シドニー雑記帳


「子供」という技術と才能



     APLaCの他の連中と雑談していると、不思議と話題は子供の頃の話に向いがちです。「あの頃はこうだった」「自分はこんな子供だった」「クラスでこんなのが流行っていた」などなど。逆に、日本で仕事していた直近の出来事は、比率でいえば少ないです。

     寝ているときに見る夢についても同じような傾向があります。日本にいたときの夢は、いろいろバリエーションもありつつも、現在あるいは過去数年のレンジにおさまっていたように思います。仕事上の出来事や、同僚などが登場するわけですね。ところが、こちらに来ると、夢の舞台はもっと過去に遡る度合が高いように思います。名前も顔も忘れていたような、小学校時代の友人が突如登場してきたり、すっかり忘れていた授業風景が甦ったり、起きたあと「そう言えば、そんな奴いたっけなあ」と。
     
     これは僕だけの話なのかもしれません。でも、ある現象Aがあれば、その理由αがある筈で、それは何かを考えていくと、個人的な傾向というよりも、もっと広く一般的なものが横たわっているような気がします。ちょっと考えてみたいと思います。





     以前、環境適応の話をしましたが、海外の地は、当然ながら環境が違います。この環境が違えば違うほど、より根本に遡って自分の再構成をしなければなりません。だから子供時代の記憶が良く出てくるのではないでしょうかね? ここで「ね?」と同意を求めても、これだけでは分からんでしょうから、もう少し説明します。

     人は皆、それぞれ立場があるわけで、独特の環境があると思います。その環境に十全に適応するために、物の考え方やら立居振舞をアジャストしていくのでしょう。「どんな奴でも社長の椅子に座らせ、社長、社長と周囲が言ってれば、不思議とそれらしくなっていく」とか言われますが、そんな感じでしょうか。例えば、あなたが課長に昇進したら、背後から「課長」と呼ばれたら反応しなければならないわけです。「あ、”課長”って俺のことか」と最初は戸惑っているけど次第に慣れます。僕も、司法試験受験中は、図書館からの帰り道「こんな遅くまで何やってんの?」と警察官の職務質問を受けたりしてたわけですが、一夜明けたら「先生」です。”先生”なんて呼ばれても、自分のこととは思えず、しばらくはシカトして歩いてたもんです。あるいは、お子さんやお孫さんが生まれたことによって、あなたのアイデンティティは「ママ」「おじいちゃん」にカシャっと変わります。「課長である自分」「ママである自分」など、新しい「環境」が生まれ、それぞれに適応していきます。

     実際の職場や家庭では、そうとは意識しなくても、この種の社会的役割というかペルソナは無数にあるでしょう。隣人に対しては「物静かな紳士」と思われつつ、趣味の集まりでは「オッチョコチョイだけど愛すべき仲間」と思われ、子供には「ちょっと恐いけど優しいお父さん」であったり。それぞれの集団における話題の選び方、口調、レトリック、すべて微調整していると思います。さらに加えるならば、日々生じる時事風俗の情報インプット。銀行が潰れたら潰れたで、「預金、もっと安全なところに移そうかな」とか考える。地震が起きれば、移転も考える、などなど。かくして「1997年4月2日現在の、日本の、○○という人を取り巻く全環境」というのがあるわけで、皆さんそれに適応してやってるわけです。そこが適応できないと、社会的に上手く物事が進まない。上役になっても、部下と飲みにいって「よし、割りカンにしようぜ」とか学生時代のノリでやってると、周囲からは「適応してない人」と思われたりしますよね。




     で、もうお分かりでしょうけど、海外に来るとこれらの環境は一変します。舞台でいえばドンデン返しのようなものですが、むしろ「全然別の芝居になる」と思った方がいいくらいでしょう。役者は同じでありますが。

     そうなった場合、直近において細々と微調整しまくっていた諸々の「設定」は全部無意味になります。もうパソコンがぶっ壊れるというか、ハードディスクが飛ぶようなようなものですな。こちらでは、誰もがあなたのことを、「英語の不自由なアジア人」としか見ません。そらそうですわな、それ以上の情報は(あなたが積極的に付加しない限り)ないわけですから。

     そこで求められるのは「地のままの自分」。あらゆる局面局面が、一個の人間として試される「純粋環境」として現れます。「この場合は、○○さんに聞いて」「ここで笑って誤魔化して」とかいう、これまでの社会生活上のテクニックは、な〜んも通用しません。あくまで通用するのは地のままの自分。

