シドニー雑記帳




結婚しました





     4月10日の「結婚します」報告から既に2ヵ月が経過いたしましたが、私(福島)、予定どおり4月20日に挙式しました。沢山の方からお祝いのお花や「お祝いメール」を戴きまして、ありがとうございました。未婚の方から、国際恋愛中の方、そしてバツイチの方まで、様々な経験をされた方から結婚についてのコメントをお聞かせ戴いて、大変興味深かったです。



      ※メールを戴いた方には全てお返事しているつもりですが、なぜかサーバーの関係で一時期メールが正常に着信していなかったようです(尚、旧アドレス maki@ausnet.net.au 及び maki@world.net は仮死状態のままです。APLaC宛メール送信時には、tamura@aplac.netをご利用ください)。 もし、返信メールが届いていなければ、サーバーのせいで受信されていない可能性が高いので、再度トライしてみてください。



     さて、すっかりタイミングを外してしまい、結婚式も遠い昔のこととなってしまいました。「何を今更」という気もしなくもないですが、戴いたお祝いへの御礼の意味も込めて、結婚報告をさせていただきます。
     前半では挙式の様子を写真入りでご紹介します。「APLaCでもこんな手作り結婚式のアレンジが出来るんですよ」という宣伝材料にしちゃおうという一石二鳥狙い(^^*)。
     また後半では「結婚して何が変わったか?」というテーマで、例によって軽く分析してみたいと思います。





    《挙式までの段取》

     まずは、挙式予定日の1ヵ月前までに登記所に出向いて「結婚申請」しなければならないということは前回ご紹介しました(教会で挙式する場合は教会が代行手続してくれる)。

     挙式日が決まったところで、ウェディング屋さんでレンタルドレス、ブーケ、ウェディングカー、記念写真、記念ビデオなどの予約アレンジをします。ウェディングに関することは皆ここを通してアレンジしてくれます。挙式後にパーティーをしたいのであれば、レストランを決めて予約しておきます。メニューや段取など、店主と打合せしておくとよいでしょう。パーティーに現地の友人を招きたいなら、Invitation Cardを発送しておきましょう。

     衣装は挙式当日に決めて、その場でサイズ調整もしてくれますが、今回はダンナのサイズが尋常ではないため、2週間前に衣装合せをしておきました。(実際、彼に合うサイズの上着はなく、ウェディング屋さんはお気の毒にも新調するハメになった。)



     APLaCが利用しているウェディング屋さんは香港人のご夫婦が経営しているのですが、奥さんがデザイナーでもともとレンタル衣装屋から発展してウェディングサービスまで手掛けるようになったという経緯があります。従って、衣装の種類はものすごく豊富で、その上、優秀な針子さんがいて、その場であっという間にサイズ直ししてくれます。


     勿論メイクもヘアメイクもここでやってくれます。同じアジア人(チャイニーズのメイキャップ師)がメイクしてくれるからでしょうか、アジア人の顔立ち、肌に合う自然なメイクでした。

     メイキャップが済んだら、衣装を身につけ、ヘアメイク。メイクからヘアメイクまでものの30分ほどで出来上がるのですが、さすがにこの間、新郎は退屈そうでした。


     式場へ行く前に、ウェディング屋さん内にあるスタジオで記念撮影をします。結構立派なスタジオで、いくつものポーズで撮影してくれました。身長差があまりにあるので(40cm差)、私はクッションの上に座らされたり、電話帳の上に立たされたり、一方ラースは常に膝を曲げてなければならなかったりで、微笑みの裏には悲鳴が(^^*)。
     スタジオにはウェディングケーキやシャンペンまで用意してあります。出来上がった写真は確かにプロの作品だけあったカッコイイことはカッコイイのですが、なんか緊張気味ですね。個人的には、挙式後に屋外で撮った写真の方が気に入ってます。








    《登記所での挙式》

     いよいよ、ベンツのウェディングカー(他にロールスロイスという選択肢もあったが安い方を選択)で式場である登記所へ向います。教会での挙式と違い、登記所内での形式的な式なので、「タダの事務手続、大したこたーないだろう」とタカを括っていたのですが、これが結構立派な作りになっていて、ちゃんとウェディングマーチもかけてくれるわ、サービスのビデオ撮影もしてくれるわ(持ち帰る場合には有料)で、至れり尽くせりでした。




