シドニー雑記帳



キッカケ



     最後に日本を出たのが、95年の7月31日、暑い暑い日でした。関西国際空港に向う南海電車の車窓から夕日を見てました。もう、そろそろ丸2年、日本に帰っておりません。

     いや、最初はもっとちょこちょこ半年に一回くらいは帰るつもりでありました。住んでたマンションを引き払うにあたっても、「帰ってきたとき根城がないと面倒だな、カラ家賃でも払うかな、でも馬鹿馬鹿しいな」とか考えていたくらいですから。前回の学生ビザと異なって、今回からは永住ビザですから、いつでも気が向いたときに気楽に行ったり来たり出来る、だからもっと頻繁に往復するだろうというのが事前の感覚でありました。ところが、蓋を開けてみたら全然帰ってませんね。APLaCの柏木も福島も、昨年の末に一時帰国してますから、こんな「行ったきりの鉄砲玉」状態なのは僕だけです。

     なんでこんなに帰らないのかというと、別に理由らしい理由はありません。帰ってもいいんだけど、逆に「今、帰らないといけない理由も特にないし」と思ってしまうのですね。出不精。以前にも書きましたが、こっちに来るまで「海外体験」というのは職場での香港旅行だけで、およそ自発的に海外なんか行こうと思ったことはなかったです。「なんで皆海外なんか行きたがるのかなあ」と不思議なくらいで。で、こっちに来たら来たで、今度は日本が「海外」になりますから、行くのが面倒臭くなる。というわけで、海外生活が長くなっても、性格的にはちっとも変わってないということなのでしょう。

     じゃ旅行はキライなのかというと、好きです。知らん所にいくのは好きなんです。なんで行かないのかというと、単純に面倒臭いからですね。だから、なんかキッカケがあると喜んでいく。例えば出張とか。日本にいる頃、出張も比較的多くて、北は旭川から南は沖縄まで、いろいろ行きました。金沢や鳥取はそこで裁判があったということもあり十回以上行ってます。こういう具合に、「行く」ということを誰かに決めてもらうと、結構嬉々として行くわけです。でも、自分から進んでとなると、全然そんな気にならない。なんでやろなあ。こういう人、結構おるよな気がするけど。




     ふと考えますに、物事というのはなんか「キッカケ」というのがあるのでしょう。ほんとにしょーもない、些細なことなんだけど、そこをポコンと踏んだり引っかかったりすると、自然にしてても物事が「何かやる」方面に進んでいってしまう。丁度、鉄道のレールの転轍みたいなものですね。

     学校の文化祭の実行委員長とか、旅行の幹事とか、普通面倒臭いから誰もやりたがりませんけど、一旦自分がそれに決められてしまうと(よくクラスでの「欠席裁判」とかありましたね)、否も応もなく、それらしきことを仕切らねばならなくなる。そこで日常がガラリと変わるかというと、別に初期のころはそんなこともなく、ポツポツと打合せをしたりとかそんな程度で、そう大して忙しくなるわけでもない。ところが、何気なく見てたTVの連続ドラマも偶然続けて2回見てしまえば、ストーリーが頭に入って興味が出てきてしまうのと同じように、段々盛り上がっていってしまうという。終いには、結構ムキになって取り組んでたり、それなりに充実感を味わったりもします。その挙句、後輩なんかに「ああいうものは、自分で仕切る側に廻らないと面白くないんだよ。やりなよ。」なんてエラそうに言ってたりするわけですね。でも、そんなこと言いながらも、次からは積極的にいろいろな物事に挑戦していくかというと、別にやらないわけです。やっぱりは出だしは面倒臭いことに変わりはない。




     こっちに来てから、ヒマです。以前日本にいたとき1日でやってた仕事を今は一週間くらいかけてやってるくらいのテンポです。「今日何やったかなあ?ああ、庭の草むしりをちょっとしたかな。ああ、あれは昨日か。」という程度で一日が終わったりもします。相棒福島なんかも、特に何も仕事のない日は、もう植物のように寝てます。動物園のコアラのように、いつ見ても寝てるというか。

