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シドニー雑記帳



とほほの Living Alone




     ムダに大きな家での一人暮らし、いよいよ三週間目に突入しております。ああ。

     よくヨーロッパの物語や偉人伝などに、大きなお屋敷に一人で暮している老人なんかが出てきますが、あれ、エライもんですね。尊敬しますわ。テレビもビデオも雑誌もインターネットもないのに、何やって暮してるのでしょうね。高尚に文学を耽読し、芸術を愛でていらっしゃったのでしょうか。まあ、あの頃は世の中全般がそんなもんだから、「そういうもんだ」で皆さん暮してたのかもしれませんが。

     ひとり暮らしは慣れてますしキライじゃないですけど、もともと4人(プラスアルファ)暮らしを前提にした間取りとシステムになってるところに、ぽつんと一人というのは詰らんもんです。最初から一人暮らしということがわかってたら、それなりに住まいもライフスタイルも選びます。ワンベッドルームで十分。なんやかんやと色々な集いに顔出したりしてるもしれませんし、ぶらりと車にガソリンと水積んでこの大きなオーストラリアの「どっか」に旅に出るかもしれません。あ、いいな、それ。

     しかし、まあ、どっか行こうにも、猫もいる、郵便・小包も来る、月々の支払いもあれこれ来る、電話も掛かってくる、メールも来る。自分の分だけではなく、あと3人分来ますもんね。メールも一日溜めると後がしんどい。今日も皆の口座から金引出して家賃払いに行ったわけですが、誰がどのキャッシュカードで暗証番号はなんだったのか混乱しそうであります。そうこうする間も、ヌカミソは毎日かきまわさないとならんわ、あ〜あ、電球がまた切れた。ああ、そろそろこのカーテンも洗濯せなならんわ。おお、洗剤がもう無いじゃないか。このホウ酸ダンゴ効いてるんかなあ。僕一人だったら、こういう暮らしはしてないでしょうな。

     んなこと書いてたら、お向かいのオバサンがやってきて、「表の道路で撥ねられたのお宅の猫じゃないかしら?」と言いに来てくれました。「げげ」と思って、一緒に見にいって、既に暗くなった道で、「黒くて小さい猫ですか」「そう、black, tiny one. でもおかしいわねえ、居なくなっちゃったわ」とか、ひとしきりやっておりました。結局、その人の勘違いで、ウチの猫は元気に戻ってきましたけど。




     さて、そんなボヤッキーはさておき、こないだから続いているシドニー水道騒ぎですが、もうすっかりワヤでんがな、という状況です。先週末、待望の「オールクリア」宣言が出たと思ったら、その日のうちに「クリアは止め!あと2週間辛抱せえ」という、「そんな殺生な」ということになりました。それまでずっとテストの結果がOKだったのが、クリア宣言が出るのを見計らったように、微生物(クリプトスプローディアム)が大量に発見されたそうです。こないだの「今週の一枚」でも登場したワラガンバダムの原水で検出されたわけですが、そこに現れたクリプトちゃんご一行様の濃度が、最初の警告の時の10倍の数値だったりするそうです。

     このクリプトちゃんは、何もシドニー専属ではなく世界中にいるようで、数年前もアメリカのミルウォーキーで騒ぎになったそうです。そのときは、まあ色々な数え方があるのでしょうが、死者100名、被害者40万人以上とかいうシャレにならない状態だったそうな。「ほんまかいな」と思いますが、そう書いてある新聞があります。で、今回の数値はその時以上だったという。まあ、処理前の数値ですから高くても当たり前ですが(浄水処理後がガクンと減る)、当局が「Gosh/げげっ」と思って、いきなりクリアサインを撤回して「徹底再調査2週間」を宣言するのも止むを得ないかなという数値でありましょう。




     しかし、2週間経てばOKなのかというと、それも怪しい雲行きです。気の早い新聞は、既に「向こう半年は駄目」とかいう暗あい見とおしを書き立てたりしてます。とにかく出現の仕方に法則性がなく、いくら調べても「ははあ、ここがアカンわけね」という原因がつかめない。前述の高数値も、それまでの1週間は殆どゼロレベル、それがあるとき百リッターあたり1万とかいう無茶苦茶な数が検出され、その後また殆どゼロになってるという。だから一応の推測としては、均一に汚染されているのではなく、局所的に大集団がいるのだろうということですね。

