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語学学校の選び方 Part 6

 上級編/本質編: 何のために学校にいくのか?「結果を出す」留学へ



 上級編というか、より本質的に、何のために学校選びをするの?なんのために学校に行くの?という観点から掘り下げて、本質をズバリ考えていくコーナーです。

必要条件ではあっても十分条件ではない

 英語を習得するなら、あなたに相応しい学校に一定期間コツコツと通うことが最速の道です。なんだかんだ言っても一番効率的です。だから学校選びもあらゆる要素を考慮に入れ、頑張って探すべきです。

 しかし!学校にだけ行っていれば良いというものではありません。もっといえば、単に学校に行ってるだけだったら思うほど英語は伸びませんし、実戦力もつきません。学校は有効なメソッドではあるけど、オール・イン・ワンの万能薬ではない。この点は声を大にして言いたいところです。

 ネットで学校選びに必死になる方がいますが、そのひたむきさは素晴らしいのですが、学校を選ぶことが自己目的化しているキライもなきしもあらず。また満足できる学校に入学できたら、それで本当に「満足」してしまって、入学後に必死に勉強しなくなるとか。あるいは必死に勉強しているのだけど、十分に伸びない。最上級クラスまでいけたけど、大きなハードル(英語力を活用して自分の人生をバキバキ切り開いていく)を越えられない、、というパターンが多いのも事実です。

 学校というのは、栄養でいえば炭水化物のようなもので、主食として重要なものだけど全体の一部でしかない。朝から晩までゴハンばっかり食べていたら、ビタミンやミネラル不足で病気になります。視野をもう一段広角にして捉え直してください。このアナロジーでいえば、学校選びというのは、コシヒカリがいいかササニシキがいいかといってるようなレベルの問題です。もちろんそれも大事です。しかし、それだけで話が終ってはならない。

 オカズが必要だし、それも栄養のバランスの取れたオカズが好ましい。では英語学習・留学において、何がオカズに相当し、なにが「栄養のバランス」に相当するのか。

なんのために英語を勉強するのか?

 「何のために英語をやるのか?」ですが、これは人によって様々でしょう。学ぶことは楽しいからという純粋に学問的意欲にかられておやりになる方もいるでしょう。素晴らしいことです。しかし、多くの方は、「就職やビジネスに有利になるから」「人生の可能性を増やす」「世界中の人と交流したい」という「実用性」に着目してのことだと思います。

 さて、ここで立ち止まって考えてみてください。例えば「就職やビジネスに有利」という点ですが、なぜ英語が出来ると有利になるのか?(単に「TOEIC800点取ってると就活に有利」レベルの話ではなく)

 それはビジネス現場での戦闘力が高まり、より「使える人材」になるからでしょう。では、「英語を使ってビジネスを展開」という現場をリアルに想像してみましょう。具体的にどういうシーンになるのでしょうか?顧客に対して魅惑的なプレゼンをする、やっかいな取引先と粘り強い交渉をする、接待やオフで人間的な交流を深める、あるいは海外の取引先の社長が来日する際に案内やお世話をする、、などでしょう。

 これらには一つの共通点があるのにお気づきでしょうか。いずれも「人間を相手にする」という点です。
 いかに喋っている英語が完璧な文法、完璧な発音であったとしても、人間的に相手としっくりいかなかったら結果は厳しいものになるでしょう。逆に多少英語に難アリだとしても、無類の愛嬌があったり、誠意が通じれば、話はトントン拍子に進んだりします。

 特に海外においては、この「人間的な要素」というのは、日本以上に大きなウェートを占めてきます。平たく言えば、日本人が何となく思ってるよりも、世界の人というのはよく笑うし、よく怒るし、情緒が豊かであり、またそれをよく表現します。知らない人でも平気で話しかけるし、すぐに仲良くなるし、空気読まずにズケズケ言うし、場合によってはギャンギャン怒り、すぐに機嫌が直る(^^)。子供っぽいというか、メチャクチャ「人間的」です。人によっては人間的を通り過ぎて動物的ですらあります。だから「ソツなくこなす」くらいだったら人間的訴求力がない。これに対応するには、感じとしては「子供に人気がある先生」「猛獣使い(^_^)」を目指すような方向性ですね。「面白い奴になれ」ってことです。

