Introduction-はじめに



    どうしてこんなものを書いているのか?







       だれに頼まれたわけでもないけど、このシドニー生活体験マニュアルノートを書いてます。


      1994年の4月、誰一人知人のいないまま、「何とかなるだろ」とポ〜ンとシドニーにやってきました。でも世の中そうそう甘くはなく、やはり右も左もわからず途方に暮れる羽目になりました。もちろん既刊の海外ガイド本にはかなりお世話になりました。それでも「ああ、こんな本があったらなあ」という思いが募ったものです。というわけで「無ければ作ろう」「いつか誰かの役に立つだろ」と思って書きはじめました。


       最初はメモ書き程度のつもりでしたが、「内容的に不正確じゃないか」とか、「この記述では不親切ではないか」とか、いろいろ気になってくるもので、わざわざ文献を買ったり、現場に行って確認したりしているうちにかなりの作業量になってしまい、途中でうんざりしてきて放置してた時期もあります。そうこうしてるうちに、気が付いてみたら日本では『地球の暮らし方 オーストラリア』ほか、『何でもっと早く刊行してくれなかったの?』という書物が続々と刊行されていたのでした。

       他に良書があるなら屋上屋を架することもないだろう、「この作業は取りやめっ!」と最初は思ったのですが、よく見ると全てがオーバーラップしてるわけでもないし、また比較する他の情報がある方が読み手にとっても何かと便利だろうと思い直して続行することにします。むしろ他にしっかりした書籍がある方がこっちとしても気も楽です。なぜなら、誤謬のない客観情報の提供に努めるのとは又違って、『僕の目に写ったシドニーはこうだよ』と主観面にシフトした方向で書くことも出来るし、そうした方が相補完して良いのではないかなとも考えています。



       作業にうんざりしてるとき、よく「なんでオレはこんなもの書いてるんだ?」と思いました。「なんでなんかなあ?」と自問自答すると、やっぱり余計なお世話ながら「海外生活は面白いよ」と他人に言いたいのでしょう。好きな映画を友達に勧める心理と似てます。


       でもそれだけではない。


       僕は、日本人の中でも「海外」というものに疎い方でした。これはもう自信持って言えます。シドニーに来るまで海外旅行といえば職場の香港ツアー一本だけです。そもそも初めて飛行機というものに乗ったのが27歳のときでした。英語に至っては暗記暗記の高校段階で既に挫折して、英会話教室一つ行ったことなかったし、今回の渡航1年前までTOEFLの存在自体すら知らなかった(ちなみに直前に試しに受験したら壊滅的な成績→確か430点前後で「これで海外行こうなんて10年早い!」というような点数)。「海外」なんて行く人、ましてやそこで「暮らす人」なんて「特別な人」だと思ってました。


       それがどうしていきなり海外生活などを始めたかというと話は長くなりますので割愛しますが(シドニー雑記帳などに記してあります)、ここで言いたいことは、海外に関する経験知識では日本人のなかでも確実に平均を下廻るであろう当時の僕が、ぶっつけ本番で海外で暮らしてみて、「何か事前に聞いていたのと随分違うなあ」と感じたことです。


       このあたりのことをもう少し述べます。



    海外「旅行」と海外「生活(体験)」

       実際に現地にやってきて感じたことの一つは、旅行するより暮らす方が遥かに面白いということです。

       特にシドニーは旅行するよりも、暮らす方が面白いと思います(都会はどこでもそうでしょうが)。絵葉書どおりのオペラハウスを初めて見たときは『ほう、これがあの有名な』程度の感動ですが、近所のスーパーに行って8リットルサイズのバケツのようなアイスクリームを見たときの『げ、なんじゃこりゃ?!』という衝撃の方が強かったりします。5つ星の高級ホテルの部屋よりも、現在住んでる築150年(!)の煉瓦造りの家で、隣の大家さん(地中海のマルタ島から40年前に移民してきた)に「子供の頃ヒトラー空挺団の爆撃を受けた」等の話を聞いてる方が、僕には面白く思えるのです。こういう「面白さの違い」というものはあると思います。




