2008年11月18日




バンコクからのメール/市川さんの近況報告

  〜オーストラリア留学を終えて7年目、今思うこと。





 市川さんは、2001年4月に大学を休学して来豪、SCEに3ヶ月(12週)、ACEのボンダイ校に16週(ゼネラル8週、ビジネス8週)行っておられました。語学学校研究の体験談「SCE vs ACE 体験的比較論」を書いていただいています。

 帰国後の市川さんは、大学を卒業後、世界中の誰もが知ってる某日系企業に入社、現在は一時的にタイに赴任しておられます。以下のメールに書かれているように、こられたときは22歳だった市川さんも、今年で30歳を迎えます。7年前の留学を振り返って、あれは何だったのか、役に立ったのか、どう役になったのか、そのあたりがとてもよく窺われるメールでしたので、許可を得てHPに転載します。なお、社名などに関してはどこにどう差し障りがあるか分りませんので(僕も市川さんも特に支障は思いつかないのだけど、でも念の為)伏せて起きます。





APLaC 田村さん
 ご無沙汰しております。
 2001年4月にお世話になり、SCE・ACEへ入学する際にお世話になりました札幌の市川です(体験記も書かせていただきましたね^^;  http://aplac.info/gogaku/taikenichikawa.html )。相変わらず田村さんのもとへは、海外で自分を試したいという多くの若者が訪ねてきていることと思います。

 ここ最近の金融ショックで、豪ドル価が私の滞在していた頃のレート(60円台だったと記憶しています。)に近づいたということもあり、近況報告がてらにメールをさせていただいた次第です。

 私は相変わらず○○社の研究所で総務・人事をやっております。
 研修の企画なんかがメインの仕事だったのですが、現在はタイの研究所のリロケーションに際して、事業所の運用を考えたり、新しいルールを作ったりする仕事をするためにタイのバンコク・アユタヤに滞在しています。年内一杯は滞在予定です。

 タイ語が読めない書けない話せない私は、作成資料やローカルとのコミュニケーションは英語、日本人の上司へのレポートは日本語、と不思議な生活を送っていますが、Sydney時代に英語を体にしみこませた(単語をくまなく覚えていなくてもコミュニケーションが取れちゃう技術)ことが、異国の地で働くことに大きく役に立っています。

 田村さんにお世話になった頃は私も22歳の若者でしたが、私も来年で30歳。
 日本に帰国する前日にAPLaCを訪問させていただいた際に、奥様にだったでしょうか、「30歳になったら『ワーホリ期限ギリギリでまたきちゃいました』ってたずねてくるかもね」といわれたことを懐かしく思い出しております。

 本当に行っちゃうかどうかは未知数ではございますが、当時考えていた遠い未来にあっという間にたどり着いちゃっている驚きと、当時の経験が間違いなく自分の血肉になっている感動を田村さんにお伝えしたいと思います。
 田村さんのもとを訪れる方にも是非お伝えいただければ幸いです。

それでは今回はこの辺で。
突然の長文メールで失礼いたしました。

 ※無粋な注釈
 「英語が出来るようになるために留学する」「英語が出来るようになってスキルアップ」という考え方を多くの方はされていると思います。当たり前ですけど。勿論それもあるのですが、英語が出来ないながらも四苦八苦して現地で頑張ってる過程こそが、その後の実戦現場で大きくモノをいうのだということは、知っておいて損はないと思います。「英語(言語)は出来ないけどなぜか意思疎通は出来てしまうというスキル」です。コミュニケーション能力と言い換えてもいいですが、このスキルが本来の英語力と劣らぬくらい役に立つというのは、強調しても仕切れないくらいです。

 この事実から逆算すれば、「留学やワーホリに行くために日本で英語を勉強しておく」のも大事なことかも知れませんが、必須条件ではなく、英語が出来なければ出来ないほど、むしろこのスキルを習得するには有利だとも言えます。

