シドニー雑記帳


私は平凡に幸せです

〜 旧友への平凡な手紙 〜






     前略 お忙しいのにお便りありがとう。幼子抱えたあなたが日々忙しいのは分かってますので、「早く返事書かなきゃ」なんてプレッシャー感じないで、暇な時、思い付いたように書いてくれたらウレシイです。私はあなたに手紙を書くのが好きなんです。

     昔からそうなんだけど、あなたにはすごくリラックスして自由にモノが言える(書ける)し、聞いてもらいたくなるのです。あなたはどちらかといえば穏健的で、私は急進派というか後先省みずに突進する方で、タイプは全然違うし、当然私は大方の穏健派には興味がなく、急進派タイプに惹かれるクチだと思うんだけど、なぜか、あなたが大好きなんです。
     あなたとやりとりしてると、自分の中でバランスが取れるのかもしれない。それと、前から言ってるように、あなたに会う時に決まって「なにか(大抵オトコ絡みだったりする)」が起こるのも不思議。時々「もしかして私はあなたのこと全然分かってないまま、自分の感情垂れ流ししてるだけなのかもしれない」とか不安になることもあるのですが、別に本人からクレームが出たこともないから、まあ、こんな関係もあるのかな?と開き直っています。そういうわけですんで、何を今更ですが、末永いお付き合いを。

     おかげさまでラースは無事就職が決まりまして、11月中旬からシドニー北郊外まで車で30分かけて通っています。ラッシュと逆方向なので、通勤ストレスはないようですし、同僚もボスもいい人たちだし、仕事内容にも満足している様子。これで、とりあえずアメリカ移住の話は遠のき、もうしばらくはシドニーに腰を据えることと思います。私がここにいるうちに、一度は遊びにいらして下さい。子連れで来られる方も結構多いですよ。




     ところで、かの「燃え尽き症候群」は放置しておいたら、2ヶ月ほどで段々治ってきました。あれはたぶん、「脱日本イベント終焉」の象徴だったのでしょう。今って「人生の折り返し地点」なんだよね。年齢的にも平均寿命の半分くらいに近づいてるわけだし、女としても丁度半分(月経から閉経までを「女の期間」として設定するなら)。で、人生前半のジェットコースター的エキサイティング動的ライフは完結した、という。たぶん、この前半ライフのトリが「脱日本&いきなり渡豪」という暴挙だったのでしょう。
     考えてみれば、4年前に会社辞めて日本を飛び出して以来こっち、何の目的があったわけでもなく、何か「した」わけでもなく、ただ何となく「オーストラリアに居た」だけなのだわ。来ちゃったから、とりあえずしょーがないから居た。「脱日本イベント」を継続させるためには、とにかくここに居なければならなかったから、居ただけのこと。で、そのイベントが完結しちゃった。そこで、日曜洋画劇場のラストソングが流れるみたいに、黄昏れていたのだろうと思います。

     こういう時は「次の展開!」と焦りがちですが、もう思いっきり「パー」になってしまったのが結局は正解だったようです。あの世界周遊旅行以来、本当になーんにもやる気がおきず、一日じゅうぼーっとしていました。でも、こんなボケ老人のような私に対して、田村も「仕事しろよー」と文句も言わず放っておいてくれたし(文句言われても感じないほど鈍感になっていただけなのかもしれない)、ラースも「あたしの人生は終わった」とか「もう生きていても、やることない」といったタワゴトを飽きずに聞いてくれました。それが結局、いい治癒になったのだろうと思います。

     今、田村が「僕の心を取り戻すために」と題した長編哲学論文(?!)を連載中ですが、私にもかなり共通するところがあります。今までは「何かをしなければ」という「DO」への焦燥感があり、DOしてる時にのみ充実感を感じていました。でも、そのDO概念の世界に限界を感じてしまったみたい。より人間の根源に戻ったような感覚で、「BE」による充実みたいなものを、もっと大切にしてもいいんじゃないか、みたいな。激動と冒険が大好きだったのに、次第に静寂と安定を好むようになってきている自分に驚いていますが、その一方で「こっちの方が本来の私」という気もしてます。そういや私は子供の頃、「知恵遅れではないか?」と疑われたほど、ぼーっとした子だったのであった。