       あなたの住んでいる町にも観光客はやってくるでしょう。しかし、観光客が行く場所と、あなたが行く場所は違う。東京に住んでる人は滅多に東京タワーに登ったりしないし、京都に住んでる人が毎日金閣寺に行ってるわけではない。では「土地の人」は東京タワーに登るかわりに何をやっているのかというと「生活してる」わけです。簡単に言えば、この違いが、「旅行」と「生活」の違いということになると思います。


       シドニーを訪れる観光客も、いわゆる定番の観光地(オペラハウスやブルーマウンテンなど)を巡回して、ホテルに戻って食事をし、土産物屋に行くわけです。それはそれで短時間のうちに沢山廻れます。効率的です。なにより安心です。ひとつの大きな選択肢であることは間違いないでしょう。

       しかしパックツアーに組み込まれているホテルというのはだいたい一流ホテルであり、一流ホテルというのは世界中どこ行っても同じような作りになってますので、ホテルの中に入ればあとは日本とそれほど変わらない。ホテル内の高級レストランも、免税店に並んでいる土産物も、事情は似たようなものでしょう。

       集団で移動していれば現地の人と直接英語で接する機会も限られてくる。かといって、僕はパックツアーを否定したりするつもりは全くありません。ものにはそれぞれ持ち味や長所短所がある、という話をしているのです。





       「海外旅行」は面白く手軽になってますが、安心感に反比例して新鮮な冒険的要素は限られています(だからこそ安心なのですが)。いわばサファリパークのライオンバスのようなもので、確かに車窓からはライオンもキリンも見られますが、実際やってることといえば座席にすわって見ているだけで、折角高い飛行機代払って来たのにそれじゃちょっと勿体ないじゃないか、もっと多様な選択肢があってもバチは当たらないのではなかろーかという気持がムクムクと湧いてきてしまいます。もちろん滞在時間も限られているので、「暮らす」なんて悠長なことは出来ないでしょうが、「暮らすような気分」「生活体験」をすることは必ずしも不可能でもなかろうと思うわけです。


       もっとも、面白いか面白くないかは個人の趣味の問題ですので、ここで好みが分かれるでしょう。そんな地味なことより、オシャレなホテルでリッチな時間を楽しみたい人はこの先読んでいても違和感を覚えるでしょう。逆に僕と好みが合う人はこのまま読み進んで下さい。



    そうは言っても大変だ!

       さきほど「ライオンバス」と言いましたが、バスから降りる以上、これまで旅行会社や添乗員任せだった面倒臭い作業、つまり宿の選定、移動、食事なども、曲がりなりにも自分でしなければなりません。これら基本的な事柄が自力で出来るようになってはじめて「ひとり歩き」や「生活(体験)」に辿り着きます。しかしそれにはそれ相応の不安と苦労はつきまといます。言葉の壁、馴染みのない習慣、不案内な土地と犯罪の不安などなど。これがなかなか大変です。


       したがって問題は、「バスから降りて落ち着くまで」の間の不安と苦労をいかに軽減するかだと思うのです。しかしその部分を懇切丁寧に書いてある本というのは意外に少なかったわけです。余談ですが、この「中間部分の欠落」「波打ち際を一歩出ると急に背が立たない深みになっている状況」はパソコン関係の解説書にも言えるような気がするのですが。



       ところで、海外で生活している日本人は沢山います。皆さんどうやってるか気になるところですが、実際日本人が海外で暮らすパターンというのは限られていて、海外赴任、留学、ワーキングホリデーや海外青年協力隊などへの参加、国際結婚その他による移住などが相場でしょう。これらの場合、現地での受入体制が整っているか、少なくとも現地に最低一人は関係者や仲間がいるのが通例ですので、そのガイダンスや助言によって物事が進んでいくことになるように思われます。