     そんな我々であっても、日本で仕事してるときは超多忙でありました。夜の11時くらいまで予定が詰まってたり、元旦なんぞも事務所に出てたり。で、仕事が忙しくても、プライベートでは、パソコン通信の異業種交流フォーラムで旗振ったり、人に会ったり、あちこち出掛けたり、この雑記帳程度の分量の文章なら毎日2つくらいは書いてたり、徹夜してカラオケしてたり、遊びで会社作ったり。夜が白む頃にバイク飛ばして大阪の町を帰路についていたという。まあ、忙しい生活を送ってたわけです。

     こんだけ生活が違うとさぞかし人間も変わってくるんじゃないかというと、あんまり変わらんですね。要するに「キッカケ」ひとつの問題かなと思います。なんかのキッカケがあって、「そっち方面」にレールがガタンと切り替わると、普通にしててもあれこれ物事がやってくる。忙しいといっても、向こうからやってくる物事を、適当に処理してるだけの話で、基本的には案外と受け身なんじゃないかな。自分から積極的にあれこれチャレンジしてるというよりも、あちこちから要請があって、締め切り言われるから、仕方無しにやってるだけという。

     あるいはこうも言えるかもしれない。キッカケという転轍によってレールが切り替わっても、別に電車の進行速度そのものは同じなんじゃないかな。一方の路線では風景がのどかで乗客も停車駅も少ないけど、他方の路線では、停車駅は多いわ、人の乗り降りは激しいわ、車内販売はやたらやってくるわ、うるさい乗客もおるわで、なんとなく忙しない。でも、自分がやってることと言えば、淡々と席についてるだけのことで、本質的には同じことなんじゃないだろうか。

     忙しかった頃を省みても、自分の本質的なアクティブ度で言えば、似たようなものかな、むしろ今の方がずっと主体的でアクティブかもしれないなと思います。あの頃は、忙しいといっても、未知の物を自ら進んで切り開いたとかいうことは案外と少なかったかもしれないし、なにかやるにしても背中押されたりお膳立てが整ってたりとか楽だったし、いろいろ見分を深めるとかいっても、基本的には車窓に映る風景の変遷でしかなく、自分の骨身の部分で関わったというものはそんなに多くなかったのかもしれない。だから、「忙しい」というよりは、単に「せわしない」だけだったのかもしれない。




     ただ、やっぱり、忙しないときのほうがあれこれ行動は起こしやすいですよね。単にせわしないだけであっても気分は高揚します。テンション上がります。だから何かとアクティブになりやすい。

     「立ってる者は親でも使え」と言いますが、あれ「うまいこと言うなあ」と凄い経験的に納得するのですが、「どうして?立ってたら使っていいの?」というと、やっぱ座ってる奴よりは立ってる奴の方がテンションが高いから、行動を移すまでの心理的障壁も少ないからじゃないでしょうか。つまり座ってる奴が「よっこらしょ」と起き上がるための(心理的)エネルギー消費量の大きさは、孝行という儒教的価値観をぶっ飛ばすだけ大きい、つまりそんだけ「面倒臭さ度」が高いということなのでしょう。

     ですので、本質的には内容空疎なせわしなさでもあっても、立ち上がってあれこれ動き回っていれば、気分も軽くなってきて、日頃できないことも出来ちゃうとか、犬も歩けば棒に当たるかのような出会いもあると。お義理で出席するパーティーであっても、数行ってれば素敵な人と出会うこともあるかもしれない。少なくとも家でナイター見ながら枝豆食ってるよりは確率はあるだろうと。そういうことはあるでしょうね。ただ、「気分が高揚してるから、日頃やらない事をしちゃう」というのはマイナス面もあって、調子に乗って散財してしまったり、人間関係しくじったりもするのでしょう。SF商法(催眠商法)なんてのも気分高揚に付け込んだものでしょうし、旅行先で普段なら絶対買わない下らない物を土産に買ってしまったり、そういうこともあるでしょう。




