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そうだ、オーストラリアに行こう! (2)

オーストラリア留学/ワーホリ/移住の新しい局面
 ---時代が変わった---


発想の根本的な転換を(承前)

 

@、お金を使う場所→稼ぐ場所

 日本でお金を貯めにくくなった分、賃金の高い現地ローカルでの稼ぎ甲斐が出てきました。最低時給20ドルですから。消費先としてのオーストラリアではなく、出稼ぎ場所としてのオーストラリアということです。まあ、「出稼ぎ」というほど持って帰れるわけではありませんが、「資金不足は現地で稼ぐ」という方法が以前よりも有用性をもってきたということです。

 もちろんローカルで働くためのハードルは高いです。ジャパレスは(多少改善されたとはいえ)一般に低賃金のままですから。しかし、ローカルハードルの高さそのもの(英語力など)は以前と変わらないのだから、リターン率が上がっておいしくなっています。この点は、予算について03実戦講座で詳述しました。あれは一見トリッキーな奇策のように見えるかもしれませんが、実は正道です。時代が真逆になれば発想も真逆にすべき。

 下のAとも連動しますが、今は海外の方がお金を稼ぎやすい&貯めやすい経済潮流になりつつあるでしょう。日本が足踏みしている間に、世界の人々、それも日本人の数倍、数十倍の人数の人々がお金持ちになりつつあります。お金というのは金持ちが沢山いる所で稼いだ方が効率が良い。その経済原理に則って、日本企業もどんどん海外シフト(生産のみならず販売拠点)を進めているわけです。仮にあなたが日本国内で日本企業で就職したって、海外勤務になる確率は以前よりも高くなっています。

 「貯めやすい」〜オーストラリアのロングテール社会

 今日本の若い人がお金を貯めようと思ったら大変だと思います。
 自宅通勤で月収30万円以上貰ってないと効率よく貯まらないのではないか。バブル時には、20代でボーナス300万円とかそういう話も普通にあったのですが。

 幾つか理由がありますが、@日本の賃金水準が低いこと。今や日本の最低賃金規定はオーストラリアの半額ですからね。A低所得者への公租公課が高いこと。所得税+住民税+年金+失業保険+健康保険、、これだけ源泉で取られてたら貯まるものも貯まらない。

 それに加えて、Bどの収入レベルでも気後れせずに楽しく暮らせるという社会のバリエーション=ロングテール性があります。

 日本は世界でもトップレベルに「きちんとしている」国で、それは誇るべき日本の良さなのですが、逆に言えば、きちんとした格好&ライフスタイルをしてないと世界一恥ずかしい社会です。つまり「見栄費用」がかかる。オーストラリアは、日本の所得水準をはるかに超えている(平均年収800万円+平均世帯資産8000万円)にも関わらず相変わらずのんびりしており、着た切りスズメでいても日本ほど恥ずかしくないし、ブランド品なんか滅多に見かけません。安いけど美味しい物も豊富にあるし、シェアなどカジュアルな居住環境もある。

 つまり、生活のバリエーションが豊富な「ロングテール社会」なので、ローコストで楽しくやっていく選択肢が多いということです。そして何よりも所得の高低で人を馬鹿にするという風潮が少ないから精神的にとても楽です。もっとも、贅沢していたらこちらの方が物価が高いし、日本感覚をひきずってる日本人とばかりつきあってたら日本環境のまんまだから変わらないですけど。
 

A、海外経験の市場価値の上昇


 昨今、巷で噂されている、いわゆるグローバル人材という概念があります。

 これもまた、例によって言葉だけが先行して、内容がイマイチよく分からないのですが、要するに「(地球上の)どこであれ、誰とであれ、うまいことやっていける力」でしょう。「海外・外国人リテラシー」と言い換えてもよいですが。

 こういったスキルは身につけておいて将来的にまず損はないでしょう。「マスト」とまでは言わないまでも”準標装備”くらいにはなりつつあると思います。自家用車のエアバックくらいの感じ。

 国内市場が充実していた一昔前の日本では、「海外慣れスキル」なんぞを習得しても、それを活かす場面が限られていました。が、今やその局面が国内外に広がっています。つまりはオーストラリアで習得したスキルの市場価値が上がっているということです。

