シドニー雑記帳

援助交際について(その2)

−−最終兵器のあとは?



     で、第二点いきます。コスト関係で赤字ではないか論です。風呂敷き広げすぎたから中々終わらん。

     これまでは、男の立場というか、「悶々して歪むくらいなら、スッキリ発散!」という文脈オンリーでの話でした。もちろん、これだけでは片手落ちです。供給者としての女性の立場からはどうか?です(別に「女売る人・男買う人」パターンだけでなく、ホストクラブなどの逆バージョンもあるのですが、全体の比率でいえば微々たるもんだと思いますので割愛します)。

     売春などのSEX産業があるということは、男にとっては都合がいいけど、女にとってはどうなんでしょう。売春がアカンと言わる場合のデメリットというのは、殆どが女性側のデメリットだと思う。買った男側のデメリットについては言われることは稀です。逆に「据膳食わぬは〜」のように、どうかすると奨励すらされているという。




     では「女のデメリット」とは何かというと、ひとつは「売春は、女性の尊厳や価値を損なう」という考え方があります。なんか知らんけど、これ、メチャクチャ強固にあるよな気がする。例えば、皇室の女性が売春をしていた/これからする、とかいう話になれば、超スキャンダルになったりするでしょう。やんごとなきお方はそんなことするものではないという発想があるからでしょう。皇室アルバムで、「○○さま、売春体験」というタイトルで番組やって、「大変楽しゅうございました」なんて本人がにこやかに語っておられるなんてことは、まあ考えられない。ちゅーことはやっぱりネガティブに捉えられているということだわね。

     そうかあ?そんなにアカンことなんかあ?俺は全然そうは思わないし、女性の尊厳や価値をそんなSEXがどーのなんてレベルで語ること自体が貧しいと思うけど、ここにこだわる人は結構います。清純とか、純潔とか、SEXから離れていることがイイのだという発想。僕は、そんな剥製みたいな人間像に、何の魅力も美しさも感じないけど、そら、まあ人それぞれの価値観ですね。そーゆー価値観持ってる人が束になって存在しているという「現実」はありますわね。売春をするということは、これら鬱陶しい現実を引き受けねばならないことを意味します。ウザウザ言われたくなければ、秘匿せねばならず、恋愛、結婚、就職さまざまな局面で秘密を背負っていきていくことになる。このデメリットは大きいのではなかろうか。たかが数万円貰ったくらいじゃ合わないだろうなというくらい。




     そいえば、風俗行って女買うくせに、自分の恋人・嫁さんは風俗関係だとイヤと言う男がたまにおったりするけど、正直っちゃあ正直かもしれんけど、男らしくないぜよ。金払って「参加」してんだから、てめーも同類なんだよ、今更何スカしてんだよと思う。カミさんにしたくないとか思うなら、やっぱ見下してるわけで、金さえ払えば人を見下してもいいんかい?あんたの人間観ってそんなもんか?下品なやっちゃなと思うわけです。そんなタコ、好かんわ。




     だもんで、こんなタコがうようよ泳いでいる海で生きていくなら、売春なんか生半可な気持でやるもんじゃないよ、あとのツケはでかいよと。単なる、処世訓や打算計算だけで言うならば、滅多やたらと割の合う仕事でもないだろう。いい/悪いではなく、損得でいえば、「損」になるリスクはきっちり考えておいた方がいいよ、と。そゆことでしょう。




     というわけで、援助交際を性欲管理メソッドという社会システムの問題としてみると、コスト&ベネフィット関係で採算が合わないのではないか?女性側のデメリットの方が大きすぎるので、赤字ではないかと。

     一見荒稼ぎしてる女子高生の方が儲かってるような印象もありますが、儲かるといっても「事業」として考えれば取るに足りない額だろう。いくら本人が「問題ないよ」「皆やってるよ」と突っ張ってても、実名で「それはワタシです」と名乗り出るには抵抗あるだろし、将来自分の結婚式で「新婦は学生時代援助交際でも活躍し」などと紹介されたかないだろう。内面的にも「してしまったワタシ」という自意識は一生離れることはない。そこらへんを全部クリアできる人だったら、何も「援助交際」なんて誤魔化した名称で、効率の悪いことせんでも、堂々とプロとして風俗で頑張ってるでしょ。自分でも後ろめたいから「皆もやってる」と防衛線張るわけで、その後ろめたさは一生付いて廻るわ。長い目で見たら赤字じゃないんですか?