     式そのものは、簡素なものでした。正面に設けられたテーブル席にMarriage Celebrant(結婚執行人)が着席し、「この婚姻はオーストラリアの法律に適っていること(=重婚ではないこと)」を確認、「結婚宣言」のような台詞を執行人に続いて当事者2人がリピートします。が、ド緊張したラースはリピートすべき言葉を聞き逃し、「へ?! くっくっくっじゅーぷっぷっぷりーずりぴーとあげいん?」とかマヌケな演出で、散々笑わせてくれました。後で聞いたら「なんか知らん単語が連発して、自分で言ってることの意味なんか全然分からんかったわ」とかこぼしてました。一方、私は以前にお客さんのウェディングをサポートしたことがあるので、台詞はほぼ覚えていたので助かりました。ふう。

     あとは書類にサインするだけ。本人たちに続いて、証人2名(田村と柏木)が書類にサインし、結婚執行人が Certificate of Marriage(結婚証明書)を手渡してくれます。これで式は完了。が、カメラマンのリクエストにこたえて、いろんなポーズで撮影したりしてるから、結構時間かかりました(式そのものは15分くらいのところ、30分くらいかかったかな)。出席者の人数よりもカメラマンや世話人の人数のが多いくらいで。






     登記所を出た後、シドニーの絵葉書スポット・ミセスマックォーリーズチェアまで出向いて、オペラハウスとハーバーブリッジをバックに写真撮影を行いました。今にも泣き出しそうな天気だったのですが、幸い西側はマシでハーバーブリッジの向こうに若干夕焼けが見えました。しかし、雨天だったら悲惨だろうな。また例によって、カメラマンさんの指示でいろいろポーズをつけたりして、結構疲れました。




     私たちは特にパーティーの予定もなかったので、そのまま自宅に直帰。自宅でも余ったフィルムで写真撮りまくってました。




     この日かかったコストは、衣装レンタル、ブーケ、ヘア&メイク、ウェディングカー、写真(ネガもくれる、全部で30枚程度)、合計1600ドルほどです。安上がりでしょ? 嬉しいことに、衣装は翌日までに返却すればよいので、翌日もドレス着て写真撮ったりして遊べます。
     また、事前に希望を出せば、様々なタイプのユニークな結婚式が挙げられます(ロケーションや演出など、いかようにも出来る)。

     そんなわけで、あなたもシドニーでオリジナルウェディングを挙げてみませんか?という宣伝でした(^^*)。

     ちなみにハネムーンも行ったことは行ったのですが、APLaCの仕事をそうそう空けるわけにもいかず、ブルーマウンテンで2泊してきただけ。おまけに山はドシャ降りで霧がかかって何も見えませんでした。
     でも、夜のジェノランケイブツアー 、通称「ゴーストツアー」は面白かったです。昼間のツアーとは違い、参加者数も少ない上、ほとんどの人が以前に鍾乳洞内見学をしたことがあるので、意味のない説明もナシで勝手に都合4つの洞窟を歩かせてくれました。




    《結婚後、変わったこと》

     かれこれ2ヵ月も前のことなんで、「そーゆーこともあったなあ」って感慨深く改めて写真眺めていたりします。日々の生活における変化は?というと、別に結婚前と特に変わったコトはないです。いつものように昼頃ノコノコ起きだしてきて、メールチェックして、午後から調査、渉外やらサポート活動を始め、夕飯食べてからピアノを弾き、あとは深夜までパソコンに向っているという毎日。(田村、柏木は典型的朝型なのだが、私とラースは典型的夜型。「寝る型」という説もあるが。)全然変わってませんねぇ。

     「福島さんも結婚したから、ダンナの世話なんかで忙しいんだろう」とか思われてるかもしれませんが、そんなこと全然ないです。(最近、雑記帳書いてないからそう思われるのも仕方ないですが、書く時間がとれなかったのは「救いなき寒い風景」でも書いてるように高校留学生の対処に忙しかったせいです。)

     相変わらず家事はやってません(いばってどーする)。ラースによればデンマークの男性は皆そうだというのですが(私は彼以外のデンマーク人には会ったことがないので立証はいたしかねます)、デンマークでは「夫が妻の世話をするもの」という価値観が通っており、家事についても子供の頃から教え込まれているそうです。だから、料理も掃除も洗濯も私なんかよりずっと知識もあるし慣れてるしで、私の出る幕はありません(といって自己の怠慢を正当化している)。

