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2011年10月09日改訂

そうだ、オーストラリアに行こう! (2)

オーストラリア留学/ワーホリ/移住の新しい局面
 ---時代が変わった---


発想の根本的な転換を(承前)

 

@、お金を使う場所→稼ぐ場所

 日本でお金を貯めにくくなった分、賃金の高い現地ローカルでの稼ぎ甲斐が出てきました。最低時給19ドルですから。消費先としてのオーストラリアではなく、出稼ぎ場所としてのオーストラリアということです。まあ、「出稼ぎ」というほど持って帰れるわけではありませんが、「資金不足は現地で稼ぐ」という方法が以前よりも有用性をもってきたということです。

 もちろんローカルで働くためのハードルは高いです。ジャパレスは(多少改善されたとはいえ)一般に低賃金のままですから。しかし、ローカルハードルの高さそのもの(英語力など)は以前と変わらないのだから、リターン率が上がっておいしくなっています。この点は、予算について03実戦講座(別窓)で詳述しました。あれは一見トリッキーな奇策のように見えるかもしれませんが、実は正道です。時代が真逆になれば発想も真逆にすべきでしょう。

 下のAとも連動しますが、今は海外の方がお金を稼ぎやすい&貯めやすい経済潮流になりつつあるでしょう。日本が足踏みしている間に、世界の人々、それも日本人の数倍、数十倍の人数の人々がお金持ちになりつつあります。お金というのは金持ちが沢山いる所で稼いだ方が効率が良い。その経済原理に則って、日本企業もどんどん海外シフト(生産のみならず販売拠点)を進めているわけです。仮にあなたが日本国内で日本企業で就職したって、海外勤務になる確率は以前よりも高くなっているでしょう。

 「貯めやすい」という点に付記しておきます。
 日本は世界でもトップレベルに「きちんとしている」国で、それは誇るべき日本の良さなのですが、逆に言えば、きちんとした格好&ライフスタイルをしてないと世界一恥ずかしい社会でもあります。つまり「見栄費用」がかかる。オーストラリアは、日本の所得水準をはるかに超えているにも関わらず相変わらずのんびりしており、着た切りスズメでいても日本ほど恥ずかしくないし、ブランド品なんか滅多に見かけません。安いけど美味しい物も豊富にあるし、シェアなどカジュアルな居住環境もある。生活のバリエーションが豊富なロングテール社会なので、ローコストで楽しくやっていく選択肢が多い。そして何よりも所得の高低で人を馬鹿にするという風潮が少ないから精神的にとっても楽です。それにオーストラリアに限らず、外国に行けばこちらが「外人」なんですから、少々見てくれやライフスタイルが地元民からズレていても誰も気にしないという「外国人特権」があります。もっとも、贅沢していたらこちらの方が物価が高いし、日本感覚をひきずってる日本人とばかりつきあってたら日本環境のまんまだから変わらないですけどね。
 

A、海外経験・スキルの市場価値の上昇

 世界経済と、それと否応なく連動している日本経済の将来を考えれば、英語力と、それ以上に「海外・外国人リテラシー」(要するに海外や外国人と”うまくやっていく力”)は、身につけておいてまず損はないでしょう。内需が充実していた昔の日本では、これらを習得してもそれを活かす場面が限られていましたが、今やその局面が国内外に広がっています。つまりはオーストラリアで習得したスキルの市場価値が上がっているということです。

 この点の詳細は、世界経済の動向と留学・ワーホリ第四章:渡豪の意味の変化、国内市場の縮小と海外シフトと新たな就職機会(別窓)に書きましたので、そちらをご参照ください。

 といいつ、重複を恐れずに概要を書いておくと、日本企業の海外シフトは、単に「円高だから工場を海外に」という生産拠点レベルだけではなく、海外に売りに行くという販売レベルにも向っています。早くからインドに進出していたスズキ自動車はインドでの自動車販売ェア5割を誇り、今ではインドでの販売台数の方が日本国内での販売数よりも大きいです。キリンも以前からオーストラリアに進出し、アルコール会社のみならず乳飲料などにも手を広げています。このような日本企業の海外シフトは、企業の生き残りをかけて今後も続きます。