     コスト関係の損得の問題はさておき、女子高生の援助交際=少女売春、についていうと、もう一点、「青少年がSEXに耽るのはイイコトではない」という通念があったりします。不純異性交友とかね。これも「なんで?」というと、いろいろあるんだろうけど、まあパターナリズムというか余計なお節介ですわね。赤の他人が自ら進んでどっちに行こうが知ったこっちゃないんだけど、未成年or未成熟な場合、十分な選球眼がない。つまりは、一種の知能障害者のようなものだから、目の見えない方に信号を教えて差し上げるのと同じような意味で、一定方向に導くという「介入」が求められ&許される余地はあるということでしょう。




     でもねー、この情報化社会において、「35歳の者は18歳の者よりも常にかしこい」といえるかどうか?バブルに躍らされ、流行に流されている大人がそんなに賢いのかいな?援助交際をする女生徒と同じ数だけ成人男性がいるという算術的帰結からしても、どーも俺ら「大人」が「子供」に、押し付けがましくエラそに「導く」なんて、本当の本当に出来るんかいや?うぬぼれとるんと違うか?という強烈な疑問はあります。ありますが、「同じアホでも失敗経験のあるアホはまだマシ」という観点から、なんとかこの疑問はクリアしたことにします。そうしないと話が先に進まないからです。




     で、自分の経験をもとに言うならば、そうねえ、中高生の皆さんにはですね、SEXも、するなはよう言わんけど、ほどほどにしとき、と言います。なんでか言うたら、アレ面白すぎるんやね。他のこと出来んようになる奴もいる。

     別に「学業をおろそかにするな」とは言いません。教えられてることなんか、そもそも学業たる名に価するかどうか疑問だし、その学業を修めた筈の世の大人どもだって何習ったのか試験終わったら殆ど覚えとらんもん。アケメネス朝ペルシャとササン朝ペルシャでどっちが先だったか覚えてますか。6年英語習って現場で一言も喋れないようなことに膨大な時間費やすのは、はっきり言って無駄やと思う。勉強なんて卒業できる程度にやってたらよろし。運転免許やスキューバ免許のようなもので、「何かと便利」だから卒業して高卒資格くらいは取っておいた方がいいよ、とその程度。大学入試についても、ほとんど受験勉強せんかった僕がエラそに言う資格はないし、あんなんせんでも弁護士くらいなれます。要は本チャンの司法試験で、大学なんかどこでもいい。入試にエネルギーの無駄遣いすることないよと、高校時分の僕は思ったし、今でもその選択は間違ってなかったと思うよ。




     ここでいう「SEXにかまけておろそかにせん方がいいもの」というのは、勉強とかではなしに、「好きなこと」ですね。今の自分を構成している要素って、その大部分が中学高校のときに吸収したものです。だからこのホームページで言ってる程度の話は、表現の巧拙ははあるけど、基本的に高校時分の僕でも言えたと思います。少なくとも骨格はそうです。

     部活やったり、本読んだり、音楽聞いたり、物考えたりとか、なんせ暇な時期だし、物覚え早くて感性がフレッシュだから、何やっても身につくのですね。ミュージシャンとかの話を聞いていても、自ら欲してなんかの道に入った奴って、結局中学高校の頃に殆ど全ての種蒔きが終わってるように思います。何かを聞いたり読んだり出会ったりしてガーンとなって、以後その道に進んだりする。スポーツにしても、メチャクチャ効率よくマスターできる。大人になったら、身体駄目だわ、時間ないわ、金掛かるわ、基礎練やらないから、なっかなかモノにならない。三日坊主で終わるのがオチ。一定の技術身につけようとするなら、ウサギ跳び10周とか本当は必要なんだけど、あんなの先輩にシゴかれないかぎり自分から進んでようやれんでしょ。

     ほんま一生の財産形成の時期やね。この時期スカスカにしちゃうと、やっぱその後、自分の世界も築けないし、深くハマるような分野もないし、世界観も狭くなるというか、単純に物知らない奴になりがちだと思う。ここらへんは実感としてそう思う。




     で、SEXは、なんというか、社会出てからでも十分間に合うのね。変な言い方だけど、社会出てからだと忙しくてSEXくらいしかすることないのよ。あとは趣味の世界を一つか二つ。でも、十代の頃ほど熱狂的にハマるというのは中々ない。別に、高校時代SEXしまくっていても、他方で読書とかすることは全然出来るのだけど、でもハマっちゃって、それしかないという奴もいると思うのですね。それ勿体ないよ。SEXなんか遅かれ早かれ皆やるんだし、やっても全然自慢にもならん。自分の世界という感じでもない。やりすぎると飽きちゃうし。ましてや男の場合、30歳過ぎたらどんどん飽きるし、面倒臭くなるし。それほどのもんじゃないですね。だから、トータルとしてみたら、ガキの頃は他のことしとった方がええよ、と。そう思います。

