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語学学校の効能・効果



 語学学校に行くメリットとしては、当たり前ですが「英語力上達」という点があります。

 しかし、必ずしもそれに尽きるわけではありません。

 それはあなたの過去の学校=小中高大=の経験でもお分かりだと思います。いわゆる「お勉強」以外のアクティビティ=友達とか、部活とか、恋愛とか、そういったものがまるで無価値だったわけではないでしょう?むしろそういった事柄があなたの人生を豊かにしてくれたのではないですか?語学学校も同じことです。


★語学学校/留学の「効用」その1:英語力上達

 まずは本体的効用=語学学校に入ると「英語がうまくなる」という御利益があるよという話です。
 しかし、英語の勉強方法(1)で詳述したように、語学学習というものは一筋縄でいくシロモノではありません。草花というよりは樹木、それも「桃栗三年」の世界ですので、毎日見ていても育ってるのかどうか非常に分かりにくいです。

 「この学校に3ヵ月通ってるけど英語が喋れるようにならない」という不満も聞きますけど、3か月くらいで喋れるようになったらむしろ不思議です。そんなに目に見えてメキメキ上昇するものでもないですし、即効性への過大な期待は禁物です。

 しかし、学校に行くのと行かないのとでは、多くの場合天地の開きがあるのも又事実です。僕自身、オーストラリアにもう18年も滞在していますが、最初の半年間学校に通っていた頃くらい英語が飛躍的に伸びた時期はないです。それはもう全然違う!と言ってもいいです。ただし、それがしみじみと分かるのは、卒業後かなり経って、自分がそこそこ出来るようになってからです。自分が大きくなってから初めて親のありがたみを知るように。教育というのは本来そういうものなのでしょう。

 以下、語学学校に行くとどういうメカニズムで英語が伸びるのかという点について幾つか書いておきます。


★教授技術

 テクニカルな問題として、教師になるにはそれ相応の資格もありますし、資質や技術も必要とされます。学校間競争の熾烈なシドニーでは、退屈な授業ばかりをやっていたら学生が逃げるでしょうから、それなりの質の練磨というのはあるでしょう。実際、「英語喋れれば誰でも先生になれる」なんていい加減な世界ではないですし、シドニーの英語学校で正規に教師として採用されようと思ったら、資格はおろか、大学院レベルの教育と数年レベルの海外体験、それに加えて激しい競争を勝ち抜かないとなりません。

 もちろん教師全員が素晴らしいなんてことはありえないでしょうし、相性の問題もあるでしょう。学校に行かなくたって、現地の友人やホストファミリーと会話するなかで英語力が上達することも多々あろうかと思います。しかし、友人間の場合、どうしても「わからないことを質問する」程度になってしまいがちですし、話の腰を折ってまでイチイチ質問していられるものでもないです。

 また、ネイティブ=教師というのは大間違いです。僕もエクスチェンジで日本語教えたことありますが、いざ教える側にたってみると、結構「何をどこから教えたらいいのか」と途方に暮れます。「日本語の“やっぱり”という言葉はどういう場合に使うのか?」と聞かれてかなり悩んだことを覚えています。この点、プロの日本語教師をみていると、一つの授業の準備に何時間もかけますし、生徒が何が分からないのかを見抜くカンのようなものもあるようです。教えるにあたっても「ネィティブが喋ってる」だけではない、それ相応の深い技術というのがあります。当たり前の話なのですけど。

 英語圏での教授法の定番であるコミュニカティブメソッドによる教室風景や教授内容は、「オーストラリアの語学学校ってこんな感じ(1)(2)」をお読み下さい。
 より専門的に詳しいことは、英語の勉強方法(3)−教授法、学校、教師をご参照下さい。


★「道場」機能

 学校以外で英語に接する機会というのは、暮らし方にもよりますが、意外に少ないです。下手したら一日喋らないでも済んでしまったりもします。ところが語学学校に行けば、とりあえず一日3時間なり5時間、ぶっとーしで英語やってますし、始終喋らされます。こんなに沢山の量、聞いたり喋ったりすることができる機会というのは、いかに海外に暮らそうとも、そう滅多にあるものではないです。

 いや、勤めに出たり、別のコミュニティカレッジに行ったり、英語に接する機会はあるでしょうけど、これもある程度出来るようになってからでないと難しいでしょう。「パブで気軽にオージーに声をかけてみよう」とかいっても、本当にイッコも理解できなかったら会話にもシャレになりません。その意味で、下手なことを気にせず、心おきなく「英語シャワー」を浴びられるというのは、語学学校の大切な機能の一つでしょう。