 と同時に、現地に来たら、「英語わかんないから」で引っ込んでたら本当に勿体ないということです。学校内に籠もるのではなく、どんどんストリートに出て行って四苦八苦してください。さらに言えば、ある程度英語力のある人は、この「出来ないけど頑張る」という原点を忘れないでください。
 
田村さん

 こんばんは、田村さん。日本では祝日だったみたいですね。タイは未だ週休1日が基本なので、ちょっと不思議な気持ちです。

 確かに最初のステイはLidcombeでした!
 最初、読み方がわからなかったら、田村さんに「リッカムと発音すると通じるよ」と教えていただいたのを覚えています。

 その後はInternetの掲示板で見つけたStrathfieldの韓国人部屋に移り住み、最後はアメリカン人シングルマザーの家に間借りしてました。(残念ながら、帰国後はメールが不通でもう連絡が取れていません。)

 田村さんには、極力、自力で色々なものを調べ、生きていくことが一番の英語のトレーニングだし、人間としてのタフさを養ってくれるものだと教わった気がします。

> いまは、タイにおられるのですね。 もうどのくらいおられるのでしょう。タイは慣れましたか?

10月の初旬に着任しましたので、もうすぐ1ヶ月というところです。こちらは乾季も深まってきて、朝晩は長袖でもOKな気温になってきました。
水には大分慣れましたが、こちらのスパイスの強さには未だに負けてしまいます。
今日も日本から出張者が来ていたので、ここぞとばかりにイタリアンレストランに逃げてきました。


> このメールが中々記念碑的なので、HPに載せるかもしれませんが、よろしいですか?もちろん社名など固有名詞は”日系企業”くらいにぼやか しますが。

もちろん、問題ございません。むしろ、是非お願いします。
私も多くの方の体験談に支えられ、勇気付けられながら、がむしゃらになっていたように思いますので、少しでも今の若い方のタシになれば幸甚です。

当時の苦労の一つ一つが今でも懐かしく感じますし、ああいう経験をまたしたいと思ったりもします。

が、同時に社会人として6年目を迎え、やっと仕事に想いを入れられるようになってきました。
私の職種はGeneralistのさいたるものであり、当時自分が志向していたものとは必ずしも同じではありませんが、自分の仕事に小さなプライドは持てるようにもなりましたし、面白さも感じられるようになってきました。

またどこかでお会いした際には、Sydneyの最初の夜に田村さんとジュンイチさん(APLaC同期)がワインを飲みながらお話していたような、「仕事人」の話が できたらいいなと、楽しみにしています。




 市川さんは筆まめというか律儀な方で、オーストラリア留学を終えてから定期的にメールを送っていただいています。今改めて読み直してみると、留学にいった大学生が、帰国後頑張って就職活動をし、めでたく入社し、入社したあと何を考え、どう成長し、そして今30歳の大台を前に何を思うのかというドキュメンタリーになっていることに気づきました。

 これからオーストラリアに来られる方には、留学・ワーホリ体験というものがどのように人生に関わっていくのかを垣間見る好例だと思います。また、既にオーストラリア生活を終えて帰国している方にとっても、suggestiveな内容になると思います。なぜなら、帰国したら周囲に「オーストラリア仲間」は居なくなり、あの体験をどう生かせばいいのかを話し合う機会が非常に乏しいからです。

 以下、帰国直後から時系列に沿って並べておきます。

2001年12月のメール  帰国直後 こんにちは、田村さん。
ご無沙汰しておりました、市川です。

日本に帰国してから札幌への部屋探しや、就職活動、アルバイトなど慌しい日々が続いておりました。
暑いAustraliaから寒い日本のGapにまだ体が慣れてくれないで困っていたりもします。

今年は本当にお世話になりました。
おかげさまで今年は僕にとって忘れられない年になりました。本当にありがとうございました。
またSydneyでお会いできるコトを楽しみにしています。