     身長195センチ、体重120キロくらいの大男に、早口の英語で理不尽なこと言われたときの困惑と恐怖。それに打ち勝つ勇気と根性。全ては本来の自分が持っているものでやらねばなりません。この環境は、何というか、子供の頃の感覚に似てるような気がするのですね。近所で遊んでいたら、中学生がやってきて「お前ら、どけ!どけ!」と追っ払われたときの無力感が甦ったりもするわけです。

     別にこんなネガティブな例だけでなく、子供の頃の感覚=地のままの自分が戻ってくると、嫌なことよりも楽しいことの方が多いです。人それぞれなのかもしれないけど、僕はそうです。

     まず、何が「子供」状態にさせてくれるのかというと、「周囲に知らないものが一杯ある」という環境そのものでしょう。未知のものに取り囲まれていると、人間本能的に好奇心というのが湧いてきます。目の前に指を突き出されると、つい匂いを嗅いでしまう猫のように、条件反射的に、「あれは何だろう?」と不思議に思うし、知りたい、見てみたい、触わってみたい、匂いを嗅いでみたい、ちょっと味わってみたい、と。幼児が周囲のものを手当たり次第にひっつかんだり、食べてみたりするのと同じだと思います。

     で、僕は幼児時代を忘れてしまいましたが、多分この幼児期間というのは凄くスリリングでエキサイティングで面白かったんじゃないかなと思うわけです。長じて幼稚園、小学校と進んだ頃になると覚えてますが、やはり毎日が「未知との遭遇」の連続でありました。家で金魚を飼うといっては喜び、一日中出目金がヒラヒラ泳ぐのを見てました。林の向こうに”底無し沼”があると聞けば、仲間と探検に出掛け、陽は暮れるわ道に迷うわで、皆してピーピー泣いていたり。思うのですけど、大人になってから、あれと同じだけ「楽しい」「エキサイティング」なことってそうそうなかったか、あっても途方もなく金が掛かるような気がします。カブト虫なんか見つけようものなら大変な騒ぎでしたが、あれに匹敵する感動は「ポルシェ買った」くらいでないと釣り合わない。底無し沼でピーピー泣くスリリングな体験をしようと思ったら、谷川岳出掛けて遭難しかけるくらいしないと味わえないかもしれない。

     そんなこんなで、こちらで「未知との遭遇」をしながら生活していると、知らず知らずのうちに「子供モード」になっていくのかもしれません。そしてその精神状態が、ふとした話題に子供の頃の話が出てきたり、夢に出てくるのかもしれません。実際、なんといいますか、日々の生活や出来事を通じて、あの遠い幼い日々の感覚にオーバーラップするような瞬間というのもあるわけです。デジャヴュ(既視感)とまでいうと大袈裟だけど、通じるものは確かにあるような気がします。




       さて、これらのことから逆に考えると、こちらで楽しくやるためには、「いかに子供になれるか」がポイントの一つとなるでしょう。「童心に戻って」とか言いますが、そうそう簡単に戻れるものでもなく、それはそれで、やはり一つの「技術」と「才能」が必要だと思うわけです。この技術と才能(一番大事なのは努力なのでしょうが)が乏しいと、居てもそんなに面白くないかもしれないです。

     人格形成がフレキシブルな人、柔構造な人は、自分の発想や感性を自由に組み替えていけるのでしょう。「世の中が詰まらなく思えるのは、アンタが詰まらない人間だからだ」とよく言いますが、「何にでも面白がれる人」というのは確かにいますし、中々面白がれない人もいます。前者の場合、未知の物体を見ても、これはどのように接すると一番楽しいかというカンどころみたいなものが本能的に冴えているのでしょう。後者の場合は、今までの経験が邪魔して、「○○は○○に限る」的な固定観念に縛られ、ともすれば教条的になってしまうのでしょう。

     人間、意味なく馬鹿騒ぎしたいときもありますし、無闇に身体動かしている動物的な快感というのも確かにある。で、そのための技術やメソッドも沢山ある。踊りやダンスなんかもそうでしょう。ダンス系の音楽聞いて、「この音楽には思想がないから駄目だ」とか言ってても仕方ないでしょう。仕方ないというよりも、言う奴が阿呆ですわ。山に出掛けて「浜辺がないから駄目だ」と言ってるようなもんで。