     長いことサラリーマン生活で男性と肩並べて頑張ってきた友人も「もうあのビジネス世界には興味がないし、吐き気すらする。なにをやる気も起きない」てなことを言うのですが、環境は違ってもそこにはなんとなく私の感覚と共通するものを感じます。たぶん違うのは、彼女の場合、「BE」しようとしてる自分を認めてくれる人が周囲にいないってことなんじゃないかと。十数年もバリバリDOしてきちゃえば、周囲の友人も皆バリバリ系の人で固まっているだろうから、一旦そこに疑問符を打ってしまった人間が違和感感じるのは当然だろう。一般的に、そういう人間は「落伍者」の烙印を押されてしまうものだし、たとえ「BE」の境地がわかる人であっても、表向きは「DO」のフリしてないと生計が成り立たなかったりするもんね。

     なにかをやることによるエネルギーとは違う、異種のエネルギー、人間の本来的に持っている存在エネルギーみたいなもの、それを感じとって認めてくれる人が周囲にいないと、「これでいいんだろうか?」という不安、焦燥感ばかりにさいなまれて、存在エネルギーの充電作業に集中できないのではないか?と思うわけです。

     こういう時は、じっと家にこもって、ごろごろしながら好きな漫画でも読んでいたら、それでいいのだ。とにかく自分がやりたいこと「だけ」やる。他のことは知るもんか。やりたいことだけやるのが、一番自然だし、エネルギー充電になると思う。そのうち、自然になにかに興味ひかれてくるまで待つ。社会や他人のためになることとか、勉強になることとか、そういう外から押し付けられるモラルや価値判断は一切無視! もともと人間にはちゃんとプラスのエネルギーが内在しているのだから、モラルなんかおっかぶせなくても、気ままにやってりゃ自然と「社会や他人のためになること(間接的かもしれないが)」をやってるでしょう。犯罪でもない限り、好きなことして好きなように生活してりゃいいのだ。息して眠って食ってる分には人間死にゃあしないのだ。




     ・・・なーんて具合に開き直っていたら、最近ようやく徐々にエネルギーが出てきました。おかしなことに、今まで大嫌いだった料理に凝りだしたり(実は料理担当だった柏木さんが日本帰国したままになってるので、誰かがやらざるをえないという状況があるわけですが)。あと、1年も前から懸案になっていたアロマの通信販売のホームページを改装したり。そんなところから、ゆっくりと次第にエンジンがかかりつつあります。こんな感じで焦らずゆっくりエンジンを温めていけば、自分らしい生き方が開けてきそうな気がしてきています。今まで思いもつかなかったような、新しい発想・価値観が見えてきそうな。

     明確な変化としては、「安定した静かな生活を求めるようになったこと」です。冒険やサバイバルゲームはもういいから、経済的、精神的に後ろ盾のある安定した家庭生活をしたいと思うんです。そのためには、だんなにしっかり稼いでもらいましょう、稼ぐための内助はさせていただきましょう、という。これって、その昔毛嫌いしていた「封建的男女役割分担」そのまんまじゃん、という気もするのですが、やっぱり女の本能として、「安定(経済的にも精神的にも)」を求めるものなんかもしれないですね。外で男性並みにバリバリ仕事をしたり、自分でちっとも儲からないビジネスやってみたり、なんの勝算もなくキャリア投げ出してオーストラリアに来ちゃったり、いろいろやってみた挙句に、「これが一番シックリ来る」と納得できました。
     最初から「女はこうすべき」と外から価値観を決め付けられ押し込められると、むちゃくちゃ反発したくなるものですが、自分で一通りやってみると「なるほど、昔の人が言うことにも一理あるわ」と納得しますね。もし10年前の私が今出てきたら、「なに? 女は家の中で家事しとれだと?」と、現在の私に向かって怒涛の反撃をしていることでしょう。