     以上は、売春とかいうのとは別に、「青少年とSEX」という一般的な話でした。援助交際については、もう一点あります。





     援助交際は、マスコミで言うほど誰もやってないと思うし、もし誰も彼もがやったら需給バランスの関係で価格破壊が起きてると思うけど、そうなってないようだからやってる人は案外と少ないんでしょう。で、その少ない彼女らに対しては、どうしてそんなに金が欲しいの?と思います。




     ブランド品が欲しいからとか、マスコミでは解説されてるけど、ほんと?ブランド品は、自分も持ったことあるから、嬉しいのは分かるけど、快感度でいえばそんなに高いものではない。むしろ、どっちかといえば、ささやかな喜び程度だと思う。もっともっと「歓喜、天に至る!」みたいな楽しいこと、世の中なんぼでもあるけど、ないんかな?

     金を使って快楽を得る、楽しむというのは、人間のイトナミにとって一番簡単で安直な方法だと思う。デートの技でいえば、高い金払って歓心を買うのは、非常に初歩的というか、あんまりモテない奴のやることで、モテる奴or上手な奴は、殆ど金遣わなくても、シチュエーション設定が巧みさとか、メリハリを効かせて相手に満足を与えるでしょ。それは「技術」とか「センス」だと思うのですね。金を使うなということではなしに、「使いどき」というのがあると。ありあわせの状況でいかに楽しく持っていくかというのが、創造力であって、その人の個性でもあり、機嫌良く生きていくコツだと思うわけですよ。金ピカの良さとか、渋い世界とか、いろんなドアはあるわけで、どう取り混ぜてどうアレンジするか、それが個性であり、それが文化でしょ、と。

     もし、楽しみを得る為に、金が、それも少なからぬ金が必要だとするならば、金がなければ全然面白くならないのであれば、そこらへんの技術が拙劣なんじゃないのか。あるいは、同じ物見ても感動できないのであれば、生命力そのものが低下しているのかもしれない。どっか病んでるんじゃない?




     ところで、オーストラリアに来た当初思ったのは、友達が「今日はとてもいい天気だ!いろいろ遊べるよ」と芯から嬉しそうな顔をすること。こっちは抜けるような青空が多く、日本なんかよりもよっぽど当たり前の天気であるはずなのに、イチイチ嬉しそうなんだわ。天気がいいというだけで、人間ここまで幸福になれるもんなんかと思った記憶があります。

     オーストラリアの人は、金もかけずに、というか、同じ状況でありながら、幸福になるのが上手な人たちであるかもしれない。陰気な顔して歩いている人って少ないし、店で物買うだけでも冗談言ってる。冗談なんか幾ら言ってもタダだもんね。そんなこんなで、幸福にもっていく技術というのは培われているのではないか?エンジョイ、ハッピーという単語の使用頻度は、おそらく日本の10倍以上だと思う。レストランで皿を片づけるウェイターは、いちいち"Did you enjoy?"と聞くし、聞かれた方も、「素晴らしかったよ」「楽しませて貰ったよ」と応える。そんな社会です。

     そんな中におると、何で身体張ってまでして金稼がんとアカンの?と、非常に不思議に思います。援助交際がいい/悪い以前に、「不思議」ですわ。そんなにも楽しいことがないのか。いや、援助交際で資金貯めてベンチャービジネス興すんだというなら、結構頼もしいけど、買物だけなの?




     また、女性にとって身体を張るというのは、かなり攻撃力のある手段であり、いわば最終手段だと思うのです。金儲けの手段としてもそうだし、男に言うこと聞かせるには一番手取り早い。だからこそ最終兵器みたいなものなのだろう。それをしょっぱなからバンバン使っちゃっていいのか?と。

     金で楽しみを買うのも最終兵器ならば、売春も最終兵器。言うならば、ウルトラマンが登場したと思ったらいきなりスペシウム光線を連発してるようなもので、そんなにやっちゃったら後が持たんだろうにと、他人事ながら思う。一種の「火遊び」としてやるなら、そらスリリングで面白いかもしれんから、分かるけど、ほとんど「仕事」のようにやるというのは、あとが大変だわ。まともな仕事なんか、まどろっこしくてやってられなくなるかもしれないし、一遍金遣う楽しみ覚えたら、あれも麻薬性あるから(病的浪費癖とか精神疾患としてあるくらいだし)、しんどいわ。