     こうして見ますと、世の中というのは、ほんと「キッカケ」ひとつという気もします。そのキッカケがマズイ場合、どんどん悪の道に転落していってしまうのでしょう。学校の不良グループに心ならずも入っちゃうとかね。これ学校だけじゃなく、会社に入ったり役人になったりしてるうちに、不正処理やらカラ出張などに「悪慣れ」していってしまうということもあるのでしょう。昨今の高級官僚とか野村証券の取締役会のメンツとかね、ある意味では「不良グループ」なんかもしれないし。一旦入ってしまえば、「そんなことしちゃイケナイよ」とか言おうものなら、「バカヤロー」っつって殴られるからやらざるをえないという。

     そっちの方にレールがガタンと切り替わると、個人の努力でいくら頑張ってもしんどいものはあるでしょう。そうしてみると、「キッカケ」というのは非常に大切なんだなと思います。




     理想的なのは、自分にあった「キッカケ」を自分で作ることでしょうね。

     今の自分達にある「キッカケ」は、例えばこのAPLaCという活動であったり、このホームページであったりします。これをやってるおかげで、知らない人からメール貰ったり、日本から訪ねてきて戴いたり、いろいろな仕事というか出来事が続いていくようになります。

     何にもない所、「これからどうしようかなあ」とか思ってた地点から、とにもかくにも思い付いて形にしていく過程は大変といえば大変です。知り合い頼って、コネ使って、なんか飯のタネを廻して貰ったり、適当に就職したりということの方が簡単だし、手っ取り早く「キッカケ」は掴めます。でも、他人が敷いたレールに転轍すると、「あれ、こんな筈では」「なんでそうなるの」という不本意な状況も多いでしょうし、レールを敷き直すことも難しい。

     だから、多少しんどくても、自分だけのレールを敷いて、ある程度妥協しないで自分の好き嫌いを出したレール、路線にしておくと、そこをキッカケにして生じてくる出来事は、かなり納得できるものになるのかなあという気がします。物事なんか一回生じてしまえば、良くも悪くも連鎖反応的に広がっていくでしょうが、自分で最初の一歩を作るか、あるいは他人が作った波に入っていくのかの違いはやっぱりあるような気もします。また、自分で作りながらも、どっかで致命的な妥協をしてしまうと、詰まらない路線になっていくような気がします。金儲け丸出し路線に進むとやってくるお客さんのことが好きになれなくなったり、荒んでいってしまったりとか、そういうのってあるような気がします。

     後知恵ですけど、全然知り合いも何もないのにオーストラリアにやってきたのも、むしろ知り合いゼロ、コネゼロ、100%ゼロという環境が欲しかったのかもしれません。100%完全に更地の上に、自分で気にいったキッカケを作ってみて、そこから派生して生じてくる出来事を、実験のように楽しんでみたいという部分があったんじゃないかなと思います。当時はそんな具合には考えませんでしたけど、「何にもないのがいいんだわ」という風には感じてましたし、来てからもコネ作りに奔走ということは全然しなかったし、今もするつもりもないし。それをするのは、まずは、自分なりの路線がある程度出来てからの話かなと思ってます。




     まだまだ、やるこた沢山あります。日々の生活がノンビリ閑散としたものであっても、焦る気にならんのは、その昔味わった「受動的に流れ行く忙しない風景」なんぞ、あってもなくてもどっちでもええわい、むしろ無い方がスッキリしていてええわと思ってるからでしょう。そんでもって、日本に帰る「キッカケ」が掴めないのも、「ここで日本に帰って、それで」という次の局面展開がまだ見えないからかもしれませんし、あるいはヒマといっても単に「懐かしい」だけで帰るほどにはヒマじゃないからかもしれません。

(1997年7月16日/田村)

★→シドニー雑記帳のトップに戻る
★→APLaCのトップに戻る