 でも、これは「英語力」ではないですよね。こういうコミュ力も含めて英語力というのかもしれませんが、少なくとも「英語知識」ではない。だから歩く百科辞典的にシコシコ知識を溜め込んでも、それだけでは全然足りない。大事な要素が他にあるということです。

 ここで、なぜ「人間」が絡んできてしまうのか?その理由は簡単です。

 英語(言語)というのは「人間」が使うからです。

 つまり「英語(言語)を使う」という局面は、イコール「人間と接触する」局面でもあるわけですし、「英語を喋ってるとき」というのは「他人(外国人)とつきあってるとき」です。ここで豊かな人間的交流が出来なかったら、いくら英語が出来ても目指す果実は得にくい。この点は英語を日本語に置き換えてみたらすぐにお分かると思います。僕らは日本語ネィティブですから日本語は堪能です。しかし「日本語が喋れたら日本での就職/ビジネスはバッチリさ」というわけではなく、自ずと別問題でしょう。

 コツコツ英文資料整理や翻訳をするだけだったら、この種の人間的接触はあまりないではないか?というツッコミもあるでしょう。確かに。しかしこれらの仕事だって絶海の孤島でやってるわけではなく、周囲に同僚や上司がいることに変りはないでしょう。在宅勤務であっても、まず一番最初の「就職」機会では「誰か」と接触しなければ、そもそも仕事が貰えないわけです。担当者と良好な関係を築けなければ、継続的に仕事を廻してももらえない。

 後でも述べますが、広い世間、英語社会のシステム、文化、ものの考え方を知らねば、翻訳だってちゃんと出来ません。英語以外の人間社会のありように対する深い洞察なくして、英語表現を正しく理解することは出来ないです。その意味でも英語「だけ」やっていれば大丈夫、机に向って英語知識を習得すればOKさという安直な世界ではないです。

 皆さんの貴重な時間、労力、お金を費やして英語を勉強するのですから、是非ともモトは取っていただきたい。勉強することで現実にご自身の現実、人生を好ましい方向に変えていってください。「結果を出す」ということまで見据えて勉強していただきたいのです。留学の新しい局面で触れたように、単に「留学しただけ」という観光半分の「優雅なお道楽」は、20年前のJAPAN最盛期ならありがちでしたが、これからの時代では「スキル獲得の旅」というもっとソリッドな方向になるでしょう。それだけに結果を出せるのか/出せないのかというのは、以前以上にシビアに問わねばならないと思います。


学校の重要性を全体の3分1くらいまで落とすこと

 本当に意味のある留学にする、本気で現実を変える、人生を変えるような留学にするためには、学校選び+通学だけでは不十分であることは明らかです。通学は必要だけど、それだけでは足りない。自動車運転に関して、教習所と路上の実戦経験の違いのようなものです。教習所だけ行ってても現場ではペーパーのままです。

 もっと他の要素を豊かにしていかねばならない。
 では具体的にどうすれば良いのか?

 まず、目標としては「学校の重要性を全体の3分1くらいまで落とすこと」が実務的には肝要だと思います。学校以外のライフスタイルを「3分の2」と置き、これらの部分をいかに充実させるか、いかにチューンアップさせるかが大事であるということです。

 もちろん、これは学校を軽視しろとか、学校の勉強は手を抜いていいなんてことを言ってるのではなく、学校の勉強は勉強で、それこそ鼻血が出るくらい猛勉強してください。「こんなに勉強したのは生まれて初めて」ってくらいやって下さい。英語学校では基礎技能を徹底習得しますし、基礎技能は詰まらないので教室などで半強制的にやらされないと中々身につきません

 その上で、それですら3分の1でしかないというくらい、トータルで大きく充実させろということです。視界を広くもつことです。「英語を使って現実を変えていく」という訓練は、教室では出来ず、現場で奮闘することによってのみ可能です。教習所ではない路上ならではの機微というのがあり、これはもう身体で覚えていくしかない。

 抽象的に言っていても分かりにくいので具体例を挙げます。
 僕が最初に留学したときも、誰のアレンジも頼まなかったので、一から十まで自分らでやらねばなりませんでした。家を借りるにしても、街を歩いて不動産屋探しからはじめ、不動産広告の読み方を現場であれこれ推測し、カウンターで大汗かいて意向を伝え、家を見せてもらうアレンジをしてもらい、手付け金や保証金の意味を説明して貰う。やっと家が決まっても今度は入居日までに電気を付けたり、電話回線をつないだり、中古家具やレンタル家具屋を巡ったり、デリバリーの日時を設定したり(すっぽかされたり)。さらには食器やシャワーカーテンなどの什器備品を買い揃えるために店の場所を聞いたり、店内がまたやたら広いので売り場を聞いたり、、、