     だもんで、やらん方がいいよとは思う。

     が、こんなものは「やるな」とかお説教垂れて何とかなった試しなんかないから、それだけでは意味ないですね。結局思うのは、今の世の中楽しいことが少なすぎるのですかね?と。あるいは楽しくなるなり方がヘタクソになってるのですか?と。金を使わなければ楽しくなれないかのように、誰かが言っているのですか?そこらへんがモンダイの核心なんじゃないかな?と思ったりもします。




     あ〜、ここで思い出した。
     相棒福島が趣味のアロマオイルを売ってるけど(研究費など入れたら超赤字だけど)、なんかブツクサ言ってたな。日本では、馬鹿高い100%ピュアオイルばかり売ってる、と。100%ピュアであらずんばアロマにあらずみたいな。下らない傾向やね、と、俺も思う。初心者が趣味でやるには無駄じゃないのかな。

     あの違いが実際の使用場面で分かるのは、よほどのマニアじゃないの?俺なんか二つ並べて嗅いでも「何となく違うかな」「ちょっと濃いかな」という程度で、よう分からん。ましてや使うときにはキャリアオイルとやらで薄めるんだから、要するに濃度だけの問題じゃないの?さらに、セラピー(治療)としての配合とかいうなら、きっちりした医学知識と臨床経験もいるだろうに。

     何となく色々な香りで楽しんでみたいというなら、100%ピュアである必要は全然ないというか、地球資源の無駄ですらある。あんなの120種類くらいあるんだから取りあえず全部試していたら金がいくらあっても足りん。物にもよるけど一本数万円とか?なにそれ?と思うわ。ギターでいえば、30万以上するギブソンしか店に売ってない状況、車でいえばポルシェしか売ってないという感じ。カローラで十分な人だっているんじゃないのか?ポルシェじゃないと事故起こすとでも言うのか?不思議だ。

     日本は経済大国だから何でもあるとか言うけど、やたら高い物以外は何にもないよ。安ければいいとか、高ければいいとか、そんな目盛りが一つしかないモノサシしか持ってないなら、消費者ちっともカシコくなってへんねと思う。かしこい業者さんの言われるままやわ。なんで自分の目で見て、確認して、自分の判断信用せんの?自分が何をしたいのか、ちゃんと把握してんの?すごい疑問あります。




     だから、同じことなんだわ。援助交際も何もかも。そのうち、そこらへんの主婦が、援助交際して金稼いで、100%ピュアオイル買うようになるかもしれん。というかもう買ってるだろうな、多分誰か。そんでもって、試したこともない癖に「やっぱ。100%でなきゃあ」とか言ってるんじゃないかな。でもって、そこらへんの料亭にいけば、通ぶったオヤジが、「やっぱり、養殖もののアユなんか駄目ですよ」と能書垂れているという。

     寒いわ。




     これらのブームに付いて、古来日本人は「形から入る」からとかもっともらしく言われるけど、僕は異議あります。古来言われていたのは、「しっかりした基礎を身につける」という文脈での話であり、「とにかく高価な機材を買い揃えて」「分かった気になる」というものではない。というより、個人の習練修行を重んずるという点では全く対極にあると思います。高価なもの買う暇あったら、三日坊主で終わらんようにする方がよっぽど大事だとは思わないのか。その意味でいまの日本人は日本人じゃないのかもしれないです。

     まあそんなこと言ってたら経済発展はないんだろうけど、そんなことして経済成長なんかせんでもええやないかと思うのでした。キャビア食えんかてタラコでジューブンと違うんか?別にそれでええやん。高価なバッグはなるほど品質は最高だろうけど、もっと大切なのは、そのバッグにあなたは何を入れるでしょ。

     そういや、ガキの時分、新しいシャーペンが欲しかったり、別の参考書買ったらすごく良く分かるんじゃないかとか、やたら高級鉛筆買ったりとかしてたときがあった。英語をやろうといって、手当たり次第に英語の本を買いまくった時期もあった。でもそんなことしてるときって、全然伸びないのよね。オーストラリアに来て、現場で必死に英語やるようになってから、全然英語教材なんか買ってないし。そんなことより面倒臭がらずにコマメに辞書ひくことの方が遥かに大事だし、力つきます。結局、ウサギ飛びせんかったら伸びないのよね。

     本当にやりたいときは、物なんか揃ってなくても、ありあわせで間に合わせて、いきなり本体に切り込むわ。襲い掛かるように猛然とそれやるわ。逆に、周辺機材に凝り出すというのは、なにかから逃げてるときじゃないのかな。本体領域にいきたいんだけど、そこでシンドイ思いをするのは嫌だから、機材揃えて雰囲気だけも浸りたいとかさ。それって、心が弱まってるというか、パワーが落ちてる兆候だと思うけど、違うかな?