 楽天やユニクロが英語を社内公用語にするというニュースがありましたが、思うにあれは日本人同士がギクシャク英語で喋るためのものではなく、海外の優秀な人材を登用するためのものと解するべきでしょう。インドに売りに行くなら地元に精通した優秀なインド人を雇った方がいい。中国もインドも日本以上に強大な官僚国家だと言いますし、何をするにしてもコネが大事です。だとしたら官界のキーパーソンないし太いパイプを持っている人をスカウトした方が話が早い。しかし、いくら優秀な人材がいても「まず日本語を学んで下さい」とかまどろっこしい事を言ってたら優秀な人材に逃げられてしまいます。だったらいっそのこと公用語を英語にしちゃえってことでしょう。海外の優秀な連中だったらデフォルトで英語くらい出来ますから。

 これら一部の企業の動きだけで全体を見るのは早計でしょうが、、、と、前回更新時に書きましたが、半年もしないうちにもう全然「早計」ではなくなってきました。2011年は「外国人採用元年」と言われているらしいのですが、企業の外国人採用はどんどん広がってるし、企業の海外進出は一部の大企業のみならず一般の中小企業にも広がってます。これらの支援する体制、あるいはニュービジネスも雨後のタケノコ状態になりつつあります。東大ですら海外との時期整合性を配慮して秋開講を検討しているといいます。さすが日本企業は「横並び」ですから、一旦方角と大勢が定まれば、あとは「我が社も」で展開は早い。

 以下、世界経済の動向と留学・ワーホリで紹介した新聞記事の中から多少示しておきます。もっと最新の記事まで読みたい方は、そちらへどうぞ。

パナソニックの2011年度新規採用 海外比率8割(2010年3月25日付の読売新聞)
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パナソニック、2012年度グループの国内採用3割減 海外は前年並み(2011年3月29日付SankeiBiz)
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事務系は全員海外赴任 日立、12年春入社から (2010年9月04日付の日本経済新聞)
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大手銀行、中小企業の海外進出支援を強化2011年07月14日 日本経済新聞
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「中小企業海外展開支援大綱」をとりまとめ〜中小企業の海外展開を総合的に支援〜2011年06月23日 中小企業庁
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国内生産にこだわると衰退する(2011年07月28日 読売新聞「グローバル化維新(16)」
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ソニー銀行、高成長求め豪進出 住宅ローン取り込み、来年中にも展開(2011年07月29日 Sankei Biz
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外国人の新卒採用−全体の3割が前向き 従業員数が5000人以上の企業で78.6%(2011年06月28日 日本経済新聞プレスリリース
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「日本人だけでする仕事」は急減か(2011年06月29日 JCAST 会社ウォッチ
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新卒外国人の「本社勤務」本格化 企業風土や競争意識を変革/外国人新卒採用を拡大する主な企業2011年07月01日 SankeiBiz
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東大、世界競争に危機感 春入学見直しには課題 2011年07月01日 日本経済新聞
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「大学の秋入学に賛成」79%〜東大が「国際標準」に合わせることを検討2011年07月13日 日経ビジネスON LINE
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 ということで、、、
 今やお飾りみたいにTOEIC800点取ってればいいという話ではなく、ぼんぼん現地に行かされるだろうし、また現地との英語での業務連絡もやるでしょう。日本にいても多国籍の同僚や部下達とうまくやっていく力も求められるでしょう。お隣の韓国のサムソン電子は90年から毎年200人以上の社員を世界各国に送って、1年の間仕事抜きに(給料は出る)言葉や文化を学ばせており、この制度で来ている韓国人ワーホリも結構います。そのココロは、英語だけ出来ても戦力にならないからです。いかに現地ローカルに溶け込めるか、現地の生活習慣を学び、マーケティングや販売に活かせるかという実質面を見ている。。最近ではアサヒビールも似たような新制度を考えているそうです。

