやヨガやアロマを続けてきたのか?の回答らしきものが得られたような気がしたのですが、文章化すると「なんか違う」ので、もう少し温めてから再度書いてみたいと思ってます。

    • 商売に関しては、いいものを追求し、質のよい商品を提供していれば、やがてお客さんは付いてくるという信念があること。昔、商品開発してましたから、いくら商品力があっても「戦略」なくしては売れない現実はよく知っています。それでも本当にいいものは、品質をキープし続けること自体が「戦略」になるのも、ひとつの事実。但し、時間はとってもかかるし、それまで品質を本当にキープし続けられるか?が勝負なんですが。

      まあ、この点は、「好きなことは放っておいても熱心にやってしまう」ことでカバー出来るはず、という甘い目算でクリアしています。つまり、今は赤字でもいつかブレイクする日が来るに違いないという、「APLaCの将来に対する、根拠のない自信」があるわけです。正直いって「こんないい加減な自信、持っていいのだろうか?」という素朴な疑問は今もってあります、はい。でも、深く考えてないし、心の底では「別にブレイクせんで、このままでもええやん」と思っていたりするのがホンネですね。

      ちょっと脱線しますが、私、名誉欲とか金銭欲とか、いわゆる現世欲と言われるものにはとんと興味がなくなっちゃいました。地位や名誉を獲得してエラくなること、お金を儲けて物質的に贅沢な生活をすること・・・。「うーん、それってそんなにいいかあ?」という。

      というのは、「一度ある程度までやっちゃったから、もう分かった」んでしょう。生意気に聞えるかもしれませんが、日本にいる頃、「これ以上この路線で上がっていっても、得られるものは知れてるわ」というのが、ある時ふと見えちゃった。バブル全盛期に東京でDINKSしてましたから、ちょっとした成り金状態を味わいましたし、キャリアとしても、まあいいセンだったし。それでも精神的に満足できなかったから、オーストラリアに来たわけです。更に相棒田村が弁護士だったのにオーストラリアくんだりまで来ちゃったという事実も影響してます。「なんだー、弁護士になっても精神的な満足度はその程度なのねー」というのが近くから見えちゃった。

      だから、APLaCが有名になって繁盛して・・・みたいな夢はもともと描いていないんですね。「好きなことやりながら、生活できたらいいね」ってなもんです。だから「ブレイクせんでも・・・」と怠惰路線に傾いてしまうという。時々、田村とも「このままでいいのか?! APLaC論」は冗談ながらにやるのですが、「バカ正直にお節介メールなんか書いてないで、しっかりお金儲けよう、投資してマーケティングもしよう、コネつけてエラそうなタイトルつけてハクつけよう」と具体論になると、もう力なく笑ってしまってオシマイという。いいんだか、よくないんだか、分かりませんけど(^^;)。

    • そして、もう1つ。この理由が私にとっては核心部分なのですが、「このレイジー生活は、今の私に不可欠なもの」という確信があること。いくらなんでも、このレイジー生活が一生続くとは思っていません。今まで日本であくせくDOの焦燥感に追われてきた私は、一度すべてをクリアして、BEの自分を確認し、ナチュラルな姿に戻る必要がある、と思えるんです。一旦ナチュラルな状態を認識できたら、今度はナチュラルなままでDO状態に入れるのではないかと。以前はDOオンリー、渡豪したことで一旦BEオンリーになった。で、次のステップはBE+DOというわけです。

      このDO+BEフェイズが本当にやってくるのかどうかは分かりません。このまま怠惰な一生を終えるのかもしれないし(おお、でもそれもイイかも)。が、BE+DOフェイズに進むためには、今ここで思い切りBEしておかなきゃダメなんじゃないか。そのためにオーストラリアに来たんじゃないかって思えるんです。一種のリハビリテーションだったんでしょう。

      変な話ですが、これは頭で考えた理屈とは違って、渡豪の必要性を叫んだ原始感性レベルから発せられるメッセージだったりします。そういや、オーストラリアに来て以来、こういう自分の内面の声にはずいぶん敏感になりました。そして、この声にさえ従っていれば、間違った方向にはいかないぞ、という確信があったりします。まあ、科学的証明があるわけではないので、どこまでホントが分かりませんが、自分の原始感性には信頼を置いているので、結果的に大損しても失敗しても自分では納得できる人生になることでしょう。




       というわけで、すっかりレイジーなノホホン生活を正当化している近頃のワタクシであります。お金はないけど、心も生活も豊かです。実に、贅沢なことだと思います。

       が、やっぱりね、ちょっとは良心がうずくのですよ。「世の中には大変な思いをしている人たちが沢山いるのに、アンタ一人、そんな贅沢してていいのかね」という。そうなんです、このままでいいワケはないのです。いずれ、動き出すことになるのでしょう。でも、今は焦らないで、BE確認作業をしておく必要がある。次のステップが来たら、自然とDOアプリケーションが起動しだすから心配しなくてもいいんだって、自分に言い聞かせています。

       余談ですが、よく「世のため、人のためになる人間にならねば」という道徳的教訓がありますが、私、「世のため人のためになります!」という人は実はあまり役に立たないと思います。といっても、そのように豪語する人が役に立たないと言ってるのではなく、意識と行動力のバランスが問題なのですが。本当に世のため人のためになる人は、そんな意識もないままに自然と行動を起こしているんじゃないかと。意識があるにしても、その意識よりも行動力の方が勝っているのではないかと。

       これは、阪神大震災の時に神戸にボランティアに行った際にさんざん感じたことですが、「世のため人のためになろう」という意識が大きくなりすぎると、「世のため人のためになっている自分」をアイデンティティのつっかえ棒にしてしまうリスクがあるようです。自分のエゴは満足しますが、下手したらボランティアを受ける立場の人たちに「善意を押し付けてしまう」ことにもなりかねず、自戒していました。

       今でも時折「私は世のため人のために何が出来るんだろう?」と考えてしまうことがあるのですが、こういう発想はよくないなと考え方を切り替えるようにしています。それより大事なことは、自分自身がナチュラルでハッピーでいることなんだって。ハッピーじゃない人は他人に対してなにも出来ないばかりか、周囲に害を撒き散らしてしまいます(過去の私その1)。ナチュラルでない人も余計な力が肩に入って、思わず他人を傷つけてしまいます(過去の私その2)。

       だから、ナチュラルでハッピーでいることが一番大事。自分自身も気持ちよく、他人にもプラスの影響を与えられる、自他共有の利益をもたらす最高の状態なのではないかと思っています。

       というわけで、「ノホホン生活実行委員会」から、「迷子の頑張り屋さん」へのメッセージでした。


      頑張らなくたっていいんだってば、No worries, mate!!




1999年6月27日:福島

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