       ところが、これらの定型的なパターンに当てはまらず、現地に一人の知人もいない場合には、誰も教えてくれる人がいません。早い話が、空港に到着した時点で右も左も分からず途方に暮れてしまうこともあるわけです。実際、連絡の行き違いで来るべき迎えが来ず、空港ロビーで何時間も待ち続けて泣き出してしまった留学生の話も聞きますし、また同地在住の知人の存在が留学先の決定要因の一つになったという話も良く聞くところです。勿論、行動力やバイタリテイのある方、語学に自信のある方は、単身渡られてバリバリやっておられるでしょうが、そのような人は数から言えばやはり少数派でしょう。



       では、これまであまり海外旅行に行ったこともなく語学も大いに不安だが、一生に一度くらいは海外生活がどんなものなのか試してみたいと思っている人がその希望を実現することは実際問題不可能なのでしょうか?必ずしもそんなことはないし、少なくとも自分の場合は出来ました。ただ「不可能ではないがそれなりに難しい」とは言えます。


       では、何が難しいのか、それはどうしたら軽減されるのかですが、僕としては一にも二にも「実践的な知識」だと思います。

      ここでいう「知識」というのは、観光名所の入場料を知ることよりも、たとえばシドニーに市バスに乗ろうとした場合、

    • 料金は均一運賃ではない。
    • しかし整理券は見当たらないし、車掌もいない。しかも運賃は先払い。
    • だから最初に、運転手に行先を告げ料金を教えて貰う必要がある。
    • しかしバス停に名前がつけられていないのにどうやって行先を告げればいいのか?
    • ところで皆が乗車口で機械に差し込んでるカードのようなものは何なのか?
    • あれはどこに行けば手に入るのか?
    • 買うとき英語で何と言って買えばいいのか?

      などなど、盲点になりがちだが、知ってるのと知らないのとでは全然違う生活基礎知識のことです。僕がいきなり困ったのもそのような事柄でした。


       本書はここに焦点を当てたいと思います。


    生活体験と生活そのもの

      ところで、腰を落ち着けて海外生活を楽しむにしても、旅行と生活が異なるように、「生活体験」と「生活そのもの」ともまた異なります。


       両者の違いは「生計」という要素が入っているかどうかと言えましょう。100%「生活」そのものの場合、何よりも就職や開業をして「生計を立てる」ことが重要な柱になります。水道光熱関係の処理に始まって、子どもの教育関係、健康保険、冠婚葬祭その他のお付き合い、税金や暮らしの法律、そして根本的にはビザ関係などなど、考えねばならないことやマスターすべきことは多々あります。


       さらに海外移住ともなると、現在の日本での生活環境や人生設計が基本的に変わってくるでしょうし(年金はどうなるかとか)、究極の選択としては、永住権だけでなく市民権(国籍)まで取得するか、言い換えれば日本国籍を失い「日本人をやめるか?」という地点まで行き着きます。このように広がっていく地平の中で、色々と見聞を深め、人生の可能性と多元性(plurality)を考えていくことこそ、当APLACの本来の趣旨でもあります。

       それらのことは、ホームページ別項に譲り、ここでは、いわゆる観光ガイドブックでもない、完全に生活者(永住、長期滞在者)のためのものない、そのどちらでもない(どちらの可能性も含みつつ)、「海外生活」の「体験」をしてみようかという方のための本です。もっとカジュアルに、「パックツアーより一歩踏み込んだ海外体験」「単に名所見物してお土産買うだけの旅行ではなく、腰を据えて人々の日常の暮らしのなかに近づいてみたい」「ものの試しとして海外生活をやってみたい」という方のための本です。