 もう最初の一週間でどれだけのオーストラリア人と会話をしたか数え切れないくらいです。最初は超ビビりながら英語で喋るのですが、段々ビビってる場合ではなくなっていきます。外人が外人に見えなくなっていきますし、自分が英語を喋っているという意識すら無くなっていきます。そして、人と人とが意思疎通をするには何が必要なのか、どうすればいいのか、実地で覚えていきます。あくまでフレンドリーさを心がけるとか、相手の目を見て真摯に喋るとか、身振り手振りはおろかその場で図を書いて伝えたり、相手の微妙なニュアンスを汲み取ったり。

 また英語についても徹底的に打ちのめされます。まず発音が通じない。自分で勝手に「これでいいだろう」と思っていた発音では現場でもまるで通じない。涙が出るほど通じない。「声が小さい」と何度言われたことか。アクセントの場所がズレただけでもうイッコも通じない。音節数を間違えると通じない。単語にしても、和英辞典で調べて、変な単語のチョイスをしていたら、まず現場では通じない。構文にしても、一本調子に喋っても全然通じない。

 そこで必死に考えます。「通じるためにはどうしたらいいか」「現場で通じる発音とはどういうものか」です。一文の中でのキメの部分、最も主要な部分を、ゆっくり大きく発音すると通じるとか、"I would like to"なんて手続きみたいな部分は省いた方が会話がリズミカルになって通じやすくなるとか、妙になんでも英語で言おうとせずタイミングよく大きくスマイルを浮かべる方が上手くいくとか。

 そして、数十人の人達、数十の民族の人達と喋るなかで分かるのは、「みんな、やさしい」ということです。真っ直ぐ向っていけば、両手を広げて迎えてくれるのだということです。下を向いて、目を合わさないで、自分の世界に閉じこもって、呪文を暗唱するように英語を喋ると、情けないくらいに英語が通じないのに、正拳一本突きのように直球ド真ん中でいくと面白いように通じる、相手にしてくれる、一生懸命聞き取ろうとしてくれる。なによりも通じたとき、心が通い合ったときのえもいわれぬ満足感は圧倒的です。

 学校が始まる前にこういった現場経験が出来たことは、計り知れない効用があったと思います。わずか半年やそこらでIELTS6点までいったのも、一番最初にハードルの高さ、ゴールの場所を体験したからだと思います。とにかく自己満足的に勉強していても意味がないということだけは、徹底的に思いしらされました。発音にしてもこれまでいい加減に分かった気でいた甘さが消し飛びましたし、文法や構文にしても、現場で一秒以内にレスポンスできない知識は意味がないというのもよく分かりました。

 したがって、学校の勉強のやり方も全然変わってきます。「こんな程度じゃ現場で通じない」という基準が叩き込まれていたので、いわゆる「お勉強」では満足しなくなります。同じ事を何度も何度も反復練習をするとか、反応スピードを速くする練習とか、一つの表現を覚えたらそれを否定形や未来形にするなどあらゆるバリエーションを自分で練習するとか、英語独特のセンスを磨く勉強とか、ネィティブの速さで英語が流れ込んでいくのを脳内で処理する速度練習とか、、、、もう、ありとあらゆる方法を自分で考え、どんどんトライしていきました。エクスチェンジでは、説明しにくい事柄をゆっくり時間をかけて英語で言えるので表現力の錬成には最適ですし、友達と飲みに行って馬鹿話するのはスラングも含めてカジュアルでよく使う英語表現を覚えるのに良かったです。ラジオも聞いたし、古本も山ほど買い込んで読み散らしました。

 しかし、この現場経験が、多くの留学生の場合に乏しかったりします。留学産業やネット情報の隆盛がその傾向に拍車をかけています。留学=お買い物、みたいになっている。実際、ホームステイのアレンジも他人任せだし、学校とステイ先を往復するだけで、ステイ後のシェアも学校の友達と一緒に住んだり、同じ国の人間同士固まって住んだり。本人は猛勉強のつもりでいても、結局それだけではいくら最上級まで上がったとしても現場で使えない。最上級クラスでさえ「英語で電話するのが恐くてシェアが探せない」という人は普通にいます。それに、ちょっとでも非正規な事態になったとき、例えば家のトイレが詰まったときに、「プラマーに電話して状況を簡単に説明して来て貰って、また現場で指さしながら細かく説明して修理して貰い、支払は大家に付けておいてもらう」という、ごくごく日常的なことひとつ出来ない。