 道場機能としてもう一点言うならば、似たような英語レベルの人間が集まっていることです。現地にくれば当たり前のようにほぼ全員英語が喋れます。そんな中で、英語が不自由な連中、しかも自分と同じ程度に英語の出来ない人間「だけ」が集まることなど、普通にやってたら天文学的な確率になるでしょう。留学生同士であっても、一番喋れる奴が場を仕切っちゃったり、途中で会話の脈絡が見えなくなって置いてけぼりを食らってしまったり。その意味では、同じ位のレベルの連中が一同に会して英語喋ってるという超「人工的」で「不自然」な環境というのは、意図してそれをオーガナイズしないと出現しません。

 さらに、他国から来た人々の「お国訛りの英語」に接せられるというのもメリットとして数えられます。もう韓国訛りの英語、バングラディッシュ訛りの英語なんか、最初は壊滅的に分からんですもんね。またこっちも相当正確に発音しないと聞き取ってもらえない。発音についてかなり意識的になれます。日本人ばかりで英語習っているデメリットとして大きなことは、この衝撃的とさえ言えるほどの「発音問題」にぶち当たらないことでしょう。

 そのあたりの語学学習の環境という意味では、やはり語学学校は整っていると言えるでしょう。

 実際、学校を出てしまうとそんなに英語が上手になりません。これは現地生活18年の僕が保証します(こんなの保証されても嬉しくないだろうけど)。先ほど書いたように、爆発的に英語力が伸びたのは最初の半年の通学期間だけで、あとはボチボチです。

 なぜか?というと、これはハッキリ理由があります。

 理由のその@は、上と重複しますが、普通の生活の場ではそんなに英語を喋る機会は無いということです。お店で店員さんと雑談したりすることもありますが、やったところで数分くらいですし、そんなに何時間も話し込むような機会はないです。今も英語で仕事をしてるわけですが、仕事の英語ってのはもうパターンが決まっているわけで、幾つかのパターンを覚えてしまえばあとはその繰り返しですからバリエーションの発展性が無いのですよ。

 理由のそのAは、これはある程度英語が出来るようになった人のアリ地獄ですが、適当に喋れてしまうからそれでいいやと思っちゃうんです。本当は、どんなときでも「もっと効果的な表現は無いか、発音は甘くなかったか」とあらゆる観点から厳しくチェックしていかないと伸びないです。金メダリストや世界チャンピオンにもコーチは存在するし、必要なのです。近くでダメ出しをしてくれる人の存在は、技術を伸ばすためには絶対に必要。だから僕もそうですが、適当に英語は出来るけど、全然自信がない、本当の意味で出来るわけではないってパターンにはまるのです。そんなことをやっていくうちに「変なフォーム」が身体に染み込んでいき、矯正がきかなくなるという。

 理由そのBは、実際の世間においては、「キミは関係代名詞と関係副詞の使い分けが甘いから、徹底的に練習してみよう」なんてカリキュラムでやってくれません。当たり前ですけど。学校というのは、「英語を教えて数百年」という英語圏世界の教育関係者が何世代にもわたって積み上げ、練り上げてきたカリキュラムがあります。今にして思うと、あれってやっぱりよく出来ているのですよ。自分が英語が出来ないうちはその凄さに気付かないのだけど。「このレベルの人間にこんな難しい技術をやらせても意味がない」「このレベルまできたら、今度はこの部分が甘くなるから徹底的にやらせる」とかよく考え抜かれている。

 大まかにいえば、ビギナーから中級くらいまでは「英語を使って意思疎通する」ということを身体に叩き込みます。そのために沢山喋ることを奨励し、多少文法が間違ってようがメチャクチャであろうが「手数を出す」という部分に重きを置きます。しかし、上級になってくるにしたがって、正確性ということに重きが移ります。また英語は中上級くらいまでくるともう垂直的な伸びは少なくなります。基本的な構文や文法はそれまでにやってしまいますから、「技」としては一通り終えてます。そこから先はヨコに広がっていきます。知識の範囲を増やす。つまりはボキャブラリであるとか、構文やイディオムのニュアンスの差などを、膨大な経験量を通して体得していきます。だからレベルによってやるべきことが違う。でも、これって自学自習でやろうと思っても中々そこらへんが分からんのですね。自分の弱点は、自分では分からんもんです。

