シドニー雑記帳



猿岩石と不倫旅行のFIT進化論


(1997年6月22日)

     ほかの箇所にかまけているうちに、雑記帳を書くのも久しぶりになってしまいました。最後にUPしたのが先月ですから、随分間隔が開いてしまったもんです。あれこれ手を広げすぎるのも善し悪しで、最初の頃の企画、例えば「なければ作れ日本食材」とか「空腹絶倒」なんて、最初に書いたきりですもんね。なかなかそこまで手が回らないという。

     大体、「オーストラリア、シドニーについて」とか気楽に言ってますが、オーストラリアに関するあらゆる局面をレポートしようと思ったら、「日本に関する全て」というのと同じくらいの手間暇が掛かる筈で、こんなもんはイチ個人が出来るわけがない。出来るわけないことを出来るかのように思い、現にやっちゃうというのはどういうことなのでしょうか。要するに「よう知られていないから」「よう知らんから」なのでしょう。



     つまり、日本において手に入るオーストラリア情報の量が絶対的に少ないから、どんなもんでも一応の情報価値はある。例えば、そこらへんの街角に立って電信柱を撮影するだけでも、「シドニーの電柱」ということで、まあ「珍しい」写真になったりするわけですね。これが、日本の電柱だったら誰も珍しがりませんわな。そういえば、ず〜っと昔、大阪で万博が開かれた頃、「月の石」が展示され長蛇の列になってましたが、「月」という誰も知らない「地方」の話になると、たかが石ころ一つでも異様に珍しくなってしまうのでしょう。「多摩川の石」なんか展示してても誰も見ませんよね。

     一方では、情報を送るこっちもオーストラリアのことなんか実はあんまりよく知らない。良く知らないから、結構気楽に書いてるという側面はあると思います。アボリジニ問題についてなんて、とにもかくにも書いておこうかなと"無謀にも"思えてしまうのは、良く知らないからです。これが日本の問題、例えば「日本における部落差別の実態と課題について」「アイヌ問題」とか書こうと思ったら、もう死ぬほど文献読み漁らないと駄目なんじゃないか、とてもじゃないが手に余ると思ってしまうことでしょう。

     読んでる方も良く知らない、書いてる方もよく知らないから、双方気楽に「オーストラリアに関するあれこれ」という、ムチャクチャ漠然としたサイトが成立しているのでしょう。



     だから何だというと、結論めいたものはないのですが、言えることは、「現状ではこんなもん」ということでしょう。日本におけるオーストラリア認識というのは、オーストラリア=カンガルー&コアラという、日本=フジヤマ&ゲイシャガール程度のレベルの認識から、徐々に前進しつつあると思います。だから、いま一歩突っ込んだことが知りたい人も増えている。かといって、腐るほど情報はあるかというとそんなことはない。やっぱり電信柱一本が珍しくなってしまう程度。このように「過渡期」にあるのだと思います。

     過渡期にあるということは、情報を提供する側も、頑張ってどんどん掘り下げないとならないということでもあります。「シドニー湾に面したタロンガズー(動物園)へのアクセスは、フェリーで15分」というレベルの情報だけでは飽きられちゃう。「んなこたあ知ってるよ」「他の情報はないんか」と。去年はウケてた情報も、今年はもう陳腐化しちゃうかもしれないということですね。日々進んでいくということでしょう。

     もう一つは、人によって結構知識に差が出てくるだろうなということです。情報が増えていっても興味がなければ知識は増えないので、いつまでたってもカンガルーどまりの人もいるでしょう。まあそっちの方が多いかもしれない。しかし、一方では、いろいろな情報を摂取してよく知ってる人も出てくる。階層分化してくるだろうなということです。



     階層分化が生じてくるということは、ニーズが多様化・細分化してくることでもあるのでしょう。「オーストラリア旅行」についても、「とにかくオーストラリアに行ければいいんだ」的な「定番の名所を見たらOK」という話から、より個別的に細分化されてくるだろうと思います。定番パックツアーは、僕はあと20年くらいはスタれないと思いますが、それと同時にいろいろな種類の「旅」が出てくるだろう。

