英語雑記帳




日常会話力を伸ばすコツ




 「英語できる?」
 「うん、日常会話程度なら」

・・・という会話が日本国内ではよく聞かれます。私も日本にいる頃はそう聞かれれば、そんなふうに答えていました。でも、一旦「生活者」として現場に出てみると、甘く見ていた日常会話が実はけっこう難しいことに気付きます。「日常会話ができれば上等じゃん」「いや、日常会話ほど難しいものはないぞ!」てな具合に、日常英会話観が反転してしまったりします。

 日本でいう「日常会話程度」とは一般には「少し」の意味でしょうから、正確には「旅行会話程度」にあたるのではないかな。外国に一人旅に出て「駅はどこですか」「部屋は空いてますか」程度の会話ならジェスチャー交えてどうにかなって、行き会う人々と「日本から来ました」など自己紹介的なコミュニケーションができて、無事帰国することが出来る程度を指している場合が多くないですか?

 たぶん外国ならどこでも同じなんだろうけど、現地で生活しはじめると、日常会話の難しさに圧倒されると思います。特に、中学・高校と勉強してきた英語の場合、「勉強してきたんだから出来るハズ」という妄想が働いてしまうので、余計現実とのギャップが開いてしまう。本当に町の人々との会話が壊滅的に分からない。そう、分からないのはアナタだけではないのです。

 たとえばですね、TOEFL700点とか、TOEIC900点レベルの、日本ではもう「英語の達人」とみなされるくらい立派な英語力を持っている人でも、現地に来て2〜3ヶ月は町に飛び交う会話が分からず打ちのめされるようです。今まで特に英語学習をして来なかった人なら「まあ、こんなもんか」と納得できるかもしれませんが(納得できても分からないことには代わりないけど)、必死こいて勉強してきた人にとって、その精神的な打撃は相当なもんです。

 私の場合は、旅行やホームステイ体験を通じて「どのくらい壊滅的か」のアタリはついていたので、そうそう取り乱すことはありませんでしたが、かといって分からないことには代わりありません。受験英語とかさんざんやってきたクチだから、文法や読み書きは比較的自信があったのですが、スピーキング&リスニングとなると・・・。でも、「分からなくても、なんとかなるもの」という根拠のない自信(開き直りともいう)だけはあったのですが、生活となると旅行やホームステイのようにはいきません。現実に英語できなきゃ電話はいつまでたっても通じるようにならないし、家具の配達が遅れても文句の電話もかけられないわけですから。壊滅度のアタリがついていようが、開き直ろうが、ちっとも「なんとかならない」です。あらためて、溜め息が出ます。

 が、それでも次第に、英語学校の先生やクラスメイトの言うことは分かるようになりますし、学校のリスニングテストならそこそこ出来るようになります。それなのに、八百屋のおっちゃんや薬屋のおばちゃんの世間話は相変わらずちんぷんかんぷん。不動産屋でも「湯沸かし器が壊れた」「修理の人を送るから待ってろ」といった現実的な話はなんとかなるのに、雑談になるとイッコも分からない。「まあ、きっとジョークでも言ってるんだろう」と適当に笑って誤魔化すという情ない状態が長いこと続きました。





 そういう次第で、英語学校に通っていた当時は、「日常会話がちっとも分からない/出来るようにならない!」と、いつも苛立っていました。

 何がどのようにわからなかったのかは、様々な要因が交錯していると思います。ここで3つの仮説を挙げてみます。逆にいえば、これがクリアできれば、日常会話はOKね、という「マスターすべき要素」ともいえます。

@日常会話表現の知識不足
A相手の癖や状況を読み取る技術力不足
B自信不足


以下、各仮説について「症状」について解説するとともに「傾向と対策」を考えていきましょう。





 まずは、@日常会話表現の知識不足についてですが、最も単純なことでして、知らなきゃどーしょーもないのです。知らない単語は聞き取れないし、たとえ聞き取れたところで意味も分からないのですから、お手上げです。

 一番身近な例でいうと、「How are you?」という挨拶の代わりに、「How is it going?」「How are you going?」という具合に聞かれることが多い。この going に「調子がいい、うまくいく」といった意味があることを知らなかったので、私はイチイチ「laundry!」「school!」とか律義に行き先を答えてました。日本でも近所で知り合いに会ったら、挨拶がてら「どちらへ?」と聞かれるから、それと同じことなんだろうって。