 これでは本当に現場で使い物にならない。だから現実も変わらないし、就職も覚束ないし、仮に職務に就いても使えない。実際にプロの現場にいけば、東南アジアやアフリカの現地工場に乗り込み、ストライキで怒り狂う現地労働者達と腹を割って話し合い、解決策を模索するようなタスクが求められるわけです。トイレが詰まっただけでお手上げのようなレベルでは使い物になるわけがない。


「学校おたく」にならない〜受け身意識の払拭と「最終工程」の重要性

 ということで「学校おたく」みたいに学校が全てになってしまって欲しくはないのです。学校は選んだり、通ったり、卒業したりすることが目的ではないです。また、究極的には勉強それ自体も目的ではないです。それらは全て「手段」に過ぎない。本当の目的は、「習い覚えた英語で、いかに人生を豊かにするか」の筈です。学校以外の部分をいかに充実させるか。だから学校の相対的な位置づけは3分の1程度にし、その倍以上の精力で学校以外の生活環境を整えることが大事だと力説するゆえんです。

 心はあくまで最終ゴールのストリート・現場に置きつつ、そのために何をどう勉強するかという英語学習があり、さらに英語学習のどの部分をどう錬成するために、どういう特性のある学校をどう活用するか?というあたりまで、キッチリ詰め切って考えていただきたい。でないと、いわゆる「いい学校」に盲目的に通うだけということになりがちです。いくらやる気があり、いかに猛勉強をしても、それでは根本姿勢で受動的だし、手段→目的意識が甘いから通ってるだけで満足し、「学校を骨までしゃぶって利用しきる」という姿勢に甘くなりがち。

 また「勉強をしている」こと「だけ」で満足してしまうという点もあります。一生懸命勉強することは素晴らしいし、尊いですけど「結果を出す」という一番大事な「最終工程」のノウハウがないと、勉強だけしてそれで終わりになる危険性があります。「日本人とは絶対に喋らない」というポリシーで頑張っておられる方もいますが、日本語を喋らないことが美しいのではなく、それでどう結果を出せるのか?こそが問われるべきでしょう。

 いくら学校で日本語を使わなくても、ネットやメールで日本語に触れていたら同じ事です。むしろ読み書きの方が言語レベルがディープな分だけ、英語脳が日本語脳に戻ってしまう度合いが強い。そこまで考えているのか?もしそこまで考えてなければ、やはり「勉強おたく」の一種であり、勉強をすることが自己目的化していないかを鋭く問いかけるべきだと思います。

 受験勉強には「合否」というもの凄く分かりやすい「結果」がありました。だから結果重視で勉強し、「試験に出そうなところからやる」という戦略もあった。大学別の出題傾向なんてのもあった。では、留学における「結果」とは何か?それは「現場」でしょう。受験と同じくらい先鋭な意識で考えるべきだと思います。

 余談ながらこの「学校おたく」「勉強おたく」傾向は、おそらくは戦後日本の受験教育の弊害ってやつでしょう。いいガッコ、いい会社に入る「だけ」で後の人生は約束されているというイリュージョンです。入試だけ頑張ればあとは遊んでいてもいいという学歴(入試歴)社会。つまり「入る」ことに全精力を注ぎ、その後の勉強は入試ほど必死にやらない。あるいは教えて「貰う」という受け身意識。およそどんなスキルでも、受け身意識だけでモノになる技術などこの世にない。そんなことはあなたも先刻ご存知でしょうが、でもつい忘れてしまう。この「つい」の部分が弊害なのでしょう。無意識的に思考パターンが刷り込まれているという。

 「最終工程」の甘さは、中高6年も英語をやってるのに現場ではまるで無能という部分にも出ています。受験だろうが語学学校だろうが、やることは一緒で、現在完了は現在完了です。別に日本の英語教育がダメというわけでもなんでもないです。知識は十分に学んでいるのだ。ただ一点「これで現場で使えるのか」という最終工程意識が乏しいから、仕上げが出来ていない。