     自分を取り巻く森羅万象は、「楽しみ」の果実がたわわに実っている果樹園のようなもので、そこには無数の種類の「楽しみ」がなっている。手を伸ばせばもぎとってこれる。それが見える人と見えない人、手を伸ばせる伸ばせない人がいるのでしょう。それを邪魔してるのは何かというと、たかだか数十年の極限された地域におけるちっぽけな経験記憶なのでしょう。



     これが端的に出てくるのが食事だと言います。こちらには、食ったことない食べ物、沢山あります。「げ、変な味〜」と顔をしかめますが、2〜3口食べてくると、「うん、これ、でも、イケるわ。あれ、結構美味しいわ。わあ、病み付きになるよ、これ!」と楽しんでる人もいる反面、「口に合わん」と言ってフォークを投げ出してしまう人もいます。不幸にして後者の場合、まあ、そう言わないで、頭真っ白にして味わってみてくださいな。でも、それすらするのが嫌な人は、もう悪いこといいません、海外なんて来ない方がいいし、日本国内であっても故郷から離れないほうがいい。転勤したりして、その土地の食べ物の悪口ばかり言ってる人も、やれ「東京のうどん」がどうしたとかそればっかり言ってる人、来ない方がいいです。あなたには無理なんでしょう。自分の中の邪魔になる記憶データーを一回「初期化」して、見たもの感じたもの、「あるがまま」にアプリシエイト(鑑賞する)ことが。

     だけど、これ、年季要ります。刺身の食い方は日本人が一番優れてると思いがちですが、ある面ではそうですが(韓国除いて他に食う民族が少ないからだけど)、僕もそう思ってたけど、これも思い上がりですね。このあいだ、イタリア料理屋で、マグロの刺身を薄く広くスライスしたもの(スモークサーモンのように)に、ブラックビネガーとレモンとハーブで味付けした物を食べましたが、メチャクチャ美味かった。こんな美味しいマグロの刺身の食い方があるとは、ついぞ知りませんでした。自分はといえば、「よく知ってる」とかいいながら、馬鹿の一つ覚えのように醤油にワサビだもんね。ケチャップもラー油もありとあらゆるものを試した上で醤油&ワサビが最高という結論に達したならともなく、別に生まれてからそれでしか食ってないからそれが最高という、非常に愚劣なことを自分は思っていたのだなと痛感しました。反面ここのシェフさんは、「生魚なんか人間の食い物ではない」という社会にいながら、果敢に刺身に挑戦して、美味しい食い方発見してるわけで、エライもんだと思いました。

     同じように、オペラハウス見て、「とにかく、こんなケッタイな建物があるというのが痛快」と面白がれる人もいれば、「結構汚れてるね」で終わってしまう人もいる。昨日まで日本に住んでてやっていた(特殊にカスタマイズされた)感性機構は、一度捨てた方がいいです。何見ても感動できないならば、一遍頭ぶつけて記憶喪失になった方がいい(^^)。風邪ひいて舌が馬鹿になってるときに繊細な料理食べても金の無駄です。




     こんなエラそうなこと言うのも、何を隠そう自分がそうだったからですね。特に男性は駄目ですね。右脳左脳とかいうのと関係あるのかもしれないけど、論理情報から先に入るから(これは○○が作ったもので、それは世界で評価され、、とかいう解説情報)、言葉にならないモヤモヤしたものをダイレクトに感じるレセプター(感受器官)が摩耗している。

     その昔、相棒福島、あるいは他の女性達に教えてもらったようなものですが(本人達は教えたという意識はないだろうが)、例えば、彼女たちは、旅行先で美しい風景見たりして感動するわけです。そこまではいいんだけど、時には「なんか、もう、涙出ちゃった」とかサラリとのたまうわけです。え、涙出る?景色見ただけで?ここで「女子供の感傷癖には付き合ってらんないね」というリアクションも可能なんでしょうけど、ふと考えると、「風景が奇麗というだけで泣くほど感動できる」というのは、これはもう「才能」じゃないかと。こんだけ感受性が鋭かったら、そら生きてて楽しいだろうなあと。