 まあ、このテの挨拶は内容なんかあってなきがごとしで、要するに愛想よくコミュニケーションすることが目的なので、笑顔で元気そうに答えてる分にはその役割は果たされているのでしょうが、それにしても「調子はどう?」「洗濯!」ですよ(^^;)。ぶっとんでますよね。

 それで、学校にもチャンスがあるごとに「難しい単語や時事問題を扱うよりも、日常会話を教えてほしい」とクレームしていました。ちなみに、このテの悩みを抱えているのは、私一人ではなかったようです。私は例によって受験英語のノリでクラス分けテストの結果が実力以上に高く出てしまったので、入ったクラスは「アドバンスト ビジネス イングリッシュコース」と「アッパーアドバンスト ジェネラルコース」という、要するに「すごい出来る人たち」の集団だったのですが、その彼らも同じ不満を言ってましたから。

 この要望に対する先生の回答は「今現在、シドニーの日常で使われてる英語を学んでも、世界に共通する普遍的な英語とは言えない。日常会話は流行り廃れがあり、覚えたと思ったら変わってしまうから、教える意味はない」というものでした。それはそうかもしれないけど、今現在、シドニーで生活している人間としては、その流行言葉が理解できなきゃ不便で困るのよ、と更に主張しました。その結果、「Daily Expression」と「jokes」いうコーナーが授業時間に新設されました。

 「Daily Expression」はその名のとおり、日常よく使われる表現なのですが、流行の影響がない定着した普遍性の高いものでした。たとえば、「As you may know(御存知かと思いますが)」とか「believe it or not(信じようが信じまいが)」とか、確かによく出てくる決まり文句なんで、覚えておいて損はなかったです。だけど、八百屋のおっちゃんとの会話に出現することはなかったですね。彼らはもっと単純なことを言っていたんでしょう。
 一方、「Jokes」の方は、ほとんど意味なしというか、いくら説明されてもなぜそれがおかしいのかが、全然分からんものが多かった。「西洋人のギャグセンスは、一朝一夕には分からないもんなのね」ということだけが分かりました。




 それ以外に、先生は「日常会話を学びたければ、テレビでソープオペラを見なさい。まあ、内容がくだらないから退屈かもしれないけど」とアドバイスしてくれました。ソープオペラというのは、いわゆる「花王 奥様劇場」みたいな好いた惚れたがテーマになってる連ドラでして、昔は昼時に石鹸会社がスポンサーになってることが多かったことから、「ソープオペラ」と呼ばれるようになったそうです、as you may know。
 で、見てると、田村正和みたいな人とか、篠ひろ子みたいな人とか出ていて、役もストーリーも似たようなもんなんだろうなあって雰囲気は分かりました。でもねえ、知らない単語・言い回しは聞き取れないのよ。早口だし。当時はビデオも持ってなかったから、英語の勉強としては「ほとんど無効」でした。

 映画もオージーの友達に誘われて一度見に行ったことがありますが、壊滅的に分からんかった。まあ、見たのが「Four weddings and one funeral」というイギリスのジョーク満載作品だったことも災いしていたのでしょうが、ジョーク以前の問題でした。会場じゅうが笑いで盛り上がるその瞬間、自分だけキョトンとしてしまうのは当然として、ストーリーすら満足に追えない。「映画なんて10年早い、映画見る金と時間があったら、家でシコシコ辞書ひいてた方がマシ!」と悟りました。

 振り返ってみても、あの程度の英語力(特に貧弱なリスニング力)で、テレビや映画を見ても本当に無駄だったと思います。「こりゃマズイ、勉強しなきゃ」という原動力にはなったかもしれないし、スピードやリズムに慣れるというベネフィットはあったかもしれないけど、そういうコトならなにも映画行かなくても、そこらに素材はころがってますし。

 今の英語力なら、一部に知らない言い回しが出てきても、その他の大部分が分かるので推測もきく(推測もなにも壊滅的に分からないものも未だにあります−「Mission Impossible」なんか終始「トムクルーズが頑張っていること」しか分からんかった)。それに、分からない部分は音としてキャッチできるので、あてずっぽうに辞書をひいて単語をあとから確認することもできます(見つからないこともあるけど)。
 が、当時はまず、スピードに付いていけない。音を拾おうとしたところで知らない言い回しだらけなので、推測しようにもヒントが少なすぎる。さらに、耳が慣れていないから、子供のように音としてキャッチすることも不可能。パズルを解いてるのと同じことで、虫食い部分が多ければ、どう頑張ってもパズルは完成しないわけです。