 だから付け焼き刃的な英「会話」に走る。英語圏の本格的な英語教育/学校で「英会話スクール」なんて存在しません。英語がわかれば英会話も必然的に出来るようになってなければ嘘だからです。もしその「嘘」の状況があるなら、それは会話がダメなのではなく、英語学習姿勢に根本的な問題があると思った方がいいです。


 ということで最終工程=学んだ知識を右から左に現場で使えるようにする部門=が甘かったら、今後いくら勉強しても使えないことに変りはない。一方現場技術が凄い外国人、例えばオーストラリア人ワーホリが日本に一年いれば、かなり日本語を使いこなせるようになっていたりします。この差はデカイです。僕ら日本人は、そこが最大の弱点です。最大の弱点というのは最大に美味しい。なぜならそこを克服すれば結果は大きく変わるからです。最終工程さえクリアすれば、受験英語でもビシバシ喋れるようになるからです。

 ゆえに全兵力の3分の2をその部分に投入せよ、という理屈になるわけです。子供の頃からお馴染みの「学校」君は3分の1程度でいいと。ただし、3分の1とはいっても「60%手を抜け」と言ってるんじゃないですよ。くどいですけど。学校は学校で、これまでの全人生で最高に勉強はしてください。その上で学校の二倍以上他の世界に目を向けろと言ってるわけです。

 だからトータルでは3倍兵力で攻撃しろと。すごいことを言ってるわけです(^_^)。でも本気で結果を出そうと思えばそのくらいは必要でしょう。IELTS6点(学校では最上級レベル)取らなきゃ永住権の申請すら出来ないことからわかるように、あれでギリギリのボトムラインくらいというのが「現場」の水準ですからね。それより格下のレベル5ですら達する日本人留学生は100人に一人くらいですから。そのくらいハードですよ。受験勉強レベルくらいだったら軽くクリアしてください。当時はいかにキツく感じられようとも、実社会で仕事をした今からみたら、全然甘かったでしょ?少なくとも、「勉強=机に向ってる時間」なんてド初歩の過ちだけは犯さないように。英語の勉強で机に向うのは、ライティングの清書くらいでいいです。机に向ってないときにいかに勉強をするかが大事なノウハウになり、このノウハウがあるからこそ3分の2の兵力を悠々と学校外に派遣できるわけです。このあたりの勉強方法については、英語の勉強の仕方論(別窓)に譲ります。


具体的な方法論

 さて、こういった観点に立って、学校選びもそれに対応していくべきでしょう。
 すなわち、まず生活全体のグランドデザインがあり、その一環として学校を位置づけること。

 一つには住居です。シェアやホームステイ先と学校とのコンビネーションでもあり、自分の個性とのマッチングです。学校など朝の9時から午後3時くらいまでしか居ません。1日24時間中6時間しか居ないところであり、あとの18時間をどう過すか?です。

 ステイは基本的に他人にアレンジしてもらうしかないのですが、シェアの場合は自分で選べますから、大いに選び、考えるべきでしょう。一口でシェアといっても無限のバリエーションがあり、都心の高層マンションから森の中の住宅地まで、同じ学校同じ国籍同士固まるシェアから10人10カ国から来ているインターナショナルハウスみたいなものもあります。しかしそれとて留学生やトラベラーなど「よそ者」集団であることに変りはなく、もっと地元に根ざしたローカルな場もあります。ステイのようにファミリーもあるし、悠々年金暮らしの世話好きなおじいちゃんとのシェアもあるし、バリバリのビジネスマン達とのシェア、ミュージシャンやアーティストなど一癖ありそうな連中とのシェア、インド系中国系中東系など国籍も多様です。シェアの探し方自体は別項にコッテリと書いておいたので(別窓)そちらを参照していただきたいのですが、ここで言いたいのは、死ぬほど多彩なバリエーションのあるシェアと学校とのコンビネーションです。

 例えば日本人が比較的多いような学校の場合、バランスを取るためにシェアは出来るだけローカルor多国籍な感じにする。学校が真面目なお勉強タイプの学校だったら、シェア先はちょっとファンキーな感じでキメてみる。逆に学校のテンションが高すぎるような場合は、シェア先は帰ってきたら「ほっ」とするような静かな安らぎを感じさせるようなところにする、などなど。最終的には「人」で選ぶべきですが、こうやってあれこれ生活環境を自分で整えること、こういうチューニングやカスタマイズは自分次第で幾らでも出来るのだということまず知ってください。自分のポテンシャル(潜在能力)を最大に発揮できる環境はどういうものか、どうやったら自分を成長させられるのか、セルフプロデュースの練習です。