 一昔前の留学やワーホリが、どこかしら「優雅な道楽」「海外で遊んできた」というネガティブな視線で見られがちだった状況に比べれば、「自分が生き残るための当然の布石」というポジティブな見られ方をするようになるのは、逆風ではなく順風だと思います。まあ、一足飛びに何もかもが変わるわけもなく、変化には10年、20年かかるでしょうが----とこれも前回に書いたのですが、そんなに時間はかからないでしょう。いずれにせよ問題はどちらの方向に向っているのか?です。時が経てばたつほど有利になるのはどちらか。"Time is on my side"という歌がありますが、まさにそれです。

Q:海外留学を考えていますが、就職に不利になりますか? 2011年07月06日読売新聞 人事部採用担当回答
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日本人留学生も「売り手市場」 就職イベント、出展社5割増2011年06月28日 SankeiBiz
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日本人留学生の求人活況 説明会の参加企業5割増 (2011年07月27日 日本経済新聞)
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グローバル人材育成へ留学促進 政府が中間まとめ (2011年06月23日 日本経済新聞)
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海外留学離れストップへ 経団連、大学生に奨学金 (2011年06月14日 日本経済新聞)
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B、まずは出塁 ベルトコンベア型→ビリヤード型

 Aのように世間の動きが激しくなってきましたが、「そんなの一部のエリートの話だから関係ない」とか思ってませんか?でも、それはちょっと勿体ない考えです。なぜなら、これだけ海外と密接に連動するようになったら、どこの大学を出たとかいうよりも大事なのは「現地で使えるか/使えないか」でしょう。海外で学閥なんか振りかざしても何の役にも立たないのだから、基準はより実質的になっている。第二に、身軽な個々人が、何をするのも足の遅い日本の企業”ごとき”に先進性で負けてどうする?です。もっともっと彼らの先を読んで、彼らの先にいけばいいです。なにも日本の企業に就職しなければならない義理もないし、日本の企業だってどれだけ生き残れるか分からないのですから。もっと広く、自由に考えた方が成功率は高まります。

 これまでは日本=オーストラリアという二点間の「行ったり来たり」だけを考えていました。オーストラリアで何かを得て日本で活かすか、オーストラリアに住み続けるか。Aの就職・活躍機会の世界的拡大を前提に考えれば、そういった二点的なものの見方はもう古く、多極的な展開を視野にいれるべきでしょう。つまり、オーストラリアに行くのは、あくまでも「第一歩」に過ぎない。野球で言えば 取りあえず一塁に出る ようなものです。塁に出てしまえば、盗塁だの、ヒットエンドランだの、送りバントだの、策はまた色々あります。もちろん日豪でチャンスを見つけるのもアリですが、それにとらわれず、第三、第四の国も視野に入れておく。というか、そのための第一キャンプがオーストラリアなのだくらいでいいと思います。

 もう少し視点を広くとれば、これまでのような日本型終身雇用が過去のものになるにつれ、ベルトコンベアのような一直線のライフプランは難しくなっているという現実があります。英語や留学についても同じで、英語習得→英語教師になる、あるいは外資系就職という点と点を結んだ単線型プランではなく、あちこちで様々な出会いや経験を経て、二重三重にクッションをおいて方向性を変えながら進んでいくビリヤード型のキャリアプランになっていくように思います。絶対そうなるとは言わないし、そうすれば絶対成功するというものではないでしょうが、そういう発想は頭に入れておいて損はないでしょう。
 例えば、ワーホリでオーストラリアに来て、ラウンド先で意気投合した仲間と今度はNZ、ヨーロッパやアジアを回り、そこでひょんなことから仕事があったり、恋が芽生えたりして数年滞在。一段落したところで帰国し、当時のコネを利用して輸入会社を起業したり、現地の人の日本観光旅行をお世話する仕事を作ったり。この世に仕事のネタは星の数ほどあるのですが、問題は人脈です。採用してくれる人に出会うか、販路や流通がスカッと通るかどうかです。そのためには数百という単位での出会いが必要でしょうが、それが楽しく出来る自分になるのが大事なのでしょう。気がついたら、日本国内で働いてはいるけど、九州出身なのになぜか北海道のニセコでオーストラリア人の経営の居酒屋のマネージャーをやってました、みたいなこともあるかもしれない。