     翻って自分をみますと、おそらく同じような景色を見てもですね、仕事柄「ここらへんは、坪○円くらいだろう」とかそんなこと考えてるのではなかろうかと。これって、人間としてというか、「生物」として、すごい「出来損ない」なんじゃないだろか。出来の善し悪しはいいとしても、少なくとも、損ですよね。この世に生ある時間を授かっておきながら、一方は涙流して自然の美しさを感応しているのに、こっちは「坪いくら」。そりゃあないだろう、俺は根本的に不良品になってるわ、下らん情報に汚染されてるわと思ったもんです。




       しかしながら、それに矛盾したこと言うようですが、これまでの記憶もキチンと保持しておいた方がいいこともあります。なぜかというと、違いやギャップがよく見えて面白いからです。知的に興奮しますね。「おおお、そんなやりかたがあったんかあ」と。日本の不動産事情を良く知ってられる人は、こっちの不動産の考え方は根本的に違うから(地価よりも建物自体に価値があるとか、建物というのは修理して改善して100年以上使うものなのだとか)その鮮やかな対比が面白いでしょう。

     運転免許の交付なんかも鮮やかでした。試験に受かるとその場で作って貰えるのですが、これは日本でもそうなのですが、「その場」が違う。文字どおり「その場」でカウンターから3歩くらいしか動かない。どうするかというと、カウンターの内側に視力検査表があり、反対側の壁に小さな鏡がある。係員は、免許作成のためにパコパコとキーボードを叩きながら、視力表の前の覆いを取って「4列目を読んで」と言い、こっちは壁の鏡に映る表をみて読むと、開いても答を記憶してるのでしょう、キーボード叩きながら「はいOK」という。カウンターのすぐ横に椅子があり、そこに座ると、カウンター自体にカメラが埋め込まれており、パソコンから動かないままボタンひとつで、「はい、こっち見て」でパシャ。で、またキーボード叩き続けて、入力しわって1〜2分したら、後ろのコピー機のような機械から免許が出てきて、それを「はい」と言って渡してくれるわけです。全部で10分掛からないでしょう。

     なんか小学生が考えるような、絵に描いたような「合理的」な方法なんだけど、僕にはすごく面白かったですね。「へ〜、へ〜、そうなってるんだあ」とか言って。学科試験も、パソコンでやるのですが、各自勝手にやってて、一問答える度に正解かどうか表示され、間違ってると正解を教えてくれる。合格するとコングラチュレーション!と画面が輝くという。学科試験は何度受けてもタダです。だから、何も勉強しないでそれだけ受けまくっていても勉強はできちゃうのですね。でも、これも日本での免許交付システムを知ってないと面白味は半減します。

     というわけで、出来うるならば、今までの記憶領域と、真っ白な領域とを二つ備え、真っ白に味わい、あとで吟味検討するというのが一番面白いやりかたかもしれません。また、その技術なくしてマルチカルチャルな社会に生きていこうとするなら、全てが自分の思い通り動かない苛立たしい社会になってしまうことでしょう。同じ所に住むにしても、「うひゃ〜、なにこれ?」で楽しんで住むのと、「まったく、もう」で不機嫌丸出しで暮らすのとでは随分と違うのではないでしょうか。




     そういう意味でいえば、やっぱり本物の子供は天才なのでしょう。現地に溶け込むのも、言葉覚えるのも。そうそう、英語でいえば、文法は未だに苦手ですが、あまりやってません。文法は、作業工程でいえば、最後の最後のヤスリ掛けやラッカー塗りみたいな気がするのですね。文法考える頭と英語使う頭とは別のような気がして、というかハッキリ別なのでしょう。だって日本語で文法考えてるんだから(「過去形の場合は」とか)、”同時上映”不可能なんじゃないかと。同じようにスペルも諦めましたね。「これも最終工程」とかいって。単語覚えるのも耳で聞いて覚えるのがベストで、出来れば単語聞いてもそれを頭の中でスペルに当てはめたりする作業をやらない。これ、かなり注意してないと頭の中でスペル組み立てて理解しようとしてしまいがちですが、それやってると「あるがまま」の発音を聞き逃す危険がある。スペルに引っ張られて微妙に違う発音でインプットしがちで、これを後で矯正するのが骨ですね。一遍そう思い込んでしまった「音」を違ったように聞けるようになるのは難しいです。

     でも子供って、そんなこと意識しなくても出来るのですね。というか、それしか出来ないのかもしれないけど、産地直送でダイレクトに大脳に叩き込めば、歪み率は少なくナチュラルになる筈です。あやかりたいものです。


1997年4月2日:田村

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