 テレビや映画を教材にするなら、ビデオは必需品ですね。分からない部分を何度も巻戻して確認できますし、書き取る時間もとれますし。それと、出来ることなら自分より英語の出来る人に一緒に見てもらうと効率的。分からない部分で止めて、その場で「あれ何の意味?」と聞いて教えてくれる人がいると本当に重宝です(最近は夫を活用しています。それでも、ギャグ部分だけはどんなに説明されても何がおかしいのか一向に分からないのは昔と変わりませんが)。

 一番望ましいのは、内容が全部書き起こしてあるスクリプト付きのビデオを見ることでしょう(テープでもいいけど)。分かる部分だけディクテーション(リスニングしたものを書き出す)して、聞き取れなかった部分をスクリプトで確認し、知らない単語は辞書をひき、それからもう一度ビデオを見てみる、という。この作業は面倒だけど力になると思います。スクリプト付きのベデオやテープは、英語学校の図書室に行けば適当なものが見つかるでしょう。




 こんな具合で日常会話の習得にはとても苦労したのですが、「じゃあ、本当に日常で役に立つ、ちょっとした表現はどこで仕入れたか?」というと、エクスチェンジ。「日本語教えるから、かわりに英語教えてね!」という、GIVE&TAKE式の教えあいっこです。「そんなまどろっこしいことをせんでも、ネイティブの友だちに英語だけ教えてもらえばいいだろう」と思うかもしれませんが、英語学校に通っている間はオージーの友だちを作るのはなかなか難しいものです。知り合う場も機会もあまりないし、あったところで英語喋れないし(^^;)。で、日本語という武器を活用して、日本語に興味のあるネイティブをキャッチするわけです。相手は日本語を勉強している学生さんだったり、日本企業に勤めている人だったり、単に日本や日本人(の女の子?)に興味のある人だったりします。

 大学の掲示板に募集広告を出しておいたところ、2人のオージーからコンタクトがありました。二人とも聡明で人格的にも優れた人で、英語に限らずオーストラリアの文化や社会のことから、おいしいレストラン情報まで、いろいろ教えてもらいました。一緒にどこか出かけることもよくあって、街を歩きながら気になる看板や、レストランで出てきた料理について質問したりなんてことも出来ました。この二人に出会わなかったら、「もっとオーストラリアに居たい」とは思わなかったかもしれないし、永住権申請なんてことも考えなかったかもしれないくらいの恩人です。

 先の「How are you going?」が行き先を聞いているわけではないことも、このうちの一人から教えてもらい、赤面しました。その返答として、文法的には「I'm fine.」が正しいのだが、オージーはいい加減だから、「I'm good.」とよく言うんだよ、なんてことも。私が教えた日本語なんかより、教えてもらったことの方がずっと価値あったんじゃないかな。

 それにしても、「こんな基本的なことを、なぜ今まで誰も教えてくれなかったのだろう」と何度も恨めしく思ったものです。日本の学校(中学・高校は勿論、英語学校でも)、シドニー大付属の英語学校でも教えてくれんかった。お店で注文する時に「Can I have this bread?」というふうに、「Can I have」「Could I have」「Can I get」なんて具合に言うことも知らなかったし(Can が依頼構文で使われることは知っていたけど、現場でこうやって使われていることは現場に遭遇するまで知らなかった)。時制の一致やら三単元のSやらにとらわれているより、こういう実践的な言い回しを沢山覚えた方が、日常会話力はぐーんと伸びるのに(夫ラースなんかペラペラなのに、いまだに「Does they.. アレ?」「Did you saw 〜」とかやってるしなあ)。

 エクスチェンジでは、そういった日常表現の基礎だけではなく、流行言葉とその背景についても説明してもらいました。たとえば、よくパブの看板に「土曜日はトリビアナイト(Sat - Trivia Night!)」なんて書いてありますけど、あの「Trivia」ってのは何なのか? 辞書をひくと「つまらないこと、とるに足りないこと」なんて書いてあるけど、「土曜日はどうでもいい夜」ってのは腑に落ちない。