P.S.
日本で受けたTOEICですが勉強していなかったのに875点とAustraliaで受けたときより上がっていました。
これって本当に基準一緒なんですかねぇ・・・。
2002年02月のメール  帰国翌年・就活開始
おはようございます、田村さん。
ご無沙汰しております、札幌の市川です。

昨日の夜からエントリーシートに向かってうんうん言って、まぁ、ざっとできたかな、と思って時計を見たら午前6時でした。毎度体に悪いことしてるな、と思う真冬の札幌の朝です。

最近は英語の勉強どころか自分の日本語と向き合わねばならない毎日で少々滅入ります。全然話す機会ありませんし。
こんな時、帰国前の旅行の日々が懐かしく思い出されますね、急に。
ただ、WorldCupが始まってしまえばバイト先のホテルに押しかけるであろう外人さんの対応で僕が狩り出されるらしいので英語の方は楽しめそうですが・・・。

実はチョクチョク田村さんのエッセイはAPLaCのペ−ジで読ませて頂いているんですが、今回のお話は大変面白かったです。
特に、保険の有効性を自分で計算しちゃったって言うお話とか。僕も渡豪する前は損害保険の研究(といっても販売手法の方でしたが)をしていたので、そのくらいの探究心があればと、今更ながら思ったりました。

では一度興奮した頭を覚ましてから推敲しなければならないので無理やり寝たいと思います。

P.S. 冬季オリンピックのブッシュ大統領の演説、どう思われましたか?
僕は字幕無しでも拒否反応が起きてしまいました・・・。
2002年03月のメール  初内定ゲット
おはようございます、田村さん。

3月28日、やっと内定が一つでました。
某エンロン問題で話題の会計監査法人に昔関連のあった○○というコンサルティング会社です。

ここは徹底したUP or OUT文化の企業でして、正直自分でもまだ入社の意志は固まってはいません。
でもとりあえず、就職活動の最初のOutputが出ましたのでご報告までに。

ちなみに今日P&Gでいきなり英語で面接をされ早くも自分の英語にブランクを感じました(^^;。

初心に戻って勉強しなおします。
TOEICが930いっても意味が無いとわかりました。

では、この辺で。




最近気がついたのですが、外資系とか、割と若い会社や古い会社でも若い人には僕は面接で気に入られやすいみたいです。一方で年取った会社とかは全然です。相性ですね。

> 英語って使ってないとすぐに衰えますしね〜。あれは一種のスポーツ、反射神経> のタマモノですから。> でも、会社に入って日常的に使っていけば、また磨かれると思いますよ。

全くですね。以前と違うのはそれが確信に変わっているところだと思います。

> そんでもって35歳くらいまでにオーストラリアにやってきて、のんびりやって くださいな。僕みたいに(^^*)。10年間で一生分働くくらいの感じで。

実は今でもオーストラリアでの生活を思い出します。
何せ、毎日の就職活動、東京札幌間往復、徹夜バイトのCombinationで、180℃違う生活をしていますので。洋服もスーツ以外着ていません・・・。

自分が納得行くような仕事ができるまで、死ぬほど働きたいですね。
そういう視点で見た場合、日系の企業よりは外資のほうがいいのですが、流石に色々企業もあって目移りしてしまいます。トヨタとか。

では、また。
2002年04月のメール  最終面接で苦しむ記
どうも、こんにちは。札幌の市川です。

先月に内定をもらって以来、最終面接で落とされる日々が続いています。
どうも、その辺上手く立ち回るのが下手なんでしょうね、僕は。もう少しズルくいかなければ・・・。

実は毎週田村さんのエッセイは読ませてもらっていたんですが、今回は「ケダモノ」という言葉に引っかかってメールさせてもらいました。

僕らは今、就職活動をしているんですが、それって毎日自己分析の繰り返しなんですよ。
でもそれって一人じゃなかなかキツくて、仲の良い友達とか仲間とかとお互いアーデモナイコーデモナイとか言いながら真っ昼間からコーヒー片手に盛り上がったりしちゃうんですよ。