     で、いま取り沙汰されている推測としては、この8月の豪雨がイケナイのではないかと。以前にも書いたと思いますが8月は異様に雨が降りました。記録破り。6年続きの干ばつ気味で、それまで貯水量の60% でしかなかったワラガンバダムは、この雨で一気に保水量100%になりました。何年かぶりの満タンです。そのときは皆も喜んでたのですが、それがいけなかったのではないかと。ダムの周囲は広大な自然林が広がってますが、その土には動物の死骸やら糞やらの汚物もあります。普通だったら適当に雨で流れ、適当に分解されてたのでしょうが、それまで雨量不足で溜まってたものが、一気に流れ込んでしまったと。そして、クリプト一家があちこちに点在することになったのではないか、ということですね。

     ワラガンバダムの貯水量は、シドニーハーバーの約2.5倍だそうです。ハンパじゃなくデカいわけです。そこに顕微鏡レベルの微生物(なんせ1ミクロンの網も通り抜けることもあるという)が、ぽつん、ぽつんと集団でおられたって、ハッキリ言ってどうしようもないですよね。1万個体いたところで、1ミリほどの大きさにもならんのではないか。で、「どうしよう?」と当局も困ってるいるのでしょう。

     もちろん「困ってます」で済む問題ではなく、当局も必死でやってるようです。今回の2週間延期以前にも、既に水道局を被告とした訴訟の気配は濃厚ですし、州政府は一世帯につき迷惑料として一律15ドル返還を約束したりしてます。「出来ません」で済む状況ではない。海外から一流どころの専門家を招き、組織の増強立て直しをし、あれこれ対策を検討しているようです。

     ただ前述の豪雨説も一つの可能性に過ぎませんし、そうじゃないかもしれない。だいたい最初の警報は豪雨が始まる前だったし。水道本管自体がもうガタがきてるんだとか、もっと目の細かいマイクロフィルタレーション(微細濾過網)をインストールすべきだとか、そもそもダム周辺の森林の警備員とかをドカドカとリストラしたのがいけなかったのだとか、いろんな意見が出てます。




     状況は深刻になってるのに、ニュースの扱いは段々小さくなっていってます。既に先週から、来る10月3日の連邦総選挙の選挙活動が大きく取り上げられ、またコモンウェルスゲームが開幕だとか。あの、コモンウェルスゲームって知ってます?大英帝国の名残というか、英国連邦(コモンウェルス)の国々がやるスポーツ大会ですが、コモンウェルスでない国(もちろん日本も)では殆どシカトされてると思うのですが、その内部では準オリンピックみたいな騒ぎになったりします。そこへもってきて、ロシア発の金融危機だ、世界恐慌だ、NYダウが下がった、また上がった、もうジェットコースターではなくてトランポリンだとかやってるわけです。変り映えのしない水道ニュースなんぞ、後ろのほうに押しやられてしまってます。で、結局こっちとしては、水道局のホームページで最近の検査結果を逐次載せてますので、それを見てるのが一番早いし正確かなといったところです。

     とりあえず9月19日まで「湯冷まし令」は続くわけですが、現在のところ健康被害の報告はないようです。「あったあった」と個人的に訴える人は、ラジオのトークバック(視聴者が電話してくる番組)でいるようですが、無作為抽出で調査してる分には、影響のないエリアとそんなに下痢してる人の数値は変らないとか(2%だっけな)。で、GP(ゼネラル・プラクティショナー、何かあったとき一番最初に行くお医者さん)などにも協力を仰いで、広範囲に症状発生の経過を見ようということですが、「でも、皆湯冷まし飲んでるなら病気なんてならない筈じゃないか?そんなん調べてどうする」という根源的なツッコミも入ってたりします。

     こうなってくるとダレてきます。この程度の微生物はもともと自然界に当たり前に存在するのだし、その程度摂取したって人間どうにかなるもんじゃない、一応濾過もしてるのだから、あとはもう飲むか飲まないかは個人の判断に委ねたらどうか?という意見もあったりします。また、最初っから警告無視してガブガブ飲んでる人もいたりするそうですし、平常時から大事をとって湯冷ましを習慣にしていた人もいるようです。でもって、日々の検査結果は先週末の異常数値を最後にゼロレベルが続いてたりします。それ見てると、「なんだ、別に昨日も飲んでも大丈夫だったんじゃないか」という気もしてきます。

     まあ、もともと警告が出てるときも、全体のほんの一部の水質検査で発見されたという程度ですから、圧倒的大多数は別にキレイだったんでしょうね。そんな心配することもないよな〜、でも、もしかして今自分が飲んでる水が「アタリ」だったらヤダな〜、というロシアンルーレットまがいの状況だったりもします。