 学校、シェアときて、第三の柱となるのは、その他の課外活動です。例えばアルバイト、エクスチェンジ、ボランティア、習い事、スポーツチーム、、、などなど。特に何か趣味のある人、あるいは何かテーマを持っている人(外国のチャイルドケアを見てみたいとか)は、それをキッカケにどんどん切り込んでいってください。オーストラリアはオープンな国です。見知らぬあなたが「こんちわ〜」っと入っていっても、全然警戒的ではなく、びっくりするくらい迎え入れてくれます。友達が出来、また別の友達を紹介され、、で、あとは「わらしべ長者」的にどんどん広がっていきます。

 このように学校外のアクティビティが豊かになればなるほど、あなたは英語の実戦現場に恵まれることになります。英語技術は身体術ですから、とにかく場数をこなせば誰でも上手くなります。さらに、上記に書いたように語学力に留まらないコミュニケーション力がつきます。外国の場合は日本のように細かなしがらみやお約束がない分、ダイレクトに人と接するので、気持ち良く、やりやすい点が多いです。日本人独特の細かな心配りもちゃんと評価してくれます。そして、人と人との付き合いにおいては、ともすれば陳腐で臭く感じられること、例えば「嘘はつかない」「思いやり」などがキチンと大事であることも再確認するでしょう。さらに、日本人の弱い部分、「自分のこと、自分の意見を誰が聞いてもすっと理解できるように喋ること、出来ればユーモアを交えて楽しく伝えること」も上手になっていくでしょう。自己主張といってもギャンギャン吠えればいいってもんじゃないってことも分かるでしょう。

 そういった経験が、今後の就職や、英語を使う現場において、どれくらい役に立つか、どれくらい現実を変えるか。
 例えば、外資系--資本だけが外国で、あとは上から下まで日本人が働いている「なんちゃって外資系」ではなく、外国人がボスになるようなバリバリの外資系--の場合、彼らが重視するのは、英語力そのものではなく(そんなの出来て当たり前だし、また基礎が出来てればあとは現場ですぐ慣れるというのもよく知ってるし)、人間的な波長やノリだとも言います。いくら英語が出来ても、日本人独特の自閉的というか、自意識過剰というか、そういうキャラだと採用しにくいし、職場でうまくやっていくのも難しい。誰とでもフランクに、オープンに付き合え、それでいて言うべき事はキチンと言えるという波長が大事であると。僕もそう思います。純ジャパのノリだとやっぱりキツいですから。

 そして、将来あなたが海外の知人やネットワークを使って自分で起業するなり、プロジェクトを進めて他国にいくような場合、これらのスキルとキャリアは、さらに大きな威力を発揮するでしょう。相手がインド人だろうがユダヤ人だろうが、誰であろうがすぐに友達になれ、親しまれるけど、かといってヘコヘコせず、適正なレスペクトを受けるような人になって下さい。

 そこまでいけたら、あなたの「現実」は大分変わるでしょう。いわゆるビジネス的「成功」もぐっと身近になるでしょう。でも、そこまでいけば逆にそういう成功にこだわらなくなるかもしれませんね。「ハッピーになるためには、別に成功する必要なんか無いんだよ」なんて言ってたりして。

日本にいるあなたはどうすべきか?


 以上の点は、こちらに来た後の話です。
 では日本にいる時点では何をすべきか。

 まず学校選びに関しては、WEBやパンフレットのカタログ選びは時間の無駄に近いと思います。これはことある毎に書いてますが、結局、自分に合う/合わないは、カタログ数値では現れない部分で決まりますからね。今仕事をされている方は、今の職場環境、雰囲気や居心地を、会社のパンフレットだけから的確に推察出来ると思いますか?学生さんだったら、通っておられる大学生活の現実を、入試の際のパンフレットでどれだけ理解できると思いますか?百聞は一見に如かずだと思います。

 第二に、カタログ選びに貴重な時間を費やすくらいだったら、オーストラリアのことを学んできてください。これから住む国なんだから、どういう原理で国が動き、どういう生活環境になっているのか、オーストラリア人は何を考えて毎日生きているのか、それをキチンと予習してきてください。その場合、ガイドブックに載ってるような知識ではなく、また個々人の断片的な体験談でもなく、トータルな全体像です。