     なんだかんだ色々言ってますが、自分で言いながら自分でそんなに信じてません。推測と小理屈で四方八方に直線引いてるだけの話で、ほんとのところはどうなのでしょう?ただ、最初に述べた「命題その3:簡単、安直な手段に頼ってると、本当にいいものを見逃すぜよ」というのは、そうだと思います。SEXにしても、行為それ自体を捉えれば、あんなのただの腕立て臥せに過ぎないとも言えるし、大したものでもない。ただ、それにグチャグチャ複雑な精神性が付加されて、変幻自在な世界が広がるものでしょ。金にしたって、稼ぐよりも使うほうがよっぽど難しいとも言える。簡単に出来てしまうものは、それだけに飽きがくるのも早い。

     だから世の中面倒臭いわけだし、だからこそ面白いと思うわけです。F1レーサーが、自分の命と引き換えにものすごいスピードでコーナーに突っこんで行くように、人間というのは、全知全能を振り絞った自分の限界周辺で遊んでるのが一番面白いのだろう。しち面倒臭いダンドリを踏んで、やっと到達した場所には、やはりそれなりの世界は広がっている。それはもう「金出してガシャポン」の世界ではないです。喜びの深さでいえば全然比較にならない。でも、その山に入っていくための地図もないし、登山道も整備されてるわけではない。自分で探すっきゃないです。その探す過程で試行錯誤はあるだろし、援助交際にしても何にしても、試行錯誤のヒトコマであるならば、大した問題でもない。僕が、「やばいなあ」と思うのは、最初から探す気がないのか、探すこと自体や探し方をを知らなかったりすること。それは、ちと、問題かもしれない。




     なお、最後に、個人的趣味でいえば、援助交際するコはキライです。もとより嗜好としてガキっぽいのは好みでないうえに、実際にも魅力ないもん。ずっと前、まだ伝言ダイヤルで援助交際なんて言葉が登場しだした頃、だから3〜4年前ですか、こっちも新し物好きだから伝言ダイヤルとか聞いてみたわけです。
     で、「16歳の女の子です。援助交際を希望しています」というメッセージを聞いたりして、「なに?援助交際?ああ、売春のことね」と分かったんだけど、なんか不愉快だったわ。金取る以上プロであり、プロである以上、これはメッセージというより「広告」やんかと、こんなとこで営業すんなよというのがまずカチンときた一つ。さらに、声の張りや、言い方などが、なんか死んだ魚みたいに生気がない。緊張してるからか知らんけど、なんであんなに「死者のメッセージ」みたいな感情も抑揚もない詰まらなそうな声で喋るの?あれも一応「呼び込み」なんだから客が逃げるよ。最近はどうなってるんでしょう。そんでもって、トドメは、女子高生といえば商品価値があるという思い上がりが背景に透て見えることですね。ムカつきますね。プロをなめんなよというか、牛丼一杯1万円で売りつけられたような不快感ですね。ガキのくせに殿様商売すんなよという。

     ほんでも買っちゃう男がおるんよね。エエカッコしいするつもりは無いけど、ブルセラ趣味は全然ないので、なにがそんなにいいのか僕には分からん。あれって、学生時代憧れていたけどSEXできなかった想いを、大人になってから晴らそうという心理構造になっているのでしょうか?もし、そうだとしたら、やっぱり多少は青少年諸君もSEXしといた方がいいのかもしれませんねえ。後々引きずらないためにも。引きずってるおかげで愉快な中年ライフをエンジョイしてると言えなくもない、、、、が、逮捕されちゃシャレになってない。

     ちなみに、女子高生に混じって、「主婦」と名乗る人も少なからず援助交際を申し出てたような気がする。また、お金目的ではない(そうかもしれないけどそれは言わないで)、「割り切った大人のお付き合いのできる人を募集しています」というフレーズ、もう決まり文句のように、沢山ありましたね。そっちは話題になってないのですか?


1997年4月12日:田村

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