 もともと人生というのはそういうものなのでしょう。僕だってまさか自分がオーストラリアでこんな文章を書いてるとは学生の頃には夢にも思ってませんでした。でも、ビリヤード型が本来の姿で、これまでのベルトコンベア型の方が硬直していて不自然なようにも思います。日本の、それも高度成長期に見られた一時的現象に過ぎないと。ビリヤード型は将来が見えにくいので不安だとは思いますが、いつコケるか分からないベルトコンベアに乗ってるよりはマシだという考え方もあるでしょう。ビリヤード型の良さは、多少何かに失敗しても幾らでも失地回復の機会があることです。先の見えない時代ですので、こういうときは一歩一歩確実に塁を進めていった方が、一発ホームラン(一生安泰コンベア)を狙うよりも実は確実だと、僕は思います。まあ、好球が来たらホームランを狙ってもいいですよね。でも、ホームランしか無いわけではない、というのは知っておかれた方がいいのではないでしょうか。

 というわけで、オーストラリアに行ったからといってオーストラリアにこだわる義理はないし、そこで身につけた諸技能・経験をストレートに何かに反映させようと、あまり思い詰めない方がいいと思います。「取りあえず出塁」「敵情視察」くらいの感じでいいのではないかと。一度日本を離れて海外に住み、その居心地が良くて第二の故郷みたいに思えてきたら、そのときのあなたは、今とは全然違ったあなたになっているでしょう。見えている風景も考え方も自然に変わるでしょう。

 ピンとこないでしょうが、一回外に出てしまうと、海外Aから海外Bへ移る心理的ハードルは低くなります。オーストラリアからアメリカに行くのは、東京から大阪に引っ越すくらいの距離感であり、オーストラリアからNZだったら神奈川から千葉くらいの感じです。まあ、人によるとは思いますが、日本→海外が一番心理的距離が長いです。

なぜそう感じるのか?について突っ込んで考えてみました : 
ESSAY 460/「”海外”という選択」(9) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(1)
ESSAY 461/「”海外”という選択」(10) 〜オーストラリアの方が「世界」を近く感じるのはなぜか(2)
ESSAY 462/「”海外”という選択」(11) 〜日本にいると世界が遮断されるように感じるのはなぜか 〜ぬくぬく”COSY"なガラパゴス

 

C、感動率上昇と自信

 一転してメルヘンチックなことを書きます。
 でも、でも、でも、就職だ、キャリアだ、世界情勢だとかいっても、本当に大事なのはこっちだし、オーストラリアにやってきて一番実りが大きいのは実はココの部分だと思います。

 20年も成長しない(むしろ縮小)日本の感覚というのは、閉塞感による軽い拘禁性ノイローゼになっても不思議ではないです。今に比べれば、バブル感覚が抜けず極楽トンボのラテン系で、人情味もまだ厚かった「昔の日本人」である僕らでさえ、17年前にオーストラリアに来たときの、世界の広さと楽しさ、オーストラリアの大らかさと魂への優しさみたいなものは強いショックでした。

 ギャップの広がってる現在、以前にも増してオーストラリアはあなたにとって大きな癒しになるだろうし、視野がバコーンと広がる楽しさ、生きていく喜びをも与えてくれるでしょう。万人がそうなるとは保証できないけど、10年以上皆を間近に見ていた経験で言えば、この変化率(ハッピー度上昇率)は、昔よりも今の方が強くなっているように感じます。

 個人的に言えば、このリターンが一番大きいと思ってます。経済なんかどーでもいいってくらい。

 一括パックでシェア探しのお手伝いをしていますが、最近になるほどに泣く人が多いです。辛くて泣くというよりも、優しくされて泣く、あるいは感情が高まっての意味不明な涙です。男の子でも泣く人はいます。昔はこんなに泣かなかったと思いますが、でも、イイコトだと思ってます。「泣く子は育つ」といいますが、泣いた分だけナチュラルな自分に戻れているのでしょう。