 大体なんでこんな場所に英語を喋る国があるのか不思議だとは思いませんか?周囲をインド、インドネシア、パプアニューギニアに囲まれながら、突如として白人の国があるという。そのためには大英帝国時代のイギリスの世界覇権のもの凄さを知らねばならないし、イギリス植民地あがりの各国(コモンウェルス)の事情もちょっと知っておくだけで全然違います。そういった大きな背景の上に、各国のローカル事情が重なります。同じイギリス系植民地上がりでありながら、アメリカとオーストラリアは違うのか、なんでオーストラリアはアメリカ風の発音ではなく本家イギリス系の発音になるのか、など。

 同じように英語圏や西洋の文化や価値観についても知っておかれると違います。こちらに来れば西欧流の論理で物事が進みますので、大きな法則性を知っておくと「多分こういうことなんじゃないかな」という推測がしやすいのですね。理解も深まるし。このあたりはマトモにやろうと思ったら一生かかりますから、移住に関するエッセイ/参考文献(別窓)でも紹介した各書籍、特に杉本良夫さんの本などがオススメです。文化背景から説きはじめ、だからオーストラリアの生活ではこうなっているのだというところまで噛み砕いて書いてくれています。

 そして、こういった文化社会の理解なくして英語の正確な理解は出来ません。翻訳や資料探しにしても、辞書をひいても意味がわからない、意味はわかるけどニュアンスがわからないという物事が山のように出てきます。話に日本にしたら分かりやすいですけど、日本語を勉強している外人さんが「お盆」という単語にぶち当たって難儀したりします。辞書をひいても「カップを乗せて運ぶトレイのこと」という意味では全然通じないのは当然ですが、その宗教的意義やなんでこの時期なのか?という理解は日本人でも意外と知らない。知らないくせに当たり前のように会社を休んでいる。かといって、イスラム教のラマダン(断食)のように会社を休んでまで宗教的儀式にいそしんでいるわけではなく、それも微妙にありつつも(墓参りとかするし)、実質的には「夏休み」みたいなもの。しかしながら労働法上に明確な規定はないし、国民の祝日にもなっていない。でも当たり前のように皆休むという異様なまでにファジーなニュアンスは、日本についてかなり知らないと正確には分からないでしょう。英語圏でも同じ事なんです。英語圏の生活感覚がわからなければ、結局英文を正確に訳することが出来ない。

 あと、渡豪準備編にも書きましたが(別窓)、世界中の人と暮しますので、世界のこと、そして数百回聞かれるであろう自分のこと、日本のこと、これらを英語で言えるように勉強してきてください。文法もボキャももちろん大事ですが、それを言うために必要なボキャと必要な文法という逆に遡っていく形でやっていった方が効率がいいです。"I'm from Japan"で終ってしまったら、場がシラ〜ってしますので、そのあとどう話を続けていくか。つい先日もシェアにいった人は、ブラジル人がオーナーで、ルームメイトはチェコ人、他の部屋にポーランドの女の子が二人いるそうです。その前の週の人は、シェア見学のときにモーリシャス人夫妻のところに行き(メチャクチャいい人だったらしい)、「せめてどこにあるのかくらいは知ろう」で泥縄でWikipediaでモーリシャスの場所などを勉強していきました。そういう実戦経験を積むのが、英語技能の習得には実は最速の方法でもありますし、これが弱いとなっかなか伸びないです。だから準備としては切り口を沢山つけておく、と。

 第三には、時間があったら英語を良く勉強しておくことです。やり方については渡豪までの英語準備(別窓)で書きましたが、英語が出来れば出来るほど現地での可動性は広まりますし、学校内外での生活も広がっていきます。お値打ちです。

 以上、「学校選び」のノウハウの上級編(本質編)として、「何のために学校に行くの?留学するの?英語を勉強してどうなりたいの?どうしたらいいの?」を掘り下げて考えてみると良いのではないか、という話でした。



 語学学校の選び方INDEX

序章 カタログショッピング的学校選びの危うさ
(1) ロケーション
(1-2) 学校と住居のコンビネーション
(2) 予算、授業料
(3) 学校の個性と居心地(規模、雰囲気)
(4) 目的やコース (IELTS、ケンブリッジ、ビジネスコース)
(5) 英語力別の学校の適性(初級・中級・上級)
(6) 上級編・本質編:何のために学校にいくのか?「結果を出す」留学〜学校の相対的比重を下げよ