 理由そのCは、これも上と重複しますが、同じレベルの人が集まるというのが重要なんです。ネィティブに囲まれて過ごしていても、殆ど何も聞き取れないから無駄な時間になったり、あるいは聞き取れたとしても、超高速で会話のキャッチボールをやってるから、なかなか自分までマイクが廻ってこない。これでは「喋る」練習にならない。その点同じレベルの連中だったら、喋るスピードも自分と同じようにトロいですからマイクが廻ってきて、自分が喋る機会も多い。

★モチベーション(やる気)とコンフィギュレーション(初期設定)

 話は若干前後しますが、学校以前に「現地に来る意味」「留学する意味」があると思います。つまり、「ああ、マジに語学やらなきゃ!」と痛感するための留学。正味の話、それが痛感できたらとりあえずOKなのかなと思います。日本だと英語できなくても困りませんし、出来ないが故に「くっそおおおお!」とムカつくもありません。意思疎通できてすごい幸せという「ご褒美」もありません。その意味では現地に来る価値はメチャクチャあると思います。

 つまり、英語ができないとこれこれこういう場合にこんな具合に困って、出来るとこういう具合に道が開けて、、ということを身をもって体験すること。そして単に「英語ができない」ではなく、「英語の何が(語彙とかヒアリングとか)できないから今困っているのか」「今後どうやって勉強すればいいのか」をじっくり考える期間として有意義だと思います。「スピーキングが出来ない」としても、「どうして出来ないのか」「スピーキングを構成するどの要素が駄目なのか」色々と突き詰めて考えるのではないでしょうか。

 いずれにせよ語学というのはデータ量が膨大ですのでインストールに時間がかかるでしょうが、そのための「初期設定」をする場として考えておいたらいいです。パソコンでいうコンフィギュレーションってやつですね。初期設定を間違えてたらうまいことインストールできない。

 あとモチベーションに関連して付言しますと、学校選びですが、やっぱり通ってる生徒が熱心であるかどうかというのは一つの大きな要素になるでしょう。「周囲の影響」というのはデカいです。東大に行くのが当たり前という進学高校に入ってしまったら、周囲の連中は当たり前のように猛勉強しますから、普通につきあってるだけで自然に自分も勉強しちゃいます。でも、ヤンキー高校に入って、暴走族やってるのが当たり前という雰囲気になったら、「そうか、そういうもんか」と思って土曜日の集会にでかけたりするもんだと思います。

 そこまで極端ではないけど、語学学校にもこの差はあります。こちらに留学やワーホリで来ていても、シェアも日本人同士、バイト先も日本人同士、携帯に電話がかかってきても99%日本人から、、、という人は意外に多い。「海外なんて英語上達を断念するために行くようなもの」みたいな泣きそうな現実も又あるわけです。「こんなもん、出来るわけないじゃん!」って思えたとしても不思議ないですよ。実際そのくらい難しいですから。

 しかし、周囲がそういう「英語を諦めてしまった人」「単なる日本人同士の社交場としてしか学校に来ていない」連中ばっかりだったら、行くだけ有害という気もしますね。「そうか、やっぱり無理なのか」って思っちゃうし、真面目にやってたら茶化されるという。でも、ガッツ入ってる連中、つまり日本人以外とシェアして、地元オージーのカフェなどに突撃玉砕を繰り返してバイトをゲットしたような人々に囲まれていたら、「そうか、そういうものか」「自分だって出来るはず」って思うでしょう。これは現時点での英語力の高低ではなく、「やる気」の高低です。毎日のことですから、数ヶ月も積み重なったら大きな差になって現われると思います。

 シェア探しの奥義は「人で選べ」ですが、語学学校もまた「人で選べ」です。


★語学学校/留学の「効用」その2:その他の効用


 語学留学/学校のメリットとしては、語学習得以外の部分も結構大きいように思います。

★ペースメーカー機能

 転勤でこちらに来た場合を除けば、毎日何をして過すかは暴力的なまでに自由です。しかし、自由くらい扱いにくいものはない。最初は積極的に出歩いていても、徐々にまったりしてきて、起床時間もだんだん遅くなり、、となりがち。「生活の背骨」が無いと、クラゲみたいになってしまいます。語学学校に限らず、毎日のルーティンがあるのはペースメーカーになります。