     そんなこんなで、これといった進捗のないまま、「羹に懲りて鱠を吹く」派の人と、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」派の人とで別れていくんじゃなかろうかという気もしますね。一応、大事をとって湯冷まししてますし、人間何でも慣れちゃうもので、慣れればそう面倒でもない。ただ、これで皆帰ってきて、また4人分の料理だ皿洗いだということになると、ちと厄介だなという気もします。





     話題、変えます。前回、前々回の雑記帳の記載に関して、この間いろいろメールを戴きました。ありがとうございました。

     一つはこちらに在住されている方々からで、「その宗教の勧誘の人、うちにも来ました」「あ、私のところにも」という類のものです。おもしろいですね、こうやって情報が集まるのって。ある方は、「電話帳から日本人らしいなまえを当たっているのではないか、最近は電話帳CD−ROMで検索もできるし」というサジェスチョンを戴きました。これ、前回言い忘れたのですが、ウチ電話帳に載せてません。いや深い理由はないのですが、何となく載せそびれています。今の住所も、その前も。でも、やってきました。で、最初のときは電話帳載せてましたが、このときは来ませんでした。だから、ウチに関しては電話帳ってことはないと思うのですが、でも一つの手段ではありますよね。向こうさんだって、複数の探査方法を併用しておられるかもしれないし、いや、むしろしてると考えた方が自然でしょうし。

     ある方の場合は、電話が掛かってきたそうです。で、どうして電話番号知ってるのですか?と尋ねたら「1軒1軒家を訪問して日本人がいそうなところは日本人が対応してる」とのことでした。この方も付言しておられましたが、しかし、その方法では電話番号までわからないのでは?という疑問は残りますね。

     また、「住んでおられるエリアに日本人は自分だけ」という地域においても来たというご報告もありました。うーん、電話番号知ってたり、すごい情報網なのかなあって思っちゃいますよね。




     しかし、皆さんがお話しした方と、僕が会った方とで同じ人/同じ宗教なのかという問題もあります。僕が今回と前回お会いしたお二人は、うーん、2年以上の歳月を隔てているので確かではないけど、どっちも中年の男女2人だったし、物腰雰囲気は似てました。さきほどの電話の方は、「温和な感じの中年と思われる女性の方」とお書きになってられるので、同じ人なんかなあと思いますけど、まあ断定はできませんよね。ただ「昨今起きている悪いことはみな聖書に書かれています」という導入部分は僕も同じでしたから、直感的には同じ人かなという気がします。

     ま、別に布教活動そのものについては、それはもう信教の自由ですから問題ないです。ただ、訪問を受ける側においても、話を聞くか、お引取り願うかは、その人の信教の自由(信仰しない自由)ですので、それを尊重していただける限りは問題ないですし、僕の知る限り紳士的におやりになってるようです。まあ、布教である以上ある程度粘っこく話す必要はあるだろうし、こちらも「無下に追い返すのも失礼だなあ」と一応儀礼的応答を余儀なくされるというのは、必ずしも楽しい体験ではないんですが、それでも受忍限度の範囲内でしょう。そういう意味では日本の新聞の勧誘の方がよほど迷惑ですし、こっちだって電話・訪問セールスの方がよく来るし。

     ただ、問題は「なんで住所や電話番号を知ってんの?」ということですね。不思議だ。ま、エホバの証人とか、ものみの塔などは世界的な規模の組織ですので、当然オーストラリア人にも沢山信者はいるでしょう。根がクリスチャン・カルチャーなので、より馴染みやすいとも言えるでしょう。だから、「ほお、あそこに日本人が住んでるな」ということを、各地に点在してる信者の人々が本部に伝えているのかもしれませんね。そこらへんが無難なところかなあ。

     でも、日本人か韓国人かインドネシア人か中国人かなんか、パッと見るだけではわからないでしょうにという気もするから(僕でも分からんし、間違えられたりもしますし)、単に見てるだけではなく、もう一段何か確認方法があるのかも。例えば、リサイクルで出してる古新聞に日本の雑誌が入ってるとか。あ、そういう意味では、古新聞を回収してる人に一人信者(しかも日本文字を識別できる人)がいたら結構いいかも(^^*)。

     しかし、それだけだったら電話番号までは分からんような気もするし。うーん、どうやってるのか本当のところを教えて欲しいものです。もしかして、悪玉倶楽部に入ってたりして(悪玉倶楽部とは、インターネットのサイトで、「携帯電話の番号から持ち主の住所氏名を調べて教えます」とかとんでもないサービスをしているところです。まあ、昔から、電話局や役所の戸籍係を買収して、そのへんの情報が裏ルートで出回ってるという話は聞きますが、そのインターネット版でしょうか)。