確か何日か前に僕の友達が、今僕が内定をもらっている外資系企業に今年入社(五月入社)する友人と僕を比べてこんなこと言ったんですよ。

「同じくバリバリ仕事するイメージがあるにしてもあいつは職人、市川は獣(ケモノ)だよな、イメージ的に」

実はこれが何を意味するのか自分でもまだ消化できていないんですよね。
でもなんか、妙に胸に引っかかるのですよ、このケモノという言葉が。
友人曰く、市川が求めているのはスキルとかもそうだけど、もっと生々しいものなんじゃないの、という意味合いらしいのですが。

すいません、かなり意味が無いメールなんですが、田村さんのエッセイを読んでこんな事考えました、って感じで処理していただければ^^;

ではでは。



ケモノ部分に関する僕のレス部分

ああ、これ、なんか分かるような気がします。
市川さん頭脳明晰で人当たりもいいのですが、「万事ソツない」タイプでもないと思います。それが巧まざる愛嬌を生んでいるのですが、あんまり「計算」して動いていないんですよね。

それは人間として美徳だと思うのですが、「ほら、ここで笑う」とか何でもかんでも、感情の動きひとつひとつ全て計算カマしている人がいますが、その計算がソツの無さを生むのだと思いますが、それって最終的には「自分」を無くしてしまいます。

市川さんは、何によらず本当に自分がそうしたいからそうするって感じで、「自分」というものが強くあると思うのですね。もう、ぬっと立っているという感 じ。それが海外では「人間らしい」といって愛されるんでしょう。「なに考えているのか分からない日本人」ではなくて。

そういうナマの自分を持ってる人って、日本では、特に会社なんていう組織においては、使いにくい印象を与えると思うのですね。「頼もしい」というよりも、 なんか妙な畏れを相手に抱かせてしまうのかもしれません。だって、気に食わない仕事を与えたら文句いいそうじゃないですか(^^*)。

ちょっと関係ないかもしれませんが、市川さん、初日だったかに電子辞書をバスに置き忘れたとか落としたとか言ってましたよね。そういう部分が人間としての愛嬌というか、「長島監督度」みたいなものだと思うのですが、会社の面接なんてそういった人間性は計りませんからね。

でも、市川さんがケモノだったら、宮内さん(APLaCの同期)はどうなるんだって気もしますね(^^*)。あの人も職人だけど、ケモノ的な職人だって気がしますよね。でも、その求められる容量からはみ出してくる部分、マス酒でマスから日本酒がこぼれて下の受け皿に落ちてくるような部分が、人間として一番美味しい部分だっていう気がします。
ですので、ケモノはいいと思いますよ。「紋章」くらいに思っていたらいいと思います。

まあ、(入社試験で上手くいかなくても)「キミ達に理解しろってのが無理だったのかなあ?」とかスカしていてください。だって、本当にそうなんだもん。I proudly failed it.ということで。

2002年06月のメール  進路決定!
ご無沙汰しております、田村さん。札幌の市川です。

ついに進路、決まりました。来年から○○で働くことになりました。

選考のプレゼンテーションではオーストラリアでの移民局での1コマや語学学校の分析などを話したら結構受けがよかったです。あと、ゲイにナンパされた話とか。

いろいろ外資系とかを回ったり、結構就職活動は手広くしたんですが、結局自分が一番熱くなれる仕事をすることにしました。
結局「舞台」はどこであれ自分自身がmake itしてやる気概が大切なのかな、と思いまして。

ここで一生働く気はないけれど、「俺は死ぬほどやった」と言えるくらいに働いてからその先は考えようと思います。お蔭様で意外と不安定な環境も楽しめる人間だとわかりましたので^^;。