 この点の詳細は、世界経済の動向と留学・ワーホリ第四章:渡豪の意味の変化、国内市場の縮小と海外シフトと新たな就職機会に書きましたので、そちらをご参照ください。

 といいつ、重複を恐れずに概要を書いておくと、日本企業の海外シフトは、単に「円高だから工場を海外に」という生産拠点レベルだけではなく、海外に売りに行くという販売レベルにも向っています。早くからインドに進出していたスズキ自動車はインドでの自動車販売ェア5割を誇り、今ではインドでの販売台数の方が日本国内での販売数よりも大きいです。キリンも以前からオーストラリアに進出し、アルコール会社のみならず乳飲料などにも手を広げています。このような日本企業の海外シフトは、企業の生き残りをかけて今後も続きます。

 楽天やユニクロが英語を社内公用語にするというニュースがありましたが、思うにあれは日本人同士がギクシャク英語で喋るためのものではなく、海外の優秀な人材を登用するためのものと解するべきでしょう。インドに売りに行くなら地元に精通した優秀なインド人を雇った方がいい。中国もインドも日本以上に強大な官僚国家だと言いますし、何をするにしてもコネが大事です。だとしたら官界のキーパーソンないし太いパイプを持っている人をスカウトした方が話が早い。しかし、いくら優秀な人材がいても「まず日本語を学んで下さい」とかまどろっこしい事を言ってたら優秀な人材に逃げられてしまいます。だったらいっそのこと公用語を英語にしちゃえってことでしょう。海外の優秀な連中だったらデフォルトで英語くらい出来ますから。

 「これら一部の企業の動きだけで全体を見るのは早計でしょうが」と、以前の更新時(2010年)に書いたのですが、それから半年もしないうちにもう全然「早計」ではなくなってきました。2011年は「外国人採用元年」と言われているらしいのですが、企業の外国人採用はどんどん広がってるし、企業の海外進出は一部の大企業のみならず一般の中小企業にも広がってます。これらの支援する体制、あるいはニュービジネスも雨後のタケノコ状態になりつつあります。全員海外に出すという企業や学部も出てきましたし、留学経験者には給料を上げるという企業すらある。だんだん当たり前になってニュースにすらならなくなってきてます。さすがは「横並び」社会の日本。一旦方角と大勢が定まれば、あとは「我が社も」で展開は早い、早い。


 ということで、、、
 今やお飾りみたいにTOEIC800点取ってればいいという話ではなく、ぼんぼん現地に行かされるだろうし、また現地との英語での業務連絡もやるでしょう。日本にいても多国籍の上司、同僚&部下達とうまくやっていかねばならない。

 現実感のない話かもしれないけど、あなたが稼働するであろう将来30年の間(人によって違うけど)、上司、同僚、部下、顧客、取引先、、これら全てが100%日本人オンリーであり続ける可能性ってどのくらいあると思いますか?日本で老舗のお豆腐屋さんをやっていたとしても、外国人観光客が「ファンタスティック!」とかいって買いに来ます(そういう意味では京都の町屋のグローバル対応はとっても進んでます)。彼らに受ける商品作りや、日本の伝統を正確に理解して貰うための説明、そのための慣れ、スキルは必要でしょう。

 お隣の韓国のサムソン電子は90年から毎年200人以上の社員を世界各国に送って、1年の間仕事抜きに(給料は出る)言葉や文化を学ばせており、この制度で来ている韓国人ワーホリも結構います。そのココロは、英語だけ出来ても戦力にならないからです。いかに現地ローカルに溶け込めるか、現地の生活習慣を学び、マーケティングや販売に活かせるかという実質面を見ている。最近ではアサヒビールも似たような新制度を考えているそうです。

 一昔前の留学やワーホリが、どこかしら「優雅なお留学」「海外でフラフラ遊んでた」というネガティブな視線で見られがちだった状況に比べれば、今後は自分がサバイバルするための当然の戦略というポジティブな見られ方をするでしょう。

 まあ、一足飛びに何もかもが変わるわけもなく、変化には10年、20年かかるでしょうが----と、これも前に書いたのですが、そんなに時間はかからないでしょう。てか、もうこんなこと書く必要すらないかも。
 