 このあたりを表現するのは難しいのですが---ありのままの自分をそのまま受け入れ、ごく自然にレスペクトしてくれる。「あ、今のままの自分でいいんだ」とフワフワ不安げに浮いていた心が、スッと接地する何ともいえない安らぎ。見知らぬ他人からの無償の善意のぬくもり。ただ生きているだけで幸せになれるというか、、、ああ、もうどう書いても嘘くさく聞こえるんだろうな。いや、別にそんな難しいことでも、大したことでもないです。「息を吸ったら吐くといいよ」というくらいごく当たり前の人間の生理なんだけど、なぜか最近の日本ではそうなってないようで、、、知らない人に話しかけたり、楽しく喋ったりするという普通の行為が何故かありえないように感じるのなら、なんかちょっと変ですよ。息を吸ったまま吐いてないんじゃない?というか、右利きなのに左手で箸を持ってない?というか、それじゃあ大変でしょう、もう少し楽になったらいかがですか?と。

参考 : 
ESSAY 457 /「”海外”という選択」(6)〜赤の他人のあたたかさ
ESSAY 458/「”海外”という選択」(7) 〜ナチュラルな「まっとー」さ〜他者への厚情と冒険心

 あと、単純に損得勘定のキャリアでいっても、鬱々としたネガティブモード満開で物を考えていても、「俺なんかに出来るわけない」となりがちでその発想や行動力に限界があります。しかし、自信がついたら世の中の見え方も変わるし、健全な意欲も出てきます。そうすれば自然と行動力も出てくるでしょう。僕も先輩に、「落ち込んでるときに作戦を立てるのは絶対止めろ」と言われましたね。何もかもがダメっぽく見えて、みすみす勝機を逃すからです。勝つための思い切った一歩を踏み出すことが出来ず、「まだまだ」とか言ってるうちにチャンスそのものが逃げてしまう。ゴール前でパス回しばっかりやっててシュートが打てないようなものです。
ビリヤード型ステップアップの実例とケーススタディ

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まとめ

 以上のことを一言でまとめてしまうと、現実味が増した ということに尽きるでしょうか。

 昔に比べて資金面その他でオーストラリアに来にくくなっているのですが、一生懸命にやれば以前よりもその現実的なリターンは大きくなってきているます。その昔は、誰もが比較的簡単に来れたけど、その分見返りも少なく、全体として「趣味の留学」みたいなニュアンスもなきしもあらず。しかし、今は、「人生を切り開く留学/ワーホリ」みたいな感じになっているのでしょう。

 それだけに、以前にまして真剣に、真面目にやった方がいいのでしょう。

 英語にしても「とりあえず学校に行って〜」なんてレベルではなく、「なにがなんでもモノにしてやる!」くらいの気構えでいて正解でしょう。なぜなら、ローカルで働けるくらいの英語力、少なくともカフェなどのカジュアルジョブがゲット出来るくらいのレベルにならなければ、金銭面にせよ就職機会にせよ上記のリターンは得られないからです。リターンが得られないならば、単純に渡豪コストが上がってるだけに金銭的損失は大きいし、また以前よりも大きく膨らんだチャンスをみすみす逃すという逸失利益も大きくなってます。うだうだ、まったりやっていると、昔以上に損をするということです。

 こちらで語学留学や英語をモノにしようと思われるならば、就職の際に、「英語は出来ますか?」と聞かれて、「できます!」と即答できるだけのレベルまで来てください。なかなか「できます」とは言いにくいのですが、だからこそ「出来ます」と言える人(本当にその実力のある人)には希少価値があります。

 また、海外勤務になったとしても、海外に「飛ばされる」という「島流し」感覚を抱くのではなく、「おお、他人のお金でまた外国に行けるぞ!」と小躍りするようになってください。「現地のローカルに溶け込むのは慣れてますから、出来ると思います。○○は行ったことがありませんが、楽しみです。やらせてください」と言えるように。

 一方、初動が難しくなってきていると思います。一昔前の日本は、望めば誰でも正社員になれたし、社会経験や人生経験を積む機会も資金を貯める機会も与えられました。日本人自体が人間慣れして楽天的でもあり、且つ経済的にも余裕があったので、オーストラリア現地生活を始めるのは今よりはスムースだったと思います。ところが、今は、社会経験に基づいた人間力、資力、そして学力、いずれも十数年前に比べて若干下がっているようで、それだけに初動のギャップは広がっているように感じます。