 正解はというと、ずいぶん前に「Trivial Pursue」というゲームが流行った。「どうでもいいことを追求する」ってことで、要するにクイズですね。歴史、科学、スポーツ、芸術などの分野ごとに、質問と答えが書かれた「Trivial Pursue Cards」というクイズカードが売れたんだそうです(日本語版も見たことあります)。この名残で今でもラジオのトークバックショーやパブなんかで、クイズ(トリビア)の時間が設けられていたりするということです。こんなん、背景知らなきゃ絶対分からないですよね。もっとも、こんなこと知っていても大した役にも立たないわけで、それこそ「トリビア」ですけど。

 その他にも「パブローバ」というメレンゲ状のケーキがありますが、あれはロシアのバレリーナが来豪した折、オーストラリアのシェフが彼女のために開発し、彼女の名前をとったものだとか、イースターの頃に出まわる「ホットクロスバン」というパンは十字架をデザインしたものだとか、ターキッシュブレッドのパンに付ける「ホマス」というディップはチックピーという豆から出来てるだとか(食べ物のことばっかだ)、オーストラリアの色といえば「緑と黄」なのだが、あの黄色を「ゴールド」と称すのだとか、あー、思い出すのは「トリビア」ばかりですけど(情けない)、でもオーストラリア人なら誰でも知ってるような言葉とその背景を沢山教えてもらいました。

 そんなわけで、エクスチェンジは実践的な日常会話の知識をつけるのに役立ちました。相手がいい人にあたったということも大きいのでしょうが、利用方法次第で非常に有益だと思います。




 第二の仮説を検討してみましょう。A相手の癖や状況を読み取る技術力ですが、これは英語力の向上とともに自然とアップしてくるみたいです。もしかして、こういうのを「隠れたコミュニケーション能力」というのかもしれない。

 「相手の癖や状況」と一口にいっても、その要素は、発音、使う単語や言い回し、説明の手順、性格、場や背景、タイミングなどなど、沢山あります。このうち例として、もっとも分かりやすいのは発音でしょう。

 よくよく考えてみると、当時住んでいたグリーブは異民族ごっちゃの町で、日頃買い物するようなお店の人たちは移民1世が多かった。従って、彼らの英語もキレイな英語ではなく、母国語のクセを引きずった発音だったのではないかと思われます。でも、当時の自分にとっては「ここで話されている言語は全て同じ英語」だと思い込んでいましたから、そんなクセまで分析する余裕もアタマもありませんでした。よく「オージーイングリッシュは訛りがある田舎言葉だ」みたいな話がありますけど、当時の英語力ではアメリカ英語やイギリス英語との違いなんか殆ど分かりませんでしたし。いわんや、移民英語をや。

 これが、だんだん英語に慣れてくると、少し話した段階でその人のクセが掴めて、聞き取れるようになります。「彼のs音はいつも濁るんだ」とか「この人のth音はほとんどtに聞える」とかいう法則性が無意識のうちに把握できるんでしょうね。で、よくよく気を付けて聞いてみると、同じオージーでも人によって多少発音にクセがあります。有名なオージーの挨拶「Good day!」ですが、これもモロに「ギダイ」とオージー訛り化する人と、デイとダイの合いのこになる人がいて、その合いのこ加減も様々です。

 発音に限らず、一人一人喋り方にはクセがあります。日本人同士でのコミュニケーションを考えてもお分かりでしょうが、語彙の選び方、頻出する言い回し、文章の組み立て方など、各自特徴があります。いつも親しく話している人とは割と早くコミュニケーションが出来るようになることは、皆さんも経験されていると思います。自分の先生やホストマザーの英語なんか、すっごく聞き取りやすい。これは、今述べたような、相手のクセを把握しやすいからでしょう。もちろん、彼らが英語の苦手なガイジンに慣れていてゆっくり喋ってくれていることも関係ありますが。

 この各人のクセが掴めるようになるためには量をこなすことが第一でしょうが、英語学校の効用も大きかったと思います。というのは、各国から来る留学生のスゴイ英語!に鍛えられるからです。

 どう聞いても英語とは思えない彼らの母国語にひきづられた、ちょすご発音には、ぶったまげものです。あれを難なく理解する先生がなんと偉大に見えたことか。そして、彼らの英語に比べりゃ、オージーの英語がなんと分かりやすいことか。