     だから、大企業でバブル期の栄枯盛衰を見てきたあなたが、「もう(少なくとも雇われの身としては)働きたくない」というのは、なんとなく分かります。育児中のおかあさんの中には「外で仕事したい、このままではおいてけぼりになりそうな気がする」という焦りを感じる人もいるようだけど、一度サラリーマン生活に没頭してみたら、「隣の芝生」に過ぎないってことが分かって、迷いも吹っ切れるんじゃないかな。あなたも私も最初にソレを思う存分経験してしまってるから、「アレならもう結構です」と言えるわけで、そういう意味では恵まれていたんでしょう。




     一方で、アレを引退までずっとやっていかねばならない多くの男性たちには、なんだか気の毒。私には絶対耐えられないぞ。その耐えられないことをだんなにやってもらおうとしているのだから、せめて家事くらいやってやろうじゃないの、という気にもなります。もっとも、ラースは家事にはもともと協力的なんだけど、やっぱり仕事始めてからは時間がないんですね。私が家事やってるのを感謝してくれてはいるのですが。「あんまりキミが家事を頑張ってくれちゃうと罪悪感を感じる」とまで言う、出来た夫です(すいません、自慢です)。

     私としては、「どんなに仕事内容が楽しかろうと、毎日朝早くから起きて出勤して、ボスに仕えなきゃならないサラリーマン生活がどれほどストレスフルで面倒臭いものか」「かといって脱サラして自力で金稼ぐことがどれほど大変なことか」、経験上よーく分かってるつもりだし、夫が生活費を稼いでくれなかったら私はとっくに破産&沈没してますから、もう働いてくれるだけで感謝しちゃいますね。ラースは「キミは全然お金使わないね。洋服とか化粧品とか欲しくないの?」と言うのですが、私、とても彼が働いたお金でそんな無駄使いする気になれないのです。APLaCでガンガン稼げるようになったら贅沢してもいいけど。

     こないだ日本で会った子育て中の友人たちは、皆「だんなは自分と自分の仕事のことだけで、家庭を省みない」と同じようなグチをこぼしてました。けどさ、こんなこと言ったら怒られるかもしんないけどさ、ハッキリ言って、家庭内で「無害」で、お金運んでくれたら、それでとりあえずOKじゃないっすか? 彼は彼なりの方法で家庭を守ろうと頑張っているんだもん。そりゃ、家に縛られてる主婦の気持ちを理解してくれないという不満は当然としても、逆にあんなふうに仕事中心の生活を何十年も続けるなんて、大変なことだよ。その役割引っかぶって給料運んでくれてるんだから、私が家のことやるくらいなら十分「good deal」だと思うわ。・・・ってなことを、皆も思ってるから、グチリはしてもそれだけの理由で「もうやってらんない、離婚だ!」までは発展しないんだろうな。

     もっとも、家庭に縛り付けられて、毎日毎日だんなと子供の世話だけに追われていたら、やはり精神衛生上よろしくなかろうと思うので、今後もずっと自分なりのやりたいこと、自分の世界(趣味でもボランティアでもいい――収入になればそれに超したことはない)は持っていたいですけど。




     そうそう、以前に送って戴いた出産育児関連本ですが、どれも超おもしろいです。これは是非、外国の出産体験と、ガイジンのだんなとの子育て体験を書かねば、とか使命感にかられてしまいます(体験談を書くために子供産むんか?という気もするが(^^;))。

     まじめな話、日本のお産事情と比較すると面白そうです(それにしても、日本のお産事情がこんな貧弱な状態だとは知りませんでした)。例えば、「こどもを産む」で著者がこだわっていた出産姿勢ですが、こっちじゃ様々なポーズを提案した上で産婦の自由に任されます。州が出版してる冊子には、やっぱり座位(だんなに抱えてもらう、椅子を利用、四つん這い、スクワット)が楽チンだし、機能的よ、と書いてあります。陣痛中のお風呂、シャワーやマッサージもオススメと書いてあるし、会陰切開も座位ならしなくて済む場合が多いとか。「痛みはこらえず唸るなり、叫ぶなり、したいように表現しましょう。その方がリラックスします」とかね。そういや、こっちの産婦人科には、あの恐ろしげな診察台は置いてません。間仕切りカーテンもありません。ふつうのベッドに寝転がって、お医者さんが診る時だけ股広げる。診にくい時は腰に枕を置いたり、横になったりして。