     変わったことといえば、そうですね、事務手続面ではいろいろ便利になりました。まずは、結婚を理由にラースの期限切れで失効していた永住権を復権させることに成功しました(移民局に偽装結婚と疑われて、さんざん嫌な想い&面倒臭い書類準備はさせられましたが)。国民健康保険(メディケア)はまだ獲得の段でモメていますが、これも時間の問題でしょう。
     こうして着々とオーストラリアでの生活地盤が固まってきたのと同時に、将来生活していく場(国)の選択肢が広がりました。日本は勿論、EUが統合したので、デンマークのパスポートを取得すれば、ヨーロッパ中どこでも住めることになりましたし、ラースの仕事先であるアメリカにはいつでも移住できます。

     改めて考えてみると、結婚の影響って、そういうプラクティカルな事務手続が進んでいくことによって生活設計をともに考えるようになり、そこに意識上の変化が生まれてくるのではないか?という気がします。つまり、「社会的に夫婦/家族である」ということが、少しずつお互いの意識を変えていき、お互いを「同士」とみなすようになる、というか。勿論、好きな人と一緒にいれば日々愛情は深まりますが、これは別に結婚してるとかしてないとかあまり関係ないように思います。

     「将来どこに住んでどういう生活を送りたいのか」「生きてるうちに何をしたいのか」「そのためには、どういう関係性or家族を築きたいのか」といった根本的な、そして長期スパンの人生設計を共有していく過程で、結婚していないカップルとの違いが出てくるのでしょう。これは、日本人同士の場合も同じでしょうが、国際結婚の場合、生活の場や生活スタイルについての選択肢が日本人同士よりも多い(自由度が高いとも言える)だけ、余計に考させられることは多いです。

     また、その選択肢の豊富さと裏腹に、社会的な妨害を受けることも多いので、そういう鬱陶しい「社会」と闘っていかねばならないという共同戦闘員的連帯意識も高まるように思います。






     「社会的妨害と闘う」という部分をもう少し分かりやすく説明してみます。おそらくは社会システム的な(顕在する)妨害と、社会心理的な(目に見えにくい)妨害に分けられるのではないかと思います。
     社会システム的な妨害の例としては、ビザ取得や国民保険加入等、社会的権利取得における困難さが挙げられます。ラースの永住ビザ復活に際しては、先程もちょろっと述べたように、大変な騒ぎでした。

     オーストラリアの永住者である私と結婚したことを理由に、永住ビザ復権申請をしたのですが、移民局に行く度に窓口のねーちゃんに「(ラースと私のパスポートを見比べて)今までほとんど一緒にいたことないのに、どうやってそんな関係が築けたの?」とか「結婚式にいくら掛けたの?」とか、「なんでアンタにそんなプライベートなこと聞かれなきゃなんないわけ?」とブチキレそうになるよなことを何度も嫌味っぽく言われるわけです。そして、あれやこれやと、ほとんど入手不可能と思われるような書類の提出を求められる。(でも実際、私が一緒に付いていって、窓口でイチャイチャしてたら、問題なくその場でビザ発給されたりして。なんなの?って感じ)

     また、ビザ申請の時も国民健康保険加入申請の時も、「現住所を証明するもの」が必要だという。オーストラリアには住民票というシステムはないので、実際問題、現住所を証明する公的な書類といえば、運転免許証くらいなわけです。そこで、運転免許所を取得しようとRTAに出向くと、「現住所を証明する書類がないと・・」とまた同じことを言われる。普通は家の賃貸契約書などで通るのですが、ウチの場合、ラースがシドニーに来る前に4人でシェアすることを目的に大きな家を借りてしまったので、契約者は田村と福島の名前になってるわけです。そこで、不動産屋に連絡して、「こういう事情で証拠書類が必要なんで、契約者名を一人追加して欲しい」と依頼すれば、「契約者として適格かどうか査定しなければならない」といって申請書を書かされるが、その中に「照会者」という欄がある。シドニーに来たばかりのラースに、私ら以外に現地の知り合いなんかいるわけないじゃん。てな具体で、もう一時が万事面倒臭いこと&腹たつことばかりで、今まで何度「もうこんな国出てってやる!」という境地に至ったことか。

     オーストラリアのような移民国家ですらコレですから、日本じゃもっと激しく妨害を受けるんだろうなあ、と悲観的にならざるを得ません。そういえば、先月だったか、日本(千葉)に移住したオーストラリア人男性と日本人女性のデファクト(事実婚)カップルが、いきなり部屋探しの段階で人種差別に遭い、不動産契約をさせてもらえなかったという話を聞きました。そういう人種差別問題って以前からよく耳にはしていたけど、首都圏ですらまだそういう実態があるんですね。改めてビックリしました。また、このオーストラリア人男性が夜街を歩いていると、警察官に呼び止められ、その時たまたまパスポートを持参していなかったために、警察署まで連行され、パートナーの日本人女性が警察署に出向いて事情を説明しなければならなかったとか。こういう話聞くと、「ああ、日本に住むにはまだ早いな」と思ってしまいます。