     話、また変ります。

     メールの話が出たついでですが、先日カチンとくるメールが来ました。といって別に中傷誹謗の類ではなく、単なる質問メールなのですが、名前も名乗らずいきなり「おい、おまえ、教えろ」と言わんばかりの態度がムッとしたわけですね。しかも質問の趣旨が意味不明。「現地の航空会社にリンクするにはどうしたいいのですか?」という質問で、「はあ?リンク?」てなもんでした。別にホームページ作っててリンクしたいというわけでもなさそうですし、意味が僕には分からなかった。

     一応「です、ます」は付けているのだけど、これ、さすがに腹が立ちました。今まで少なく見積もっても3000通以上はメール貰ってますけど、このくらいカチンときたのは他にもう一通だけです。一生懸命教えてあげても「どうも」という返事一つよこさない人というのは、実は半分くらいそうだったりしますが、その程度のことではイチイチ腹を立てませんし、仕方ないやと思ってます。でも、このメールには腹がたったわけです。

     何にそんなにカチンときたのかというと、「こいつ、人のコミュニケーションというのが全然わかってないな」というのが見えたからです。どこでどうやって育ってきたのか、「知らない人に話し掛ける」という最も基本的な社会的スキルが抜け落ちてると。




     思うにカチンとくる/こないは、結構微妙なところで決るようです。「名前を名乗らない」というのも結構減点ポイント高いのです。別に何がなんでも名乗る必要があるとは思いませんが、名乗るか名乗らないかで心理的にどこが違うかを考えると、名を名乗るというのは、「自分の言動に責任を持つ」ということの第一歩だと思います。いい加減なことを言うと、そのあとのリアクションを自分で引受けなければならないわけですが、その覚悟が出来てるかどうかです。

     匿名というのは、その覚悟が出来てないからだと思いますし、本当はそういうつもりでなくても、他人からはそう思われてしまうということです。イヤな言い方をすれば、群集に埋もれているときは、平気で口汚い野次を飛ばすけど、ちゃんと名乗ってマイク持たされたらとたんに根性なくなるような奴、という見方もされかねないわけです。

     僕は、大人・一人前というは「自分の行動に責任を持つこと」だと思ってますから、ずっと匿名で通す人を、一人前扱いにはしません。むろんこれも絶対ではなく、ケースバイケースですが、原則としてそうですし、これまでメールのやりとりをした人達で、人間的・社会的にキチンとしている人は、このあたりも非常にキチンとしております。一般に年齢層が高い男性の方のほうがしっかりしている傾向は高いです。

     以前にも書きましたが、インターネットをやる前、日本にいる頃はパソコン通信のニフティで異業種交流をやってました。今から思えば殆ど黎明期からやってた部類ですが、ネットにはネット独特の嫌らしさというか毒があります。筒井康隆が「朝のガスパール」で描写しているような「人心荒れ果てた罵倒の応酬」という部分も確かにあります。僕はそれが大嫌いだったし、指向を同じくする良い仲間も多く、自分等で作ったフォーラムでは「完全身分開示」を原則してやったりしました。実社会で許されないことが、「ネットだから」で許される筈はないし、匿名の気安さで作った人間関係なんか所詮砂上楼閣だと思うからです。

     よく「ネットの独自性」を都合よく解釈している人がいます。「社会的な肩書きとかに囚われない自由な空間」という意味では素晴らしいのですが、それを履き違えて「自分の言動に無責任でもいいんだ」という具合にねじまげて、ネットで本名を明かすなんてナンセンスだとか、匿名性がいいんだとか、言う人もいます。でも僕は反対です。あるフォーラムに入り込んで目茶苦茶に罵倒しまくってひっかき廻したり、女性に脅迫メールを送り続ける「ネットテロリスト」の例は論外だとしても、「きちんと自分を紹介すること」と「自由な人間関係」というのは全然矛盾しないと思うからです。きちんと自分の言動に責任とれなかったら、そこに実体としての「人間」がいるのかどうかも怪しいし、そんなアヤフヤなものを前提に、自由も不自由もなく、そもそも人間「関係」なんか構築できるわけないだろうと思うわけです。

     インターネットも基本的に同じで、顔も名前も分からないでつきあってるわけですが、「だからどうでもいいんだ」ではなく「だからこそ」考えなければならないし、それなりのスキルも必要だと思います。