     産科の一場面をとらえただけでもこんなに違うんだから(日本のお産事情もその後変化しているのだろうけど)、育児やら教育やら、かなり違うんだろうな。教育についてはこっちの中高校留学について調査したことあるので多少は知っているのですが、よく言えば「個性と主体性を重視したのびのび教育」、悪く言えば「いい加減でレイジーなくせに、自己主張ばっか強い人間を育てる教育」とも言えるでしょう。まあ、自分の子供のこととなると、また捉え方も変わってくるのかもしれませんが、この文化風土で育つとどーゆー人間が出来上がるのか非常に興味があります。ただ、子供に影響を与えるのは文化風土よりも親かもしれず、その影響度割合(文化風土:親=4:6とか)がわからないから、結果から要因の推測は不可能なんでしょうが。




     ところで、子育て中のあなたにお伺いしたいのですが、「子供を自分の生きがいにしてはいけない、対等な人格として扱うべき」というのはよく聞くけど、実際のところどうですか? 結構難しいんじゃないかと思うんですけど。だって、子供って自分の所有物ではないけれど、世話も保護も教育も必要だし、どうしたって自分の影響は大きいわけだし。子供の成長を見るのは嬉しいだろうし、メチャクチャ可愛い!という感情は殺せるものではないし。どの親にとっても多かれ少なかれ子供は生きがいの一部になってしまうのではなかろうか? 「子供だけが生きがい」となってしまっては、負いかぶせられる子供がかわいそうだけど、生きがいと感じるくらいに一生懸命育てるという意味においては、それはそれで自然なのではなかろーか。あのアドバイスは「子供以外に自分の世界・生きがいを持っておいた方がいいよ」という程度の示唆なのではないかと理解しているのですが。

     私なりに思うのですが、育児っつーのは、日夜勃発する問題を自分たちの価値観を通して常に検討していく姿勢そのものが大事なんであって、「正解」なんてもんはないんだろうな、と。自分たちの頭で一生懸命考えて話し合って、自分たちなりの線引き、妥協ポイントを探り、バランスをとっていくってことで、「言ってみたら人生とおんなじじゃん」と思ったりしています。だから、自分の人生も自分で考えたりコントロールできない人が親になると、子供が苦労するってことなんでしょう。しかし、そこで苦労した子供が成長した暁にとんでもない人間になっているかというと、必ずしもそうではなく、「親があんなだったから、私はああはならない」と学んでいたりもする。結局、毛利子来先生の言うように子供は親だけが育てるものではなく、環境(大家族、集団保育、近所の人たち)すべてが影響するんだろうね。

     だから、「子育てを自分の生きがいにすな」というアドバイスは、一見子供のためのアドバイスのようでありながら、結局のところ、親に対するアドバイスなのではないか。つまり、子供が育った後、親が精神的に路頭に迷わないように「あなたにもあなた自身の人生があるでしょ」と思い起こさせようとしているというか。そういった「老後の親への配慮」が根底にあるのではないか?というようにも取れると思うんです。どないでっしゃろ?




     話はコロっと変ります。私、最近、「女としてキッチリ愛されたい」という欲が出てきました。変な話ですが、どうやら、今までの私は自分の「女性性」を否定し、抑制してきたみたいです。女として愛されることに素直に喜びを感じられなかった。自分が女であることもある意味否定していたんだと思う。
     今まで付き合った男性にも「女としてなんか見ないで、イッコの人間として付き合ってくれい」と無意識のうちに要求していたみたいで、そういや元だんなも私を女性として見てしまうことに罪悪感を持っているようなフシがありました。そこらへんが人間としてアンバランスだということに気付いたので、修正するように努力してます。