B、まずは出塁 ベルトコンベア型→ビリヤード型

 Aのように世間の動きが激しくなってきましたが、「そんなの一部のエリートの話だから関係ない」とか思ってませんか?でも、それはちょっと違うと思いますよ。なぜなら、これだけ海外と密接に連動するようになったら、どこの大学を出たとかいうよりも大事なのは「現地で使えるか/使えないか」でしょう。海外で学閥なんか振りかざしても何の役にも立たないのだから、基準はより実質的になっている。

 第二に、身軽な個々人が、何をするのも足の遅い日本の企業”ごとき”に先進性で負けてどうする?です。もっともっと彼らの先を読んで、彼らの先にいけばいいです。もっと広く、自由に考えた方が成功率は高まります。

 なにも日本の企業に就職しなければならない義理もないし、シビアな言い方をすれば、海外に出れば成功するって甘いものではないから、日本の企業だってどれだけ生き残れるか分からないのです。また進出先の企業に呑み込まれて日本企業ではなくなったりもするでしょう。あのシャープですら台湾企業に呑み込まれていく現実からすれば、それは荒唐無稽な話ではない。さらに、グローバルに適応して生き残っていく過程で、すでにカルチャー的に「日本企業」であることをやめざるを得なくなるでしょう。つまり、日本だとか外国だとかこだわること自体がナンセンスになっていく。


 これまでは日本=オーストラリアという二点間の「行ったり来たり」だけを考えていました。オーストラリアで何かを得て日本で活かすか、オーストラリアに住み続けるか。Aの就職・活躍機会の世界的拡大を前提に考えれば、そういった二点的なものの見方はもう古く、多極的な展開を視野にいれるべきでしょう。

 つまり、オーストラリアに行くのは、あくまでも「第一歩」に過ぎない。野球で言えば 取りあえず一塁に出る ようなものです。塁に出てしまえば、盗塁だの、ヒットエンドランだの、送りバントだの、策はまた色々あります。もちろん日豪でチャンスを見つけるのもアリですが、それにとらわれず、第三、第四の国も視野に入れておく。というか、そのための第一キャンプがオーストラリアなのだくらいでいいと思います。

 もう少し視点を広くとれば、これまでのような日本型終身雇用が過去のものになるにつれ、ベルトコンベアのような一直線のライフプランは難しくなっているという現実があります。英語や留学についても同じで、英語習得→英語教師になる、あるいは外資系就職という点と点を結んだ単線型プランではなく、あちこちで様々な出会いや経験を経て、二重三重にクッションをおいて方向性を変えながら進んでいくビリヤード型のキャリアプランになっていくように思います。絶対そうなるとは言わないし、そうすれば絶対成功するというものではないでしょうが、そういう発想は頭に入れておいて損はないでしょう。
 例えば、ワーホリでオーストラリアに来て、ラウンド先で意気投合した仲間と今度はNZ、ヨーロッパやアジアを回り、そこでひょんなことから仕事があったり、恋が芽生えたりして数年滞在。一段落したところで帰国し、当時のコネを利用して輸入会社を起業したり、現地の人の日本観光旅行をお世話する仕事を作ったり。この世に仕事のネタは星の数ほどあるのですが、問題は人脈です。採用してくれる人に出会うか、販路や流通がスカッと通るかどうかです。そのためには数百という単位での出会いが必要でしょうが、それが楽しく出来る自分になるのが大事なのでしょう。気がついたら、日本国内で働いてはいるけど、九州出身なのになぜか北海道のニセコでオーストラリア人の経営の居酒屋のマネージャーをやってました、みたいなこともあるかもしれない。

 もともと人生というのはそういうものなのでしょう。僕だってまさか自分がオーストラリアでこんな文章を書いてるとは学生の頃には夢にも思ってませんでした。でも、ビリヤード型が本来の姿で、これまでのベルトコンベア型の方が硬直していて不自然なようにも思います。日本の、それも高度成長期に見られた一時的現象に過ぎないと。ビリヤード型は将来が見えにくいので不安だとは思いますが、いつコケるか分からないベルトコンベアに乗ってるよりはマシだという考え方もあるでしょう。

 ビリヤード型の良さは、多少何かに失敗しても幾らでも失地回復の機会があることです。先の見えない時代ですので、こういうときは一歩一歩確実に塁を進めていった方が、一発ホームラン(一生安泰コンベア)を狙うよりも実は確実だと、僕は思います。まあ、好球が来たらホームランを狙ってもいいですよね。でも、ホームランしか無いわけではない、というのは知っておかれた方がいいのではないでしょうか。