 僕も一括パックで、やれシェア探しだのなんだの付帯する仕事が増えてます。昔はペーパーワークだけで済んでたのですが、一銭にもならないことを何をムキになって?と自分でも思うのですが、やはりその必要性を感じるからです。特にここ1〜2年は、立ち上げ1〜2か月のメンタル面でグラつく場合もあるので、人間味のある温か〜いサポートが以前よりも求められているように感じます。

 なお、念のために付言すると、戦闘能力が低下してるからといって人間として価値がどうのという話ではありません。ゆとり教育がどうのとか言われますけど、僕は評価する部分もあります。若干子供っぽくなったかもしれないけど、その分素直になったというか。有能だけどこすっからい奴よりは、多少難アリでも素直で「いい人」であった方が良いです。結局大きく伸びるのは後者ですから、だから、最初は不慣れただからちょっと不安定かもしれないけど、軌道に乗ってしまえば、昔よりも大きなモノを獲得できるようになってるように思います。

 以上をもう一回整理すると、

 @、遊興的なものから就職など実益性の高いものにシフトしつつある

 A、渡豪を基軸にして「活用」を心がけるとメリットが大きい。
 なんとなく渡豪してなんとなく学校に通ってるだけではなく、現地の高賃金を逆利用、また内外に広がったスキル活用チャンスなど、より広い視点、フレキシブルな発想、ダイナミックな行動をするとリターンが大きい。

 B、メンタル管理の重要性
 僕もそうでしたが、海外に出るときというのはどっかで「舐めてる」部分があり、身も蓋もない現実に直面したら誰でも多少は心が弱くなるでしょう。そのとき試されるのは「打たれ強さ」です。また、逆に慣れてきたらまったりして、地道に勉強とか、勇気を出して新しいことにチャレンジし続けることが出来なくなる。つまり「やる気逓減の法則」。
 いずれも来てからのメンタル管理なのですが、これは気をつけて気をつけすぎることはないと思います。ここをしくじると単に「行ってきただけ」になってしまいがち。

 C、海外での成果を厳しく査定されるようになる
 上の各記事にわかるように、海外経験のある留学生に就職その他で光が当るようになったのは朗報ですが、それだけに即戦力として期待されているということです。「行ってきました」だけでは評価されず、そこで何をしてきたか、何を得たかをシビアに問われるでしょう。大企業になるほど海外留学経験者や海外現場で辛酸を舐めてきた社員はゴロゴロいるでしょうから、英語力にしても、単にTOEIC○点だけではなく、彼らの前で「ちょっと喋ってみて」とやらされたりするかもしれない。また、現地社会についてどれだけ深く洞察出来たかというあたりも突っこまれるでしょう。


 こんなところですか。長々すみません。

 ところで、海外だ国際化だかいっても浮き足立つことはないです。単純にチャンスが増えてるだけです。
 あなたと日本の関わりそのものは何の変化もないです。海外で飲む味噌汁の美味さに、昔も今もないです。その意味ではグローバル化もヘチマもない。むしろ海外に来た方がちゃんと日本人になれるような気がします。日本の良さもよく分かるし。僕もオーストラリアに長いこと居ますが、それでも日本人らしい部分=約束の時間は守るとか、100貰ったら120返すとか、義理人情で動くとか=は全然変わってないどころか、強化されているかも。良さを再認識したものは、やっぱり大切に守るようになりますから。イタリア人がオーストラリアに来てもパスタを捨てないように、中国人が飲茶を忘れないように、どこにいてもあなたはあなた、日本は日本です。



INDEX

 Part 01 : 上から目線から下から目線へ〜経済状況の逆転
オーストラリアの物価高騰、本当は日本だってそうなるはずだった


 Part 02 : 発想の根本的な転換を
@お金を使う場所→稼ぐ場所、Aスキル価値の上昇(日本企業の海外シフトと海外留学生や英語スキルの市場価値の上昇)、Bまずは出塁ベルトコンベア型→ビリヤード型、C感動率増加、D実例とケーススタディ、Eまとめ
 
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