     具体的な努力目標としては、ラースが「キミはビューティフルだ、フェミニンだ、セクシーだ」と言い出したら、言葉を遮らずに最後まで聞くこと。笑われるかもしれないけど、これがなかなか出来ないんだわ。私にとっては、そういう誉め言葉を受け入れること自体が、うぬぼれ者の下品な自己偏愛であり、女というアイデンティティに不均衡に依存している証拠のようなもので、罪悪にすら感じられてしまうんだわ。で、イチイチ「あたしはキレイでもフェミニンでもセクシーでもないんだって!」と憤慨してしまうという。ラースに「なんで黙って聞けないの? お世辞で言ってるんじゃないんだから」と言われて、自分が今まで「女性」部分に無意識のうちに蓋をしてきたことに気付いたというわけです。

     原因として考えられるのは、両親による「外見で人を判断するもんじゃない」という価値観の植え付けもさることながら、ずっと競争社会の枠組みの中にいたせいが大きいと思います。学校時代はいわゆる優等生だったし、職場でも男性と同等に仕事をしてきたし、ただでも「出る杭は打たれる」立場にあったから、そこにまた「女性性」を持ち込むとよりややこしいことになるんだわ。どうしても、同性からは嫉妬・反感の対象、男性からは性差別の対象になりがちだから。特にプロダクトマネージャー時代は、個人プレーじゃ絶対成功しない、周囲の協力を得なければどうしようもない仕事だったから、なおさら人との関係には気を使ってた。そういう環境では、女性性を隠しておいた方が環境適応しやすいし、事実上便利だったんですしょう。

     そういや、企業で女性パワーが活躍するようになって久しいですが、本当に男性と肩並べて仕事している女性たちは多かれ少なかれ女性性を剥奪されて(あるいは自ら剥奪して)いるような気もします。バブル隆盛期には「女性らしさの活用」ってのがキーワードになって流行ったりしたけど、結局メジャーにはならなかった。今みたいに企業が苦しくなってくれば、「女性らしさ」なんてワケわからんもんは戦力として認められず、「1+1=2」になるわかりやすいもの、たとえば体力や根性が基盤になる。ビジネス界は弱肉強食の競争社会だから、どうしたって男性性を武器にする企業戦士でなければ生き残れないのでしょう。だから、多くの女性サラリーマンは脱落するか、継続しつつも疑問・ストレスを感じる。バリバリの戦闘能力でいえば、やっぱり男性にはかなわない。それに対抗しようと思ったら、女性性を殺して戦士に徹するしかないでしょう。で、私としてはそこまで頑張って男性世界で張り合う気持ちもないし、それ続けたら今まで抑制してきた私の「女部分」がかわいそうなので、人生後半は「女」という部分をもうちっとクローズアップして生きてみよかいなと思っている次第です。




     全体を俯瞰してみると、現在の私は「小さな幸せの中で平凡な日々を淡々と過している」という感じ。一流ホテルのフランス料理みたいなハレはないけど、ポテトチップスで十分幸せ感じられるという。といったら、相棒田村に「それを平凡とは呼ばない。火星に向う宇宙ロケットの中で、ポテトチップス食べて、おいしいなあ、幸せだなあと言ってるよーなもんだ」と指摘されました。ロケットの中は無重力状態だから平凡に感じられるけど、外から見たら光速で移動しているんだそうです。はて、私は宇宙ロケットに乗ってしまったのでしょうか? 一体どの星に向かっているんだろう??

     そんなこんなで、もう98年も終わりですね。いつも年の瀬になると「ああ、今年もなにもしないうちに終わってしまった〜」と焦りを感じますが、今年はそういうのがナイです。年は確実にとっているのだが(こないだ白髪を発見してショックを受けた)、もういい、年の流れに逆行しようってのが無理なんだし、このまま自然に任せてゆるやかに年をとっていこう、と。シワも白髪も増えてもいいから、おだやかな表情をしたおばあさんになろうと。そんなことを思ったりします。

     来年はどうなりますことやら。お互い、自然の流れを感知しつつ、適度に努力して、よりハッピーな方向に向かっていけたらいいですね。

     よいお年をお迎えください。


1998年12月22日:福島



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