卒業旅行はカナダかヴェトナム(宮内さんの影響)か西オーストラリアかで悩んでいます。卒論も書かなゃきゃいけませんし・・・。
もしまたオーストラリアにいけたら、是非遊びに行かせてくださいね^^
では、またメールしますね。

P.S.
僕の後輩が夏にACEに行くことを考えているらしいです。なんか、嬉しいですね。

2002年07月のメール
こんばんわ、田村さん。札幌の市川です。
いつもEssay、興味深く読ませて頂いています。

さて、今回のFirstNameのお話なんですが、「戦闘的な平等」っていう表現の一節が納得でしたね。

機会の平等なんかは強く感じましたよ。ただ、日常レベル(雇用とか)なんかはどうかな、って感じることもありましたが。。。

余談なんですが、僕はあくまで「Junji」で通しました。一音節で発音すると割と覚えてもらえるみたいです。
何せ最初に会ったのが宮内(ジュンイチ)さんですしね。

僕があくまで「Junji」に固執するのを一番支持していたのが積極的にEnglishNameを使う韓国人達だったというのは笑い話です。

ところでこの8,9月に僕のゼミの後輩がACEに短期で入学するみたいです。
なんか嬉しいような、連れて行って欲しいような^^;

では、今夜はこの辺で。
お仕事の傍らEssayの執筆、大変でしょうがいつも楽しみに読ませて頂いています。

2002年09月のメール 帰国後1年たって
ご無沙汰しておりました、田村さん。札幌の市川です。田村さんはお変わりないでしょうか?

早いもので帰国してからもう一年近くになるのですね。
一年前はKingsCrossで夜中働いて、学校通ってなぁ、とか思いだします。
ホント、日本は時の流れが速すぎますよ。卒論の中間発表の締め切りが迫っているせいでそう感じてしまうのかもしれませんけれど。

それにしてもなんか最近更新された語学学校のページ、熱いですね!!特に池城さん。
なんかすごく憧れますね、ああいうテンションに。
僕も忘れちゃいけないな、とか思いましたよ。
やっぱり僕だって少しは自分が変わったな、って思いますもん。
だから僕もAustaraliaで得たものをきっかけにJumpしたいですね!!

出来れば彼にもよろしくお伝えください!
では、この辺で。

P.S. なぜか帰国後、周囲の後輩に懐かれるようになったのはいいんですが、妙に男の比率が高いのはいい意味での変化なのかが悩みどころです。

2003年10月のメール  入社半年経過
田村さん

ご無沙汰しております。2001年にお世話になりました市川です。
相変わらず、お元気にしてらっしゃいますでしょうか。

久しぶりにAPLaCのページで田村さんの文章に触れまして、とても刺激を受けました。

僕も社会人になって半年が経ち、日々壁にぶつかっている毎日です。
苦しい時は成長している時だと自分に言い聞かせてがんばっています。

また、エッセイを読みに来ますね。がんばってください!

2004年02月のメール  入社ほぼ1年
ご無沙汰しております。
宮内さんと同期の市川です。
Sydneyはまだ暑い日々が続いているのでしょうか?

毎日の仕事に忙殺される中、今日久しぶりにEssayを読ませていただきました。
CityRail、懐かしいですねぇ。あのあってないようなダイヤとか(笑)
田村さんもおっしゃってましたが、Sydneyの交通機関は急にストに入ったかと思えば無料になったりと、日本から見ると「型破り」な印象でしたね。

とか言いつつ、Sydney時代は好んで公共交通機関を使ってましたね。
人間観察には絶好の場所で、人種差別の一端を垣間見たり、宗教の勧誘をされたりと、いろいろ思い出は尽きませんね。

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近況報告いたします。
今は○○の研究開発拠点で相変わらず総務をやってます。
中途採用と派遣社員管理が主な仕事で、他にアメリカとかインドから駐在者がやってくると通訳として借り出されてます(^^; 英語力は落ちてますねぇ