    現地にからだが馴染んでゆく不思議な瞬間

       現地の人々と立ち混じって、何とかかんとか日々を過ごしていくと、あるとき、今まで感じたことのない不思議な感覚が訪れることがあります。


       それは例えば、昼下りのバス停でぼんやりバスを待っているとき、買物袋をぶら下げて夕暮れの石畳を歩いてるとき、下町のレストランで地元の家族連れの仕種を眺めているとき、ふと裏庭に出て夜空にオリオン座が逆さまに輝いているのを見つけたときかもしれません。ふとした拍子にその「不思議な何か」が訪れます。自分がそこに存在していることが、自分でも意外なほど居心地良く、奇妙に馴染んで感じられる瞬間です。大袈裟に言えば『もうひとつの人生の可能性を感じる瞬間』でもありましょう。『なるほど、こういうことだったのか』『こんな風に自分も生きていってもいいんだよな』と視界がパッと開け、不思議と気が楽になる瞬間でもあります。


       もちろん、感じ方は人それぞれでしょうし、何にも感じない人もいるでしょう。でも、外国にいることの物珍しさや緊張感などの感情の高ぶりが一段落して、地に足がついてきて、落ち着いて周囲が見えるようになる時期というのは誰しもあると思います。これは中々いいものです。本当に余計なお世話なのですが、あなたもいかがですか?



       異国の地をキャンバスとして、具体的にどんな絵を描いていくかは、全てあなたの選択です。比較的生活費も安く、煩わしい対人関係も少ない環境で、ひたすらゆったり過ごすこともできるでしょう。執筆その他の創造的活動に没頭したり、読書三昧、釣り三昧、あるいは珍しい料理の食べ歩き、暖炉のある草原の小屋で暮らすことも出来ます。短期コースの各種講座に通い資格を取ることもできます。また、仕事や人生上の将来設計において何らかの海外展開を考えておられる方は、現地の事情や雰囲気を自分の目で確かめることが「はじめの一歩」となるでしょう。


       思うところは各自それぞれでしょうし、逆に海外なんて全く現実味のない話と思う人もいるでしょう。ただ、「可能性」といい「現実味」といっても、突き詰めれば、些細な情報の有無によって変わるものですし、段取りや見通しが明らかになってきたら考え方もまた変わるかもしれません。最終的な結論はともかく、選択肢が増えることは生き方が豊かになることでもあります。豊かな多元性に寄与することができたなら、辛気臭い作業をしてきた我々の苦労も報われるでしょう。


       書き進めるにあたって、APLACの福島、柏木両名、並びにMr. Peter Denhelmほかオーストラリアの友人に謝意を表します。




    インターネット版に関して

       もともと本書は、印刷したものを関係各所に参考にしてもらうために送ろうという趣旨ですが、せっかくインターネットという手段があるのだからここにも載せます。印刷物と画面では随分感じが違うので、それなりに文章や体裁を修正してますが、基本的には全内容をまるまる載せてます。したがって、本一冊分くらいのボリュームがありますので心しておいて下さい。その代わり画像の類は極力カットするようにしてます。






      ★98年1月:補訂作業中にて

       上記の前書を書いてから、早いもので1年半ほど経過しました。

       APLaCのホームページのうち一番古いコンテンツなので、さすがに今読むと、知識的にもHTML技術的にも「ほっぺが赤い」なあと思ってしまいます(^^*)。しかし、本体的な内容部分については、驚くほど何も変わっていなせん。補訂版といっても微修正やレイアウト上の物に留まるでしょう。

       この文章を最初に書いた96年当時には、「個人旅行」という言葉はそれほど一般的ではありませんでした。それどころか「APLaC」という名前も構想もありませんでした。単に「あると便利だろ」という部分で作ってたわけです。それがホームページも作り、仲間も増え、アクセス数も増え、お客さんもいらっしゃたりしています。

       「感慨無量」というほどには、特に何が進歩したわけでもありません。相変わらず赤字で貯金食いつぶしていることに変わりありませんが、「やってみるもんだな」と思ったりもします。





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