 というわけで、オーストラリアに行ったからといってオーストラリアにこだわる義理はないし、そこで身につけた諸技能・経験をストレートに何かに反映させようと、あまり思い詰めない方がいいと思います。「取りあえず出塁」「敵情視察」くらいの感じでいいのではないかと。一度日本を離れて海外に住み、その居心地が良くて第二の故郷みたいに思えてきたら、そのときのあなたは、今とは全然違ったあなたになっているでしょう。見えている風景も考え方も自然に変わるでしょう。

 ピンとこないでしょうが、一回外に出てしまうと、海外Aから海外Bへ移る心理的ハードルは低くなります。オーストラリアからアメリカに行くのは、東京から大阪に引っ越すくらいの距離感であり、オーストラリアからNZだったら神奈川から千葉くらいの感じです。まあ、人によるとは思いますが、日本→海外が一番心理的距離が長いです。

なぜそう感じるのか?について突っ込んで考えてみました : 
ESSAY 460/「”海外”という選択」(9) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(1)
ESSAY 461/「”海外”という選択」(10) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(2)
ESSAY 462/「”海外”という選択」(11) 〜日本にいると世界が遮断されるように感じるのはなぜか 〜ぬくぬく”COSY"なガラパゴス

 

C、感動率上昇と自信

 一転してメルヘンチックなことを書きます。
 でも、でも、でも、就職だ、キャリアだ、世界情勢だとかいっても、本当に大事なのはこっちだし、オーストラリアにやってきて一番実りが大きいのは実はココの部分だと思います。

 20年も成長しない(むしろ縮小)日本の感覚というのは、閉塞感による軽い拘禁性ノイローゼになっても不思議ではないです。今に比べれば、バブル感覚が抜けず極楽トンボのラテン系で、人情味もまだ厚かった「昔の日本人」である僕らでさえ、20年近く前にオーストラリアに来たときの、世界の広さと楽しさ、オーストラリアの大らかさと魂への優しさみたいなものは強いショックでした。

 ギャップの広がってる現在、以前にも増してオーストラリアはあなたにとって大きな癒しになるだろうし、視野がバコーンと広がる楽しさ、生きていく喜びをも与えてくれるでしょう。万人がそうなるとは保証できないけど、10年以上皆を間近に見ていた経験で言えば、この変化率(ハッピー度上昇率)は、昔よりも今の方が強くなっているように感じます。

 個人的に言えば、このリターンが一番大きいと思ってます。経済なんかどーでもいいってくらい。
 一括パックでシェア探しのお手伝いをしていますが、たった数日間なんだけど、しっかり顔つき変わりますから。それが一年経って武者修行を終えてきたら、もう別人。まさに「刮目してみるべし」です。

 このあたりを表現するのは難しいのですが---ありのままの自分をそのまま受け入れ、ごく自然にレスペクトしてくれる。「あ、今のままの自分でいいんだ」とフワフワ不安げに浮いていた心が、スッと接地する何ともいえない安らぎ。見知らぬ他人からの無償の善意のぬくもり。ただ生きているだけで幸せになれるというか、、、

 あ〜も〜、どう書いても嘘くさく聞こえるんだろうな(笑)

 いや、別にそんな難しいことでも、大したことでもないです。「息を吸ったら吐くといいよ」というくらいごく当たり前の人間の生理なんだけど、なぜか最近の日本ではそうなってないようで、、、知らない人に話しかけたり、楽しく喋ったりするという普通の行為が何故かありえないように感じるのなら、なんかちょっと変ですよ。息を吸ったまま吐いてないんじゃない?というか、右利きなのに左手で箸を持ってない?というか、それじゃあ大変でしょう。だいたい、「うつ」が国民病みたいに広がってる社会が「まとも」である筈ないでしょう。

参考 : 
ESSAY 457 /「”海外”という選択」(6)〜赤の他人のあたたかさ
ESSAY 458/「”海外”という選択」(7) 〜ナチュラルな「まっとー」さ〜他者への厚情と冒険心