     APLaCに対する問い合わせメールも、(詳しく勘定したことはありませんが)のべ500通を越えましたが、やっぱり皆さんいろいろなパターンをお持ちです。中高校生で本格的留学を考えておられる方、夏休みの短期留学を考えておられる人、社会に出てから「いまいち面白くないから」オーストラリアで半年ほど生活してみたい人、夫婦ともども永住を念頭におきつつ住んでみたい人、ご主人の応援を受けつつ子供さんと一緒に1年ほど暮らしてみたい人、第一の人生を早々に切り上げエネルギーのあるうちに早く第二の人生に取り掛かろうという人、あるいは単に観光で行ってみたい人、観光なんだけど生活感も味わいたい人、、、様々です。100人いたら100パターンあると思った方がいいでしょう。




     ここ数年、「個人旅行」という言葉が定着してきたようです。業界用語でFITというらしいですが、そんなオタク言葉はどうでもいいですが、「個人旅行オーストラリア」という観光ガイドブックも結構刊行されているようです。パックツアーしかなかった頃に比べれば、選択肢が増えて結構なことなのですが、でもまだまだ過渡期でしょう。だって、わざわざ「個人旅行」なんてネーミングしてるところが、「まだまだ」ですよね。日本国内の旅行だったら、いちいち「個人旅行」なんて言いませんもん。早い話が、いまはまだ「個人で旅行」するのが画期的という、まあ、そーゆー段階だということでしょう。

     ただ、遠からずこれも進展していくことでしょう。ガイドブックも、観光用、留学用、ワーホリ用の3種類くらいしかないですけど、あと20種類くらいあったらいいのにと思います。また、ジャンル分けについても、「観光」とか「留学」とか、そーゆー縦割り行政みたいな区分けはあんまり意味ないような気がします。留学に来ても、週末は観光したりするわけですし、とりあえず観光ビザで入って暇があったら学校でも行くかという人もいるわけですし。

     じゃあどこで区別するのかというと、「なにをしたいか」「どうなりたいか」という心の中心部分、いわば「(もっと突っ込んだ)目的別」分類だろうと思うのですが、これを的確にあらわす日本語はまだ存在してないような気がします。あ、ないことはないかな。同じ旅行でも、「新婚旅行」「慰安旅行」「スキー」「温泉」「不倫旅行(^^*)」とか、古くは「武者修業」というジャンルもありましたね。形態が問題なのではなく、「こんな感じがいいんじゃ」というモヤモヤとしたイメージがあって、それを実現するための旅です。



     特に、不謹慎のようですが「不倫旅行」なんてイイですね。イイというのは説明のために都合がイイということですが、誰も口に出しておおっぴらに言いませんけど、こーゆージャンルないし願望というのはあると思います。そうでなければ、渡辺淳一氏あたりの本があんなに売れはしないだろう。このガイドブックを作ったら売れると思うけどなあ。『るるぶ別冊「不倫旅行」』『ブルーブックス「不倫旅行」』とか。まあ、そのままの名前では差し障りあるだろうから、「秘密旅行」とか。あかんか、余計露骨か。うーん、まあ咄嗟にいいネーミングは思い付きませんが、要するに、「普通の旅行を装いつつ、でも知られてはイケナイことをしにいく旅行」ということで、これに関する、目的地、ダンドリ、費用、雰囲気、そこらへんのノウハウは、もういろいろあると思うのですね。「東京から意外とアクセスが便利で、雰囲気は秘湯。鄙びた旅館。アリバイ工作もバッチリ」みたいな。その昔は、「待ち合い茶屋」とか、部屋から雪見障子はあれども、生垣と部屋の配置が巧みで、どの部屋からも他の部屋を見ることが出来ない、他の客と顔を合わせることのないように工夫された廊下とか、それなりに充実したファンクションを持ってたのがあるんだから、やってやれないことはないだろう。これからも創意工夫の余地はあろうかと思います。日本人そーゆーの得意だと思うし。誰かやってないのかな。

     この「不倫旅行」みたいなもんだと思うんです、これからの海外旅行は。目的地に移動して、それなりのカリキュラムを遂行するだけではなく、そこで「どんな雰囲気を味わうか」「自分をどんな状況下におかせたいか」「そこで何を得たいか」という点に着眼し、絞り込んでいく。