 語学学習においても、自習でやるには限界があります。僕もなるべく気をつけて毎日英語やろうとしてますけど、やっぱりダラダラしちゃいます。永住権を取ったあとが大変で「英語力向上煮詰まり問題」に悩まされます。一人で家に籠もってるとメンタルにも悪い。お金とヒマがあったら今からでも学校に通いたいです。やっぱ強制されないとやらないという悲しい意思の弱さがあるわけですね。

★将来の下見と大義名分

 これは僕がそうでしたけど、例えば将来的にオーストラリアで生活するための「現地視察」としてやってくる場合、とりあえず「語学留学」という形にするケースは多いでしょう。どっちにせよ英語力は必要だし、一石二鳥で語学留学するパターンというのは結構あります。

 この場合のメリットは、まず「日本を離れる言い訳」として使い易い(笑)。「なんとなく息抜きしたくて」「自分を見詰め直したくて」という理由で来られる方は結構多い(というか程度の差はあれ誰でもそうなんじゃないかな)のですが、そんな抽象的な理由では周囲を納得させにくいし、そーゆー"夢見がちな奴"みたいに思われてもうざったいです。しかし、一応「留学です」といえば、行くに際しても帰ってからも、一応は恰好はつく。「エクスキューズ・ビザ」みたいな感じですね。一旦社会に出てしまった人にとっては、ここらへんは結構重要なポイントではないでしょうか(あまり語られないけど)。

 特に語学留学は、大袈裟にならずに、観光ビザで「とりあえず3ヵ月だけ」とカジュアルにトライできるメリットがあります。「ワーホリ年限を超えた人のための実質ワーホリ(僕がまさにそう)」としての「効用」というか使い道はあると思います。

★社会勉強

 学校には世界各国から来た人がいますので、日本に暮らしていた頃に比べれば、かなり世界観は広がります。語学学校以外の学校だと、学生の大部分が地元のオージーなので、ここまで民族ゴチャ混ぜ環境というのは語学学校が一番かもしれません。いろんな国の人と机並べたり、昼飯食べに行ったりするのは、面白いし、得るところも多いです。

★友達作り/情報交換

 日本人同志の場合、「ここに行くと日本の雑誌が置いてある」などのショップ情報、シェアメイトや帰国セールの情報など、リアルタイムの生活情報が得られます。他にも、韓国の友達にキャムシーの街を、ベトナムの友達にカブラマッタを案内してもらったり。APLaCの初期情報の蓄積は、ここらへんの友達から教えてもらったのが大きな基礎になっています。

 友達も沢山できるでしょう。なんせ毎日毎日何時間も顔を合せている機会というのは、学校か職場にでもいかないと中々ないですから。まあ、いい奴ばかりとは限らないでしょうけど。

★”青春”効果、”童心”効果

 語学学校行くと「青春」時代になります(^_^)。社会人になってからは、こういう「毎日学校に行ってさえすればいい」という環境は、とりあえず天国的です。日本にいても習い事は出来ますが、朝から晩までこればっかりという環境ではないです。もう何年ぶり、何十年ぶりの体験で、それがイイです。

 よく年齢差を気にされる人がいますが、ノープロブレムです。不思議なもので、こういう環境になると日本人同士でさえ年齢差を無視して小学校時代の友達みたいな感覚になります。ビジネスも、打算も、義理も、しがらみもない人間関係というのは、大いなる癒しになるでしょう。

 思い出していただきたいのですが、あなたの中高時代、そんなに勉強しましたか?勉強のために学校に行ってましたか?あの十代の頃に得たもので、一番大きいものは何ですか?三平方の定理やイオン化傾向でしたか?多くの人は違うと思います。親友が出来たり、部活に励んだり、下駄箱にラブレターがあったりなかったり、放課後に教室に残ってダラダラやってたり、CDやマンガの貸し借りやったり、、、という時間が、どれだけ自分の人格形成の栄養になったか。語学学校も同じことです。飲み歩いて、結局勉強はボチボチ、英語力も大して伸びてない、、という人もいますが、頭をかきながら「いや〜、英語難しいっすね」と言いつつも、満面ニコニコしてたりするわけです。

 終ってしまえば、実はこれが一番自分の人生にとって大きかったりするもんです。でなければ、たった数ヶ月の通学なのに、卒業式になって大の大人がビービー泣いてたりするわけないと思うのですよ。


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