 実際、社会に出てみると、この国ではいろんなクセをもった英語が平然と話されています。「おーい、こんなスゴイ発音で仕事できるのかよー」みたいな英語でも、ちゃんとビジネス成功させている人もいます。ってことは、こっちが慣れて聴けるようにならなきゃ対等に立てない。相手の発音の悪さに文句いってても、話は一向に前に進まないわけです。

 そういや、英語学校でもリスニングの時間に、相当クセのある英語を聞かされてました。最初は「げー、こんなん分かるわけないじゃん」でしたが、次第に慣れるから不思議です。もう、これは慣れの問題なんだろうな。出来るだけいろんな人の英語を聞いて、その特徴を捉えるように努力するしか、道はないのかもしれません。その過程で、英語学校のクラスメイトのような極端にスゴイ英語に慣れておくと、ちょっとしたクセなら軽くカバー出来る、ってことなんじゃないかな。大は小を兼ねるというか。

 だから、必ずしも美しいクイーンズイングリッシュだけを聞いていた方が効率的に英語力が伸びる、というわけじゃないんだろうと思います。エリート教育受けた人と現場たたき上げでのし上がった人では、どっちが現実問題に対処できるか?というのと似ているような気がします。





 また、特定の人と一緒に過す時間が長ければ長いほど、その人の英語は聞き取りやすくなるという傾向があります。たとえば、ホストマザーが朝、出かける前に私に向かってなんか質問しているってことは、いつものように夕飯がいるかどうか聞いているのだろう、という具合に。状況判断がききますから、ヒントが多けりゃ推測もしやすくなるという。但し、これはタイミングや状況や場から中身を推測しているわけですから、英語そのものを理解しているわけではないということでもあります。先生やホストファミリーの英語が分かるようになったところで喜びいさんで町に出たら、いきなり自爆という経験をしているのは、私だけじゃないと思います。

 私のクラスの担当だった先生は、こう指摘していました。「リスニング力の半分以上は推測力にかかっている」と。その人が発音している音だけで判断しようとしたら、ネイティブ同士だって100%は分からない。人間は、状況や話の流れやその人の性格、話し方のクセなど、周囲のヒントを拾いながら推測して、理解している、と。

 確かに、そうだと思います。だって、歯磨きしながらとか、口の中に食べ物が入った状態で、モゴモゴ言っててもある程度通じますよね。あれは、イントネーションや状況などその他のヒントから推測しているからでしょう。

 人間、言葉が聞き取れない時は「ヒント拾い上げ→推測システムへの切り替え」を自然に行っているはずです。英語の場合は言語能力が十分ないから、更にヒント拾い上げ機能に頼ることになります。これを、より意識的にやったら、もっと推測力がついて、聞き取れなかった英語が聞き取れるようになるよ、ということでしょう。

 相手の目線、表情、ジェスチャーなどなど、意識的にできるだけ沢山の情報を集めて、推測材料に変換するよう努力すると、聞こえ方も違ってくるかもしれません。





 ちょっと余談ですが、ちょすご発音のクラスメイトと一緒に勉強したメリットはもうひとつありました。自分のジャパニーズイングリッシュ(ある先生はジャングリッシュと揶揄していた)にも反省を余儀なくされたということ。先生には通じても、クラスメイトには理解してもらえない私の英語には、発音上なにか欠陥があるに違いない、と。

 日本人英語の典型的な例として、よく「LとR」や「TH(前舌を歯に挟む)」「FとV(唇を噛む)」などが取り上げられますが、そんなもんだけじゃないです。意外と「SとSH」の違いを認識していない人もよくいます(seaとsheが同じになっちゃう)。母音だって単母音だけで14もあるんだから、正確に発音しようと思ったら大変なことです。

 ちなみに、ジャングリッシュでも一般社会ではそれなりに通用します。社会に出ている人ならば、それくらいの変な発音を聞きこなせるんでしょう。もろ出しジャングリッシュ発音が理解してもらえないケースは、相手の英語力がまだ十分でない場合か、あるいは相手がガイジン(日本人)の英語に慣れていない場合だと思って間違いないと思います(ジャングリッシュの程度にもよりますけどネ)。