     留学ひとつとっても、入学手続+ビザ+ホームステイアレンジの3点セットで終わってますけど、実際に留学したいと思ってる人の本当の意向は、そういうことではなく、もっともっと別の所にあるのだろう。例えば、留学することに意味があるのか(異国の環境でもまれてみたい、自分を鍛えてみたい)、そこで習得する技術知識が問題なのか、あるいは日本に帰ったあとの泊付けが大事なのか、はたまた現地でキャリアを積むことによってそのままその地に住み続けることが大事なのか。これによってアレンジjの仕方も随分変わってくるんじゃないかなと思います。



     ただ、類型化となると難しいでしょうね。思うに、わざわざ外国まで出てくる個人的な理由の本体にあるものは、「今までの人生からは得られなかった新しい刺激を得るため」という部分があろうか思うのです。生活における、ちょっとした抜本的なリストラという意味合いも含んでる場合が多いのではなかろうかと。だとしたら、話はかなり内面的になりますよね。それはもう人それぞれだろうから。また、「これまで知らなかった世界に出会うため」という目的であるならば、具体的に「こういうのがしたい」という注文がつけられるわけないですもんね。だって「知らないことがしたい」んだから。

     あ、「こんな感じがいいんじゃ、というモヤモヤしたイメージ」でいえば、猿岩石なんかもそうかもしれませんね。僕が日本を留守にしている間に、猿岩石(最初なんと読むのか分からんかったぞ)が人気になってたそうですが、「猿岩石旅行」みたいなパターンも流行ってると聞きます。でも、それって分かるような気がしますね。保護された日本の環境の下から離れて、ムチャクチャな状況に自分を放り込んで、そこで自分を鍛えたいし、「一皮むけたい」という意識は僕にもありますし、ありました。大体、コネない、アテない、語学力ないのナイナイづくしでオーストラリアにやってきたのも、そこらへんの意識があったからだと思います。自分がどれほどのモンか確認したかったのかもしれない(大した奴ではないなあ、というのはよう確認できましたが(^^*))。




     考えてみれば、海外というのは「よう分からん」からこそ魅力があるのかもしれません。全部分かってしまったら全然面白くないのかもしらん。だったら、このホームページもそろそろ情報を出すのをやめようかな、なんて。でも、ちょっとやそっと書いたくらいで尽きてしまうほどのものではなさそうです。分かれば分かるほどよう分からんようになるみたいで。

     例えば、マルチカルチャリズムの賛否でも、やれポーリンハンソンあたりのアジア人排斥がどーのという文脈だけで語られがちですが(日本では)、問題はそれだけではなくて、民族同士仲悪いのがこっちきてまでケンカしててそれが問題という側面もあるそうです。旧ユーゴスラビアのボスニア、ヘルツェゴビナなんかは有名ですが、ギリシャ人とマケドニア人とか、いろいろあるようです。こないだ公衆トイレに入ったら「ギリシャvsマケドニア」の対立的なステッカーが貼ってあったりして、ようまあこんなステッカーまでわざわざ作るよなと思ったりしました。あと、ヨーロッパ系の人はサッカーが好きですから、サッカーの試合になると、各民族同士が熱い応援合戦をして、「熱い」というより「険悪な」ムードになったりして、それがもとからいるオージーに嫌われてるとか。

     はたまた、人種差別に関する市民からのクレームを受けつける窓口があるのですが、そこの統計によると、一番多くクレームをつけるのがイギリス系オーストラリア人だとか。なんで君らが差別されるの?一番の保守本流じゃないの?と思うのですが、イギリス系を馬鹿にするPomとかいう蔑称スラングもあるくらいで、一筋縄ではいかないようです。

     このように、知れば知るほどよう分からんようになる。だから、ここ当分海外は未知の領域であり続けるでありましょう。少なくとも、このホームページの動向如何によって何がどうなるもんでもないでしょう。大海をすくう柄杓が10本から20本に増えてもどうということはないのでしょう。




     話逸れましたが、情報が徐々に増えるに従って、人々のニーズやイメージも多様化していく。勿論全てが分かるなんてことは当分(永遠に)ないかもしれないけど、「パック or 個人」という大雑把な区分けからさらに進化して、自分なりの「こんな感じ」というイメージが育ちつつあるのではなかろーか。不倫旅行のように、猿岩石旅行のように、極めてパーソナルな部分から発せられた「こういうイメージ、こういう条件」という旅へのニーズというのが、徐々に立ち上がりつつあるんじゃないかなあと、日々メールを読ませていただきながら感じている今日このごろです。



(田村)

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