     社会システム的妨害に負けず劣らず強力なのが、社会心理的妨害でしょう。幸い、オーストラリアではガイジンである二人が生活している分には、客観的にも主観的にも「よそ者」なので、直接的な妨害を受けることは少ないですが、これが日本だったり、或いはデンマークの田舎だったりしたら、相当「世間の風当たり」は強いでしょう。

     一緒に街を歩いてるだけで「変なカップル」という目で見られる、どちらかがガイジンだというだけで地域社会ののけ者になる、子供もルックスが違うというだけでイジメられるかもしれないし、周囲の大人もイジメられている実態を「当然のこと」として受け止めるかもしれない。一言でいえば「目に見えない人種差別」ですが、社会システム的な差別以上に、こういう「心理的な壁」による人種差別は、目に見えにくいだけに解消されにくいでしょう。そういう意味では、オーストラリアやアメリカのように、子供の頃から「いろんな人がいるのが当然」という環境で育った人たちで成り立ってる移民国家の方が、私たちにとっては暮しやすいでしょう。

     日本にももっともっと多くのガイジンさんが入ってきて、ガイジンが珍しい存在ではなくなったら、暮らしやすくなるのだろうけど、今んとこはやはり、「日本に住むにはまだ早い」という結論になってしまいます。私の方はどういう障害がありそうか予想できるし、闘う方法も知ってるからいいけど、ラースは大変でしょう。もっともラースもデンマークに住んだら、同じ理由で私が可哀相だと言います。

     「国際文化交流を促進しよう」と頑張っていらっしゃる方々も多くおられますが、結局文化交流の目的ってのは「違う人と違う文化を交流させることによって、違いを認識するというよりも、いかに人間同じであるかを認識させること」なんじゃないかと思います。これまでの海外生活経験で私が悟ったことは、「文化の違いというのは、歴史的に地理、気候、風土などの環境によって派生したものであって、基本的には人間皆同じである」ということです。同じ人間なんだと無意識のうちに受け入れられるようになれば、人種差別なんか起きなくなるでしょう。

     ラースと一緒にいても、別に「文化背景が違う人だから」とは思いません。そりゃ緑茶に牛乳注がれた日にゃ一瞬「をいをい・・」とか思いましたが、まあ、それも個人の好みですし。日常生活のこと、過去のこと、将来のこと、人間関係のこと、どんな話をしても、「ああ、やっぱりこの人はガイジンだわあ」と、違う種類の人間と居るような違和感を感じたことはありません(日本人だろうが、ガイジンだろうが、「あ、この人、種類が違うわ」と感じる人って結構いますけど)。「え?なんでそーゆー考え方になるわけ?」という疑問が生じることはありますが、そう考える背景を説明してもらえば、「なるほど、そーゆー考え方もあったのね。ふーん」という具合に納得できます。特にデンマーク文化と日本文化の違いについては、前作「結婚します」でも書きましたが、違いを生んだ環境・社会背景をお互い考えていくと、それなりに理解できます。

     余談ですが、頭で理解できても、肌で実感できない文化の違いというのはありますね。いい例がギャグセンス。これは文化背景の細かいとこまで分かっていないと笑えません。「意味はわかるけど、それがどうしたの?」とシラけてしまう。どうも知識の問題だけじゃなくて、「肌で感じるもの」ってのがあるみたいですね。笑いのセンスというのはその社会を鋭敏に反映するものですから、今私が日本で一番流行ってる漫才を聞いたら、もう笑えないかもしれない。同じ日本人だって、世代間の差もあるし、ダウンタウンのギャグを理解できない人は沢山いるでしょう。まあ、相手のギャグが理解できないからといって、笑いが絶えるわけではないので、人間関係育む上では大した問題ではないのですが。
    以上余談でした。