 といっても、ジャングリッシュは、多少なりとて聞き手に負担をかけていることは事実でしょう。初対面の英語ネイティブと話をする時、最初しばらくの間、相手がちょっと間をとり加減に反応すること、ありませんか? あれはこちらのクセ・法則性を掴んで、ジャングリッシュ発音を一般発音に変換するためのソフトを頭の中でこしらえているんじゃないかと思うんです。で、しばらくすると、そのソフトが完成して、法則どおりに変換作業をするだけになるのか、普通のスピードとタイミングで返答がかえってくるようになったりします。こんな変換作業を相手にさせっぱなしでは申し訳ないというか、失礼という気もします。

 まあ、ネイティブじゃないんだから完璧な発音ったって限界があるけど、少なくとも、相手の変な発音に不平を洩らす前に、自分の発音を少しでもマシにするよう努力すべきだろうと思います。なかなか大変ですけど。





 余談ついでにもうひとつ。意外と重要視されていないようで大事なのが、ボディランゲージ。実際のコミュニケーションでは60%だかがボディランゲージに頼っているという調査報告があるのだと、先生は言ってました。そういう先生は、私たち生徒のスピーチをビデオに撮って、全員に見せるなどという手の混んだこともしていました。自分が喋ってるビデオ見るのって、結構恥ずかしいんですけどね。

 このボディランゲージの情報伝達性は、電話でのコミュニケーションの難しさを実感された方ならお分かりになると思います。お互い気心知れている人とでも電話となると大変です。判断材料が半減するわけで、しかも残されたヒントは一番苦手な「英語そのもの」ですから。

 だから、電話に関してはかえって日常会話でも、ビジネス日常会話だと楽です。ビジネスならお互いの背景も分かっているし、出てくる表現が決まってますから、推測しやすい。もちろん、これはルーティンワークに限ったことで、突っ込んだ交渉ごと等になれば話は別ですが。

 逆に、どうでもいい雑談なんかの方が何が飛び出してくるか分からない分、推測しにくいです。たとえば、お客さんが滞在しているホームステイ先の人に、どんな状況か聞く時。固有名詞がバンバン出てくるし、早口だし、話はあちこち飛ぶし、日常的なくだけた言い回しの嵐だし。

 これ、目の前でやってくれたら、表情や身振り手振りにかなり助けられるし、こっちも「よく分からないぞ」という態度や表情で訴えることが出来るのですが。そういや、電話だと「どのくらいこっちが理解しているのか」が相手に見えないんですよね、だから電話の時は特にハッキリと「Sorry?」と聞き返すべきなのかもしれません。

 逆にいえば、相手が目の前にいる時は出来る限り、相手のボディランゲージを読み取るようにして、こっちもボディランゲージで言いたいことを伝えるように心がけると、もっとコミュニケーションがスムースにいくのかもしれませんね。


 以上、いかに「英語そのもの」以外の要素が実際のコミュニケーションに関与しているか?という余談でした。






 さて、最後のB自信について。

 「自信さえあれば、英会話はできる!」と断言したいところですが、もちろん自信だけじゃどうにもなりませんし、自信をもつためには@やAの後ろ盾(=実力)が整っているという必要性もあります。でも、逆に実力がどんなに整っていても自信が欠けていたら、英会話は出来るようになりません。OSがきちんとインストールされていないとアプリケーションが立ち上がらないという、相互関係があるように思います。

 英語学校という環境は「英語が下手なヤツだけ集まっている」不自然な場でして、「現場」という外の荒波を一切カットした「純粋培養試験管内」ともいえます。そんな不自然な場でいくら練習したって、現場で通用する力がつくわけはないのですが、でも上達過程においては、その効用は十分あると思うのです。というのは、いきなり現場に出たら、現実に打ちのめされてばかりで「自信」がいつまでたっても育たないですから。

 お互い気心の知れた仲だと、気楽にペラペラしゃべれるものです。それは、相手がこちらの英語力や性格を分かってくれてるから、多少待たせたり、あやふやな表現をしても適当に推測してくれるだろうという信頼関係があるからですね。 日本語でもそうですよね、友達同士ならいくらでもおしゃべりできるのに、採用面接で人事部長の前に座ったら緊張して「あうあう」してしまったり。英語だったら、その傾向がさらに強くなるわけです。お店でパンひとつ買うにも緊張して「あうあう」になってしまい、自爆します。でも、ずっと「あうあう→自爆」を繰り返していたんでは、なかなか上達しないし、自信は打ち砕かれるばかりです。