 あと、単純に損得勘定のキャリアでいっても、鬱々としたネガティブモード満開で物を考えていても、「俺なんかに出来るわけない」となりがちでその発想や行動力に限界があります。しかし、自信がついたら世の中の見え方も変わるし、健全な意欲も出てきます。そうすれば自然と行動力も出てくるでしょう。僕も先輩に、「落ち込んでるときに作戦を立てるのは絶対止めろ」と言われましたね。何もかもがダメっぽく見えて、みすみす勝機を逃すからです。勝つための思い切った一歩を踏み出すことが出来ず、「まだまだ」とか言ってるうちにチャンスそのものが逃げてしまう。ゴール前でパス回しばっかりやっててシュートが打てないようなものです。
ビリヤード型ステップアップの実例とケーススタディ

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まとめ

 以上のことを一言でまとめてしまうと、現実味が増した ということに尽きるでしょうか。

 昔に比べて資金面その他でオーストラリアに来にくくなっているのですが、一生懸命にやれば以前よりもその現実的なリターンは大きくなってきているます。その昔は、誰もが比較的簡単に来れたけど、その分見返りも少なく、全体として「趣味の留学」みたいなニュアンスもなきしもあらず。

 超簡単に図式化すれば、

 ちょっと前まで : 来るのは簡単 but リターンは少ない
 これから先   : 来るのが大変 but リターンは大きい


 それだけに、以前に3倍増量!ってくらいに真剣にやれってことだと思います。
 「リターンが大きい」って言っても、来れば自動的に得られるってもんじゃないです。英語にしても「とりあえず学校に行って」なんてぬるいレベルではなく、「なにがなんでもモノにしてやる!」くらいの気構えでいて正解でしょう。

 なぜなら、ローカルで働けるくらいの英語力、少なくともカフェなどのカジュアルジョブがゲット出来るくらいのレベルにならなければ、金銭面にせよ就職機会にせよ上記のリターンは得られないからです。リターンが得られないならば、単純に渡豪コストが上がってるだけに金銭的損失は大きいし、また以前よりも大きく膨らんだチャンスをみすみす逃すという逸失利益も大きくなってます。うだうだ、まったりやっていると、昔以上に損をするということです。

 そして、これは、英語だけ勉強してれば良いというものではないです。めっちゃ誤解されがちだけど。

 英語だけ教室的に上手になっても、おそらくはローカルジョブは無理でしょう。カフェですら難しい。レベル6(最上級)ですら一人でシェア探し出来ない人だってゴロゴロいるのに。

 冒頭で書いた「グローバル人材」というのは、単に「英語のテストの点が良い人」ではないです。アウェイ感にビビリながらもガンガン斬り込んでいける勇気であるとか、誰もが思わず好きになってしまうチャーミングな人間性とか、誠実さであるとか、要するに道徳の教科書に出てくるような人間としての立派さ、そしてあなたの人間性を「表現する力」みたいなものが、現場では一番モノを言います。語学力と同時に、ここを鍛えておかないと。

 海外経験のある人に、就職などで光が当るようになったのは朗報ですが、それだけに即戦力としてシビアに期待されているということです。「行ってきました」だけでは評価されず、そこで何をしてきたか、何を得たかを鋭く問われるでしょう。大企業になるほど海外留学経験者や海外現場で辛酸を舐めてきた社員はゴロゴロいるでしょうから、英語力にしても、単にTOEIC○点なんて「お飾り」ではなく、彼らの前で「ちょっと喋ってみて」とやらされたりするかもしれない。本格的な外資系だったら、TOIEC以前に応募から面接まで、何からなにまで全部英語なのも珍しくもない。また、現地社会についてどれだけ深く洞察出来たかというあたりも突っこまれるでしょう。「なんだ、1年も行ってきてこの程度か?」と思われたら、ほんとに逆効果ですからね。

 ということで、こちらで語学留学や英語をモノにしようと思われるならば、就職の際に、「英語は出来ますか?」と聞かれて、「できます!」と即答できるだけのレベルまで来てください。なかなか「できます」とは言いにくいのですが、だからこそ「出来ます」と言える人(本当にその実力のある人)には希少価値があります。