今はちょうど期の移り変わりで、派遣社員の首切りとかやってます。
この辺は人事屋の切ないところですね。人をモノとして扱わなければならないわけで・・・。
その辺、「やりたいことやれてないなぁ」と思うし、「やりたいことをやるのってむずかしいなぁ」と今更ながらに感じますね。
Sydneyにいた時は結構現実感のないこと考えてたなぁなんて。

まぁ、まだ若いつもりなので今いるところでがんばりつつ、自分が何をしたいのか探したいと思います。
よく、「自分探しに外国に来た」とか言ってた人がいましたが、僕はもう少し日本で自分を探そうかなと思ってます。
仕事はうまくいきませんが(要領悪いので)、とりあえず逃げないようにしよう、と。

確か、帰国の3日前くらいに田村さんを訪ねた時に「またワーホリとかでひょっこりあらわれたりしてね」とか言われちゃいましたが、今のところそれはお預けですね(^^;

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そうそう、中途採用の仕事をしてるので、若い人の退職動向には敏感なつもりなのですが、最近は田村さんのもとを訪れる人の数って減ってませんか? 日本の景気もメーカーを中心に底を打った(といわれる?)中で、以前に比べ「このまま今の会社に残ろう」という人が増えているようだ、という話も聞きますので。

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最近はPrivateでInternetを開く機会も減ってきましたが、Essayは折に触れて読ませていただいています。楽しみにしていますのでこれからもよろしくお願いします。

2004年09月のメール  入社1年半
こんにちは、田村さん。(元)札幌の市川です。

今日は2週間ぶりに休みが取れまして、久しぶりにEssayの感想みたいなものをメールさせていただきました。
蛍光灯のお話、とても興味深く読ませていただきました。

私が最後に間借りしていたアメリカ人の家もやたら薄暗かった記憶があります。でも不思議に落ち着けてましたね。
今は会社のマンションタイプの寮に住んでいますが、雑魚寝をしていたオーストラリア時代の方が不思議と落ち着けましたね。
早速、今日は部屋の掃除でもして、間接照明でも見てこようかと思っています。

実は今年の春くらいに、会社のQC活動の一環で「仕事の質を高めるために眠りの質を高めよう」みたいなことをやったことがあります。
結果的には仕事をしてるとなかなか改善策も難しかったりするのですが、色々調べていくうちに「昼寝は善である」ということだけはわかりましたね (^^;

最近、また仕事の担当が替わりまして、正直、寝る時間がありません。
担当業務はいくつかあるのですが、その中の「社内レクリエーション団体事務局」というのが曲者で、業務の終わった後、深夜までイベント企画をしている従業員をsuperviseしています。なかなか他の会社にはない業務なので、理解されずらいのですが、人事屋としては結構面白い仕事です。

で、日中は空いてる会議室で10分くらい昼寝はしていますね。
肉体的には辛い(休日もつぶれるんです・・・)のですが、やっと仕事の仕方が少しわかってきた気がします。
そして自分を動機付ける要因なんかも。

すごく単純な話ですが、私の場合、なにかこちらが行動を起こして「ありがとう」と言ってもらえるところじゃないと駄目みたいですね、おかしな話ですが。

自分の中で3年を目処に身の振り方を考えてみようと思っているのですが、この一年、全然仕事ができてなかったので、まずは一歩踏み出せた気が します。

・・・で、昼寝の話なのですが、「強制シエスタ法案」賛成ですね!
というか、日本人サラリーマンはこうでもしないと死んじゃう人増えると思うんですよね・・・。
文化的に「昼間寝てるなんてなんて怠惰なんだ!」みたいな考え方は根強いですし。

シエスタといえば、私は知らなかったのですが、中国人なんかも昼間にしっかり寝るそうですね。ラテン系の国なんかでもメジャーな習慣ですし、むしろ人間の生き方として、昼寝は自然な行為なんでしょうね。
そう考えると日本人の居眠りは、それが許されない悲しい代償行為なのかもしれませんね。