 一方、「自分と同じくらい英語が下手なヤツばっか」という人工的な場では、緊張せずに自然に言いたいことを言い合うことが出来ますし、それによって自信がついていきます。基本的には、自信と実力は相関関係に立っていますから、自信がつくのは実力がついたと感じるからです。で、自信がついたと思ったところで、純粋培養試験管から外に出てみます。もちろん、「あうあう&自爆」ですね。でも、現実に打ちのめされたら、また試験管内に戻って、実力と自信を貯えることが出来ます。外に出る度に「あうあう&自爆」を何度か繰り返すでしょうが、その自爆加減も次第に許せる程度に規模縮小していきます。この繰り返しで、現場に通用する実力と自信がついていきます。

 私の場合、相手のいうことが聞き取れなかった時に「Sorry?」と聞き返せるようになるのに1年くらい掛かっています。最初の頃は「どうせ聞き直したって分からないんだし」と諦めてしまってました。この「Sorry?」が聞き返せるようになった頃には、かなり自信がついていたんだと思います。実際、聞き返してみると、「あ、ごめんね」という具合にきちんと分かりやすく言い直してくれる場合が多くて、「オージーもけっこういい加減に喋ってんだなあ」と認識し、同時に安心したりしました。

 あと、効率的に自信をつける方法として、「英語を使って働くこと」をオススメします。仕事ですから「ボク自信ないし」なんてゴチャゴチャ言ってる暇はない。とにかく目先のやらねばならないことを遂行するためには、英語を喋られなくてはならない。こういう状況に無理にでも置かれると、人間やるこたやりますし、それによって自信がついてきます。多少「自分にはまだ無理かなあ」くらいの難しめの課題にチャレンジするといいと思います。そのレベルに達してないのにやろうとしても雇用者や同僚や取引先に迷惑かけることになるかもしれないけど、大丈夫です、そういう場合は相手が雇ってくれないでしょうから(^^;)。やらせてくれるもんなら、どんどんチャレンジしちゃってください。





 以上、日常会話をマスターするコツのようなものを挙げてみました。最後に一点補足します。

 ここでは全く読み書きや文法の重要性については触れませんでしたが、それらが日常会話と無縁であるとは思えません。よく「文法なら学校でさんざんやってきたけど、会話に自信がなくて」という話を聞きます。私もそのクチだったから「文法という知識を、会話という日常活動に活用できない」という苛立ちはよーく分かります。会話力をまったく無視した日本の英語教育を恨めしく思ったことも一度ならずあります。1年に1回も見かけないような重箱の隅・例外ばかりを試験問題にしている大学受験にも問題があると思います。

 が、会話力がないといってこぼす人のうち、本当に文法が出来る人は何割もいないように思います。文法を完全にマスターしている人ならば、ちょっとした会話のコツを覚えただけで、グーンと伸びます。それは、既に持っているが今まで眠っていた細胞に生気を入れるようなもので、動かなかった肢体が次第に自由に動かせるようになる感覚があり、とても爽快です。
 と同時に、自分が知っていると思っていた文法知識がいかに浅くて曖昧なものであったか、ということにも気付きました。「こりゃ、もう一度やり直しだ!」と思ったことも、何度もあります(今でもそう思ってます)。

 文法のような基礎力がない人はいくら会話だけ学ぼうとしても、一定レベル以上になるとなかなか伸びない。文法力と会話力は、日光と水のようなもので、どちらかひとつが欠けても植物は成長しません。このことは、会話力がある一定レベルになった時に、きっと実感されると思います。私の場合、渡豪2年くらいして「日常生活が楽になったなあ」と実感しはじめた頃から、「受験英語、マジメにやっといてヨカッタ」と思うことがポツリポツリと出てきました。当初は「無駄な勉強させおって、私の青春を返せ!」と怨んでさえいましたが、やっぱりアレが役立つ時は来るんですね。

 単語の丸暗記でも、文法の練習問題集でも、今まであなたが必死こいて勉強したことは、何ひとつ無駄にはなりません。ただ、その進行過程において、劣っている部分の補充が必要になったりするだけのこと。要は、バランスの問題なんだと思います。



99年05月25日初出:福島

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