     20才の時にアメリカにホームステイ&一人旅して以来、通算20回近く海外旅行していますが、私はどこに行っても「ああ、外国だあ」という違和感はなく、どこへ行ってもその街/国/人々がそれなりに好きです(勿論、好感度は場所によって違うが)。世界じゅうに「一度は住んでみたい国」が沢山あります(インド、ジンバブエ、スペインには絶対一度は住みたい)。私が特異体質なのかどうかは分かりませんが、たぶん比較的若いうちに「外国」に触れてきたから、「外国」「ガイジン」に対する免疫力が比較的強いのかもしれません。

     日本でよく言われてる「国際化」ってのは、要するに「外人恐怖症」をなくすこと、違いにいちいちビビらず、相手をそのまま認め、ありのままの自分を提示すること、ではないかと思います。日本全国つづうらうら(←変換しない)国民レベルでそれが出来たら、日本も暮しやすい国になるだろうなあ。そのためには、日本人が外に出て外人慣れすると同時に、日本国内にもどんどん外国人を受け入れること。でも、受け入れ体制の出来ていない現日本で頑張ってるガイジンさんたちは、大変だろうなあ。メゲずにイバラの道を切開いていって欲しいものです。






     ずいぶん回り道をしましたが、以上のような社会的妨害を乗り越えて、一緒に人生やっていこうと思えば、それなりに連帯感も生まれてきますわね、それが結婚がもたらす一つの影響なのかな、というお話でした。

     そういえば、前回の結婚の時も、「そういう社会的な妨害と共に闘うこと=一般的な結婚の概念をブチ壊すこと」が共同課題のようなところがありました。いわゆるDINKS(←死語か)ですれ違いの生活時間でしたが、「夫婦に期待される社会的お約束に対する抵抗」が私たちの共同の課題であり、結婚したことによって個人が社会から個人としてのアイデンティティを剥奪され、ただの「夫」「妻」に成り下がることに強い抵抗意識を持っていました。

     しかし、結婚7年目に気付いてみたら、やっぱりその「お約束」に馴染んでしまってました(問答無用で「私たちは夫婦だから大丈夫」で、問題の根幹を見ていない、真剣に関係を育てようとする努力を怠っている実態を、「もう夫婦だから」という形式的な事実で誤魔化している)。結局、私たちもいわゆる「夫婦」という一般概念に乗っかって、事の本質から目を逸らしていた方が楽チンだったのでしょう。そういや、「長い人生、共有していこう」的な志向性はあの頃はあまりなかったな。まだ若かったんでしょうかね、「今」しか見てなかった。

     その誤魔化しに気付いた時には、「お約束に束縛された関係から、まっさらな関係に戻すしかない」と思い、「結婚によって埋もれた自分のアイデンティティを取り戻し、お互いの関係をあるがままの状態に戻すためには離婚するしかない」と決意しました。こうして文章化すると、なにやら理屈っぽい人だと思われそうですが、この感覚は理屈ではなく、魂のド中心から出てきたものです。たぶん、分かる人には分かると思いますが。「なんかわからないけど、このままじゃダメだ。一回白紙に戻す必要がある」という危機意識がありました。

     今回と前回とで違うのは、そういう社会的妨害に対する共同戦闘員としての側面を、前回は自ら意識的に選択し、その戦闘自体(本来はその戦闘を通して得られる「自由」が目的だった筈なのだが)を楽しんでいたのに対して、今回は別に闘いたくて結婚したわけじゃないけど、環境的にそうせざるをえない、ということでしょうか。ただ、この人と一緒に生きていきたいから結婚しただけなのに、それにお邪魔虫がくっついてくるというか。しょうがないから、歩きながら除虫スプレー撒かなきゃならなくて、それが超面倒。前回の時より虫は多いわデカイわ、ずっと鬱陶しいわ。まあ、どうせ一生このお邪魔虫を払いのけながら生きてかなきゃならないのだろうから、グチ言ったり落ち込んでるだけ無駄だもん、それはそれで楽しませてもらいますけどね、という。

     そんなお邪魔虫クン対策よりも、「これからどんな人生にしていこうか」という建設的な部分で人生共有したいですね。一生ずっと一緒にいるかどうかなんて分からないけど、お互い一緒にいたいと思ってるうちは、前を向きながら「何か」を創っていきたいです。もちろん、共有する過程では共存しえないことが起きて、多少個性が削がれたりするのもやむを得ないことですが、独立意識の旺盛な尖った個性よりも、先鋭さには欠けるけど丸くて深みのある柔軟な個性の方に、今は魅力を感じます。20代の時は逆だったんだけどなあ。人間年とると変わるもんですね。もしかして、これが結婚によって変わったことなのかもしれません。



1998年6月13日:福島麻紀子

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