     だからといって、質問するにあたってイチイチ自己紹介せよと言ってるのではないです。ここ誤解して欲しくないのですが、別に質問するにあたって名乗りをあげるのが必須だとは思いません。道端で「すいません、いま何時ですか」と聞くのに、いちいち名乗らないのと同じです。でも、知らない他人に手紙書くときは自分が何者であるかは書くでしょう。知らない人の家を訪問して何かを聞くときも、一応自己紹介は手短にするでしょう。ケースバイケースとはそういうことですが、なぜこのケースの場合名乗らなくてもいいのか、なぜこの場合名乗った方がいいのかという原理を、無意識的・感覚的にせよ、わきまえているかどうかを僕は問題にしているわけです。

     その原理は、相手をそれなりに尊重するという「敬意」だと思います。あるいは対等な人間同士としての「公平」、フェアネスなのかもしれません。道端で時間を聞くだけなら1〜2秒で済みますし、内容も簡明だから、相手の時間を奪うといっても知れてるし、細かく説明する必要もなかろう。だから「すみません・エクスキューズミー」ひとつ付ければ、まあOKだろう。しかし、相手の家に勝手に入り込む以上は、相手の不安感を取り除くために事情(自分の身元も含む)を説明してあげたほうがいいだろう。ちなみに例の宗教家の方の場合「どうして知ってるの?」という部分の不安を十分に取り除いてくれないから、不安感が払拭されず、こうして話題になっちゃうのでしょう。で、相手から100万円借りるようなときは、それ相応の事情説明と謝意が必要になります。という具合に、状況によって、相手の立場を十分に慮って、それを表現するということでしょう。

     日本語には、この微妙な人間関係の距離を調整するために、いろいろなフレーズがあります。「お忙しいところすみませんが」「一つお尋ねしたいことがあり、メールを差し上げてます。お手すきのときで結構ですから」とか、いくらでも言いようはあります。この種のフレーズは英語でもあります。こういうフレーズがあるということは、人間が暮していくうえでそれが必要だからに他ならないでしょう。




     3000通以上メールを頂いて心底腹がたったのは、前述の2通だけですから、あとの2998通以上は僕からすればOKラインなわけです。だから別に難しいことでもなく、ごく普通にやってりゃまずズッコけることではないと思います。

     で、クダンの方の場合、「赤の他人に時間使わせて返事書かせる」ということを全く何とも思ってなかったという態度が透けて見えました。もう、自動販売機にコインを入れるような感じで聞いてくるわけで、逆にいえば、「お、俺は人間扱いされてないな」とも思えるわけです。

     ほんでもって、「これまで3000通貰ったメールのうちのワースト10に入ります」など、それなりの返事を書いたところ、また返信が来て、その言い草が『そのためにあなたたちはホームページ開いてるんでしょう。まぁ他人様ですからどうでもいいですけど。 とにかく私、あなたの返答に反対に腹を立ててしまいました。名を名乗らないとむかつくってどういうことでしょう。偽名でも書けばよかったんでしょうが。こんな荒いホームページ最悪ですね。ま、適当に続けて頑張って下さい。』というものでした。

     「あ、この人全然わかってな〜い」と思って、とりあえずノシ付けて倍にしてお返ししておきました。で、この人どのくらい根性据えて書いてるか知りたかったので「いずれにせよ、これ以上、顔や住所が見えないまま話していても始まりませんな。今度日本に帰ったとき、お会いしてゆっくりお話ししましょうか。ついてはあなたのお名前と住所をお教えくださいな。勤務先でもいいです。訪ねに行きますわ。」と書いたら、それきりでした。

     教えてくれたらどうするか?って、マジに会いにいきます。北海道だろうが九州だろうが、直接会ってどんな人だか見てみたいですから。これも、昔ネットでよくやりましたし、いきなり電話かけたり、勤務先に訪ねに行ったりしました。ネットなのをいいことに威勢のいいことばかり書いて、実際はただの小心者というパターンが多いので、こういう手合いはネットでグチャグチャやってても駄目で直接会いに行くに限りますから。行くと大体静かになります。別に行った先で喧嘩なんかする必要なくて、ただ単に行けばいいだけです。「わ、ほんとに来た」ということが大事。「ネット」という布団ひっかぶって自分の世界に酔ってる人には、その布団ひっぺがせばいいだけです。金も手間暇もかかりますが、不特定多数相手に店ひろげる以上は、そのくらいの気合いがないと駄目だと思いますし、その気迫は何となく通じるみたいで、妙なこと言ってくる奴もいなくなります。