田村さんのEssay、楽しみにしています。全部というと難しいのですが、自宅でPCが開ける時には読ませていただいています。
下手な書籍より全然面白いですよ。新聞なんかの記事を紹介しつつも主観がバシバシ入るので読んでいて刺激的です。
読んでいて「面白い」というか、私にとっては色々考えるきっかけになるので「刺激的」という言葉がしっくりきますね。

それでは今回はこのへんで。
日本も少しずつ過ごし易い季節に向かっています。

2004年09月のメール
こんにちは、田村さん。(元)札幌の市川です。

先日北海道に上陸した台風のせいで僕の母校のポプラ並木は壊滅的なダメージを受けたみたいです・・・。

また昨日なのですが、中学校時代の部活の顧問の先生が痴漢の容疑で逮捕されてしまったそうです。
今は別の学校で校長先生をやっているので、地元では結構大きく報道されているみたいです。痴漢はよく冤罪の話なんかも報道されていますが、こと の真偽はどうあれ、社会的にはもうかなり厳しいのかな、と。当時の部活の部長(僕は副部長でした)とちょうど年始あたりに同窓会でもしようかと言っていただけに寂しい話です。


> 社内広告代理店みたいなもので、けっこう横断的に社内が見れたりして勉強になるのではないでしょうか。

横断的に見られるというのは確かにありますね。事務方をやっているとなかなか研究ブロックの生の声なんかは聞けないものですが、この仕事をやっていると会社の評価制度に関する不満とか、今の担当には関連性は低いのですが、この先の財産になるような話が聞けますね。


> 楽しい企画、頑張ってくださいね。「○○(創業者)をあしざまに罵る弁論大会」とか、無理でしょうね、やっぱし(^^*)。

どの集団もそうかもしれませんが、企業文化に関わるような部分での革新的な(主に批判的な)企画はなかなか通りませんね。
ウチの会社のように、その成り立ちや文化が周りからおだてられてきたような企業は、自浄的に文化を変革していくようなことは不得手なのかもしれません。それは個人も同じかもしれませんが。

同じ業界でいうと三菱なんかは今徹底的に叩かれてますね。法人としての「三菱自動車」はもう駄目かもしれませんが、この三菱叩きを経験した三菱人は、例えば他の会社に転職したら、意外と革新推進派になれる可能性はあるのかなぁ、とか思います。あ、もちろんウチにも良い部分はありますよ(^^;

> シーシュポスまで達観できない我々としては、やった甲斐があるかないかというのは非常に重要なことだと思います。で、その「甲斐」は、金銭的褒賞よりも、笑顔と言葉によってもたらされる場合の方が多かったりするように思いますもんね。

同感ですね。結局誰か身近な人の笑顔と言葉が一番やり甲斐に繋がりますね。

今回はお酒の話でしたが、確かに同世代で自分を含めて結構お酒を飲まない人は多いかもしれませんね。ジュース片手に夜中まで話したりしてますし。
でも不思議と旧知(というほど長く生きていませんが)の仲と会う時はお酒ですね。「一緒に酔う」という行為自体に意味を感じているのかもしれません。
特に僕なんかは飲むと翌日は絶対に気持ちが悪くなる人なので、よっぽど好きな人とじゃないとその一瞬の「酔う快感」のために、翌日を犠牲にするという行為はしたくないですね。とはいえ、最近は仕事の関係で飲みたくもない席にいることが多いのですが・・・。

年末には大学時代の研究室の仲間を集めて、温泉ツアーでも企画しようかと思っています。温泉と熱燗は、お酒のあまり飲めない僕でも、日本の誇る文化だなと思います。



  ---と、ここまでメールをいただいた所で、今回の2008年までぽーんと飛ぶわけですね。





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