 また、海外勤務になったとしても、海外に「飛ばされる」という「島流し」感覚を抱くのではなく、「おお、他人のお金でまた外国に行けるぞ!」と小躍りするようになってください。「現地のローカルに溶け込むのは慣れてますから、出来ると思います。○○は行ったことがありませんが、楽しみです。やらせてください」と言えるように。
メンタル面での初動の難しさ
 一方、初動が難しくなってきていると思います。一昔前の日本は、望めば誰でも正社員になれたし、社会経験や人生経験を積む機会も資金を貯める機会も与えられました。日本人自体が人間慣れして楽天的でもあり、且つ経済的にも余裕があったので、オーストラリア現地生活を始めるのは今よりはスムースだったと思います。ところが、今は、社会経験に基づいた人間力、資力、そして学力、いずれも十数年前に比べて若干下がっているようで、それだけに初動のギャップは広がっているように感じます。

 僕もそうでしたが、海外に出るときというのはどっかで「舐めてる」部分があり、身も蓋もない現実に直面したら誰でも多少は心が弱くなるでしょう。そのとき試されるのは「打たれ強さ」です。また、現地に慣れてきても、まったりせずに、日々チャレンジし続けられるかどうかは、それなりに意志力の強さが必要です。

 いずれもメンタル管理なのですが、これは気をつけて気をつけすぎることはないと思います。
 ここをしくじると単に「行ってきただけ」になってしまいがちだし、ヘタすれば「行かなかった方がマシ」というトホホの事態もないわけでもない。どういう場合かといえば、英語・外人トラウマが増大し、来る前よりも恐くなり、ダメ意識に打ちのめされ、一方では自堕落な生活が身について社会復帰できなくなるというパターンです。これ、恐いですよ。

 だから、メンタル管理は大事だという所以です。最初は不慣れただからちょっと不安定かもしれないけど、軌道に乗ってしまえば、昔よりも大きなモノを獲得できるようになってるように思います。

 僕も一括パックで、やれシェア探しだのなんだの付帯する仕事が増えてます。昔はペーパーワークだけで済んでたのですが、一銭にもならないことを何をムキになって?と自分でも思うのですが、やはりその必要性を感じるからです。特にここ1〜2年は、立ち上げ1〜2か月のメンタル面でグラつく場合もあるので、人間味のある温か〜いサポートが以前よりも求められているように感じます。

 ちなみに、念のために付言すると、戦闘能力が低下してるからといって人間として価値がどうのという話ではありません。ゆとり教育がどうのとか言われますけど、僕は評価する部分もあります。若干子供っぽくなったかもしれないけど、その分素直になったというか。

 有能だけどこすっからい奴よりは、多少難アリでも素直で「いい人」であった方が良いです。結局大きく伸びるのは後者ですし、実はオーストラリアをはじめとするグローバル親和性があるのはそちらですから。つまり能力面よりは人間面です。

 以上をもう一回整理すると、
 @、観光/遊興→就職/実益性へのシフト
 A、より真剣にやるべし
 B、メンタル管理の重要性
 C、海外での成果を査定される
 こんなところですか。長々すみません。

 ところで、海外だ国際化だかいっても浮き足立つことはないです。単純にチャンスが増えてるだけです。
 あなたと日本の関わりそのものは何の変化もないです。海外で飲む味噌汁の美味さに、昔も今もないです。その意味ではグローバル化もヘチマもない。むしろ海外に来た方がちゃんと日本人になれるような気がします。日本の良さもよく分かるし。僕もオーストラリアに長いこと居ますが、それでも日本人らしい部分=約束の時間は守るとか、100貰ったら120返すとか、義理人情で動くとか=は全然変わってないどころか、強化されているかも。良さを再認識したものは、やっぱり大切に守るようになりますから。イタリア人がオーストラリアに来てもパスタを捨てないように、中国人が飲茶を忘れないように、どこにいてもあなたはあなた、日本は日本です。



INDEX

 Part 01 : 上から目線から下から目線へ〜経済状況の逆転
オーストラリアの物価高騰、本当は日本だってそうなるはずだった


 Part 02 : 発想の根本的な転換を
@お金を使う場所→稼ぐ場所、Aスキル価値の上昇(日本企業の海外シフトと海外留学生や英語スキルの市場価値の上昇)、Bまずは出塁ベルトコンベア型→ビリヤード型、C感動率増加、D実例とケーススタディ、Eまとめ