     「んな大袈裟な」とお思いでしょうが、いるんです、実際。通称「困ったちゃん」と言ったりしますが。インターネットでも、よく女性がやってるサイトとかで、いやがらせメールが舞い込んできて潰されちゃったりという話を聞きますし、パソコン通信でも自分がシスオペになれば、嫌でもその種の修羅場はやってきます。

     この種の愉快犯ってのは、僕は大嫌いです。まあ、好きな人なんかいないでしょうが、その種の卑劣さ、卑怯さが、なんか人間に対する希望や信頼に泥を塗りまくるような、イヤ〜な気持ちにさせるのです。いま、日本でも、便乗愉快犯の毒入りなんたらが流行ってるといいますが、イヤな気持ちでしょう?愉快犯だけではないです。犯罪者が出たといっては、その人の年老いた両親の家に石投げる奴、群集で取り囲んで罵声を投げる奴、イヤガラセFAX送る奴、どいつもこいつも大嫌いです。「自分だけは安全なところにいて人を平気で傷付ける」という、その卑怯さがたまらん。もう生理的に嫌いなんです。ついでにいえば、人の噂話を嬉々としてやる奴も大キライです。




     人間関係を築くためのものすごく基本的なこと、要するに「知らない人と仲良くなる法」とか「人が嫌がるようなことはしない」とか幼稚園で自然と覚えるような簡単なことなんですけど、そこがコケてるような気がします。その人にとってみれば、ホームページやってる奴なんて、言われたまま「はいはい」と質問に答えるためのロボットのような存在なのでしょう。なんつーか、「人間」というものに対する基本的な「畏れ(おそれ)」というものがない。「人間」が一人存在するというのは、これはもうドエライことなんだけど、そのドエライということが感覚的にわかってないような気がします。

     「最近の子供は人間関係築くのが下手」→「だから仲間はずれを極端に恐れる」とか、いろいろな指摘があります。まあ、世代論で括っていいかどうかはともかく、確かにそういう類型というのはあるように思いますが、どうでしょうか?人間を人間として、リアルな実体としてとらえるのが下手な人、喜怒哀楽もある生身のもので、こうすれば怒るとかいうごく自然な共感が薄い人というのはいるのでしょう。

     だから僕は怒りました。正直いえば、そんなに怒り狂うなんてことはなく、ため息ついてチャッチャと片づけることも十分出来ましたけど、「ここは一番怒るべきだ」と思ってしまったわけです。こうやって行く先々で色んな人に怒られないと、この人一生このままじゃないかと思えたのですね。まあ、そんなの余計なお世話っちゃ余計なお世話だけど、また将来この人と出会う他の罪もない人が迷惑しますわ。しかし、どこの誰だか知りませんが、この人の上司という人がいたなら、同情しますわ。

     しかし、まあ、一遍こんなメールで言われただけで目が覚めるとも思えません。どこかでAPLaCの悪口を言いまくっていることでしょう。どこかで僕の悪口聞いたら、その人経由かもしれません。まあ、噂なんてその程度の信憑性だということでしょう。




     ちなみに、腹が立ったもう一通の人というのは、まだ若い学校の先生でした。今回の方はどこの誰だかわかりませんが、メールアドレスから逆にサーバーを辿っていったらどっかの短大のキャンパスでありました。ここで「学校や大学の関係者は社会経験が乏しく非常識な人が多い」という俗説をつい思い出してしまいましたが、別にその関係者の方でもチキンとした方はいくらでもいらっしゃいますし、楽しいメールも沢山戴いてますから、そうは思いたくないです。

     ただ、ヤクザのように「失礼なのは重々わかっていながら、敢えて失礼な言動をとる」のではなく、「本人は礼儀にかなってると思っていながら実はすごい失礼」というパターンなのは共通しています。前者のヤクザパターンの方が、そりゃ腹は立つけど、ある意味ではまだマシです。一応コミュニケーションが成立してますもん。不愉快ではありながらも、「こう言うとビビるだろう」という相手の反応を前提にして罵言を言うわけで、その前提に間違いはないです。でも後者の場合は、そもそも人間として扱ってもらってないようで、そこに脱力感というか、薄気味悪さを抱くわけです。

     しかし、だからといって「最近の日本は〜」という具合に話を広げていいかどうかは分かりません。なんせ、文字どおり1000に一つの例外事象ですから